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コンテクストデザインの実践

【0.前書き】

takram渡邊康太郎さんのコンテクストデザインサブゼミを受講し、note投稿が課せられたのでやってみる。
話すこと自体は好きなのだが、「自分の考えを理解してもらうように話すこと」は苦手だし、嫌い。
渡邊さん曰く「未熟な思考・実践でも、後悔することが大事です。自己・他者との対話が始まる大事なきっかけになります。」とのこと。
苦手克服も兼ねて継続的にnoteを投稿していきたい。
読んでくれる人は、リアクション(ガチなものからネタまでなんでもウェルカム)など頂けるとお互い楽しいかも。

そもそも「コンテクストデザイン」とは?

初耳の方はぜひ読んでみてください。


【1.自身がインスピレーションを受けたものの年表】

大学1年春 ドキュメンタリーを作る
大学に入ったことだし、何か新しいことを始めようと思い、当時のサークルで映像製作を始めた。初めて作ったのは短いドキュメンタリーだった。先輩が撮ってきた素材をただ編集するだけであったが、当時の僕にはとても刺激的だった。どんな人にも人生における物語があって、ドキュメンタリーを通して、その人の持っている想いや哲学を知ることの価値を身に沁みて感じた。

大学1年夏 ヨルダンへ行く
元々中東の文化には興味があり、いつかいきたいと思っていた。そんな中、上記のサークルのプロジェクトの中に、ヨルダンに行って難民問題、中東文化を知るというプロジェクトが立ち上がった。勢いで申し込み、結果的にヨルダンという国に行くことが決まった。そこで感じた自分の無力さが今の原動力になっている。
また、自分が感じたこと、知ってほしい事を写真や動画にして発信する時に、どう解釈の補助線を引けばいいのか悩みに悩んだ記憶がある。(確固たる結論は未だ出ていない)

大学1〜2年 某予備校にチューターとしてバイト
その予備校は勉強する時間だけでなく、将来の夢などを考える時間も設けている。そこで僕は生徒とだけでなく、チューター同士、時には社員とも本気で語り合った。自分の人生について本気で考え、言語化し続けたこの時期は貴重であった。

大学3年夏 音声アプリ開発に携わる
先ほど少し述べた通り。自分が無意識のうちに抱いていたコンテクストデザイン的な概念を初めて形にしようとした試みである。上手くいかなかったが、この経験がなければこのサブゼミを受講してなかっただろう。

【2.自分なりの社会彫刻・創作】

「自分の人生は自分が主役じゃないといけない」
これは僕の好きなバナナマン設楽統が乃木坂46のメンバーに向けた言葉である。

僕はいま大学4年で周りの友達はほとんど就職活動をしている。僕はしていないのだが話を聞くと、どうやら周りの人間と比べてしまって劣等感に苛まれている人が多い。日本特有のいびつな社会構造、画一的な教育システムが原因で、偏った価値観で自分の人生を評価してしまいがちなのではないかと僕は思っている。実際に僕も昔から悩まされてきたし、これには大きな課題意識を持っている。そもそも他人の決めた価値観で自分の人生を評価すべきでないし、それによって一喜一憂するのも無駄であると思う。

だから僕は誰もが自分の人生の主役になれる世の中を作りたい。

人間誰もが、SNSのいいねの数や、持っているお金の量などでは測れない「物語」を持っている。そしてそれぞれがお互いの「物語」を尊重し合える時が来たら、本当の意味で豊かになれるのではないか思う。

【3.自分にとってのコンテクストデザインの解釈】

自分にとってのコンテクストデザインとは「考える余白」である。僕は写真を撮ることが好きだ。小学生の時に友達の携帯を勝手に借りて、周りの風景を勝手に撮りはじめるくらい好きであった。

写真は見たものをバッサリと切り取る。音は聞こえないし、動きも匂いもしない。しかしだからこそ、その写真を見たとき、そこにはどんな会話が生まれ、どんな空気が漂っているのか想いを馳せることがある。そして、その解釈は人によって違う。これこそが「考える余白」でありコンテクストデザインなのであろう。

【4.自分なりのコンテクストデザイン的企画案】

自分の人生を語ることのできる写真を一枚ずつみんなでシェアしたい。そこにはそれぞれ物語があり、見た人は多様な解釈をするであろう。そしてその解釈は、もしかしたら写真を提出した人にとって新たな発見になるかもしれない。
手間がかかるけど5〜10分くらいのドキュメンタリーを一人一人作って上映会するのも面白そう。

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