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無限の選択肢

今回は私のD&D遍歴を辿りつつ、TRPG観へと紡ぎます。

出会い

初めてTRPGに出会ったのはD&Dなのですが、その前段階としてゲームブックを通過しています。団塊ジュニア世代が中学生の頃に結構なブームになりました。

そのゲームブックの奥付解説を読むと頻繁に出てくるのが「ダンジョンズ&ドラゴンズ」だったのです。きっとこれは面白いゲームに違いないと思っていましたが、そのD&Dとの出会いはゲームブックに出会ってからすぐにやってきました。私にゲームブックを紹介した友人がD&Dのベーシックセット(いわゆる「赤箱」)を購入し、プレイに誘われたことが要因でした。

ビジュアルはほぼ無い状態でDMによる状況説明のみが行われます。これがまず新鮮でした。PCやファミコンの画面越しのビジュアルではなく、自分の想像力を働かせて状況を脳内でイメージする。これはとっても斬新な出来事で、今に至るTRPG遍歴の源泉でもありました。

憧憬と失敗と

そしてD&Dを遊び初めて程なくして、D&Dには「アドバンスト・ダンジョンズ&ドラゴンズ (AD&D)」なるものがあると知りました。実物も封に包まれていて中身を見ることは敵いませんでしたが、64ページのルールブックが200ページ以上のハードカバーになっている。しかもプレイヤー用のルールブックだけで。

AD&D第1版との出会いでした。
これがさらなる想像力を刺激します。この頃になるとD&Dの方は赤箱だけではなく追加ルール「エキスパートセット(青箱)」を足したプレイをしていましたが、それを上回る物量の本が目の前にあったのです。

これがどれほどの想像力のさらなる喚起をしてくれるんだろう、とAD&Dというゲームへの憧憬を募らせていきます。

そして1990年、AD&Dは第2版へと改編され、また日本語版も発売されました。これで遂に俺もAD&Dで遊べるぜ!という思惑は見事に外れました。みんなD&Dで事足りていて、AD&Dへ移行しようとするプレイヤーは僕の身近なところにはいなかったのです。

その後、暫くブランク

中学卒業を機にいったんTRPGから離れます。高校時代の友人にもTRPGをやっている人は居たのですが、何故か彼らとプレイしようと盛り上がることができませんでした。

そのままTRPGをいったん卒業した私は、折からのバンドブームに乗っかりゲームよりもベースをかき鳴らす青春時代を送りました。

TRPGに復帰したのは数年後、既に成人し、職にもついているときでした。全くの偶然だったのですが、周囲の同年代の友人に同じようにD&Dとかをプレイしていた人間がいたのです。残念ながら彼らとTRPGをプレイすることはありませんでしたが、D&D熱に火がついたのは確かです。そこからその時点でのD&D界隈の情報を探し求めます。

物量作戦

TRPGに復帰したのは1997年前後だったと思います。もうこの頃には様々なWebサイトがあり、D&D/AD&Dがどうなっているかという最新情報を入手することができました。

D&Dの方はレベル帯によってルールブックを分割する商品構成が改編され、1冊のハードカバーになっていました。

AD&Dの方はと言うと、これが一体何百冊あるんだ、という膨大なサプリメントやルールブックのリストになっていました。

この時、一度は鳴りを潜めたAD&Dへの憧憬が蘇ります。奥深いルール、幅広い選択肢。その後、新宿にあるイエローサブマリンのゲームショップに行き、棚一面に埋め尽くされているAD&Dのサプリ群に度肝を抜かされました。しかし日本語版はもう絶版。英語版しか手はありません。

ひとまずプレイヤーズ・ハンドブックのみを手に取り、そこからAD&D第2版の旅が始まりました。英語なので最初は苦労しました。取り立てて英語が得意でも無かった自分が300ページオーバーのハードカバーを読もうなんて、普通に感覚で言ったらクレイジーですし、その自覚もありましたが、興味がそれを上回りました。

溢れかえるルールブック、読み切れないのに買ってしまうサプリメント。紙でできた麻薬でした。しかし英語では苦労させられっぱなし、1日で1ページ読めれば早い方でした。当時は。

その頃、私が勝手に心の師匠だと思っていた方に「どうすればスラスラよめるようになるのか」と尋ねたことがありますが、その方の回答は「10冊読め」でした。これ、意外にもその通りで、今なら電子辞書でもなんでもいいんです。10冊くらい読み切るくらいになると、細かい英文法や表現のニュアンスはともかく、「何がどうなるのか」は普通に読み取ることができるようになります。

