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ピンクアンチ高校5年生

こんにちは。高校5年生です。

12月、寒いですね。家は暖かいと思いきや、暖房器具のない我が家の寒さはご想像の通りです。

プラズマクラスターはあるんですけどね(意味分からん)。

夜、弟が下着姿で宿題をしていたので声をかけたところ、「暖かいと眠くなるから」という答えが返ってきました。12月なんですけど。キミ、風呂上がりだよね?湯冷めするよ?

本人が良いと言っているので、放っておくことにします。

さて、今回のテーマは「ピンクアンチ」。

ええ、ピンクアンチなんて言葉はないんですが、ここでは「ピンクが苦手、好きではない」という意味で使わせていただきます。

何を隠そう、この私はなかなかのピンクアンチ。

どのくらいアンチかというと、欲しい文房具や洋服のカラーバリエーションがピンクしかなかったら、その商品を買うのをやめるくらい。

自分で買うもの、選ぶものはピンクにしたくないのです。

そもそも、なぜピンクアンチになったのか。

その理由は幼少期からの経験にありました。

私は弟を持つ、一家の長女として我が家に生まれました。いとこは男の子で、付き合いの深い親戚の中では女の子は私だけ。

物心つく前から、当然のように親戚や知り合いの人がくれるプレゼントは全て赤やピンクでした。弟やいとこが青をもらう中、私はピンク。

私の好きな色は水色なので、「青がいい」と主張しても、私が青のものをもらったら、他の男の子が赤やピンクのものをもらうことになるからダメ、と言われました。

親が買ってくれる服、祖母が作ってくれる手回り品、サンタさんからのプレゼント、振り返れば全部ピンクでした。

意に反して集まるピンク。こうして私はピンクアンチに染まっていったのです。

お小遣いを使えるようになると、鞄からハンドクリームまで全て水色にしました。商品を気に入っても、パッケージがピンクだったら買いませんでした。

高校の友達に「いかにピンクが嫌いか」を熱弁したこともありました。友達はうんざりしていたかもしれません。ごめんね。でも、友達はそれを覚えてくれていて、誕生日プレゼントやお土産に必ず水色のものをくれる、優しい子でした。

大学入学頃、やっと母親が私の水色好きを認めてくれるようになりました。私が水色のグラスを選んでも、「はいはい、好きなんでしょ」くらいに受け止めるようになりました。嬉しかったです。

祖母は全く認識していないようで、今でもパジャマ、洋服、マニキュアにマスクと、ピンクのものばかりくれます。祖母のことは大好きなので使わないわけにもいかず、私の持ち物でピンクのものは、祖母からのいただきものです。

誤解を招かぬよう、1つだけ言わせてくださいませ。

私は、ピンクを否定したいわけではありません。ピンクを強要されたくないだけです。

そのため、ピンクが好きな人はそのまま好きでいて良いと思っています。

ピンクアンチの反動で、将来的に部屋にあるもの全てを水色にしようとしている私。

ここまで来るともはや偏愛ですね。

皆さんもご自分の好きな色、テンションが上がる色、大切にしてくださいませ。

以上、ピンクアンチのお話でした。

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。次回は「弟持ち長女が末っ子を羨ましがりました。」をお届けします!

次の投稿でお会いしましょう!