やったぜ、これからどんどんAD&Dをプレイして行きたいぜ、と思っていましたが、事態は思わぬ方向に転びます。

AD&Dの版元であったTSR社が破綻し、Wizards of the Coast社に買収されます。破綻の原因はAD&Dの風呂敷を広げすぎ、需要以上の供給を重ねてきた結果だったのです。

このことは後にTRPG観に影響を及ぼします。

膨大な選択肢

そのAD&Dにおける膨大な選択肢はとても魅力的に見えていました。しかしそうであるが故に版元が倒産するというのは皮肉だったのでしょうか。仕方なかったのでしょうか。

ともあれAD&D第2版はここで一端、「D&D第3版」へと引き継がれます。

実はAD&D第2版はプレイ回数は片手で数えられる回数しかプレイをしたことが無く、勢いで買ったサプリの多くが使われることも無いまま本棚を占拠していました。

そして提示されたD&D第3版。ルール改編など随分手が入っていましたが、驚いたのはまだ日本語版が無く英語版のコアルールを手に取ったのですが、その英文がとても読みやすかったのです。私の英語力が上がったからのでは?という錯覚もしたのですが、これはWizards of the Coast社がMagic: the Gatheringで培ったノウハウが反映されています。カード1枚に記載できる限度のテキストは限られており、巷では「MTG語」と呼ばれるシンプルな英文で書かれており、そのエッセンスはD&D第3版にも引き継がれていました。

やがてホビージャパンによる日本語版も発売され、さぁこれからD&Dを広めてやるぜ、となったときに、ある相談を目にしました。

「1レベルで取得できる呪文の中で最強の呪文を教えてください」

いや、確かに40個前後ある1レベル呪文の中で、どの呪文が一番効果的な呪文なのか。それを想像するのが楽しいんじゃないかな、と思う私のTRPG観とはある意味真逆の「最強を他者に委ねる」という行為でした。

何故、そんな事がおこるのか。
私はその答えをTRPGからではなく、囲碁から学びました。

囲碁ではいくつかの「着手禁止点」を除けば、どこに打つのも自由です。と教えられます。すごーい、と思う人はまず居ません。大抵の人(私も含む)は、「どこに打てばいいの?」と思います。

膨大な選択肢が最良とは限らない

ある程度のアドバイスはあります。書籍だったりネットだったりに。先ほどの囲碁の例であれば序盤の戦い方の本を読むと、どこに打っても自由ですと言った割には「これが定石」「ここが正解」にあふれています。

TRPGはというとあんまり見聞きした覚えがありません。
つまり何でもいいです。
と言うと、大抵の人はだいたい言葉に詰まります。
何を選んで良いかわからないから、アドバイスが欲しいのです。

ぶっちゃけて言えば、「膨大な選択肢は、選択肢が全く無いことに等しい」
という今のTRPG観ができあがりました。かつての膨大なサプリに心ときめかせた私はどこに行ったのでしょう。

沢山のオプションがあるのは、それを選ぶのが楽しい人には、読み進めるだけで「どれにしようかな」とワクワクします。でも全員がそうではありません。

そんな中で私はD&D第5版が「ベーシックルール」を無償公開したことに歓喜しました。もちろんただで遊べることも重要です。と同時に、無償ならここまでしか遊ばせないという選択肢の制限ができたのです。これが初心者にとっては重要です。

全くの初心者が1レベルの呪文を選ぶとします。
その選択肢が10個と50個あったらどちらがどちらが面白いと思いますか?
もしあなたの選択肢が後者であるならば、あなたはもう「全くの初心者」ではありません。そのまま初級者以上の道を進んでください。

そしてベーシックルールはまさに前者のために編集されたルールブックであると実感したのです。

膨大な選択肢が悪いとはこれっぽちも思いません。未だにそれに心ときめく自分がいたりします。ですが、膨大な選択肢は逆に選択を難しくしているのと同じであるということを伝えたかったのです。

先ほどの「最強の呪文を教えてくれ」ではありませんが、どれも比較的ダメージ量の同じような呪文を2、3用意して、後はどの状況がどのように効果を発揮するのか。そういうアドバイスができるようになるといいなと思っています。


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