共通テスト第二日程 日本史 大問3・4

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では、次の解説に行きましょう。問題などは前回の記事にありますので、そちらからDLしてください。

■大問3 解説

中世の社会・政治・文化に関する問題です。ここも史料が多いですが、丁寧に読むこと、関連知識・背景知識などを駆使すれば、ここの問題は高得点が取れたと思います。

難易度:A・Bともに標準(代々木ゼミナールより引用)

僕の体感だと、Aはやや易でもいいかな、と思っています。最後の問5の年号並び替え問題については、やや判定に困った人もいたのでは、と思いますが、僕はそこまで苦にしないかも、と思っています。

問1は空欄補充問題です。( ア )の直後にある源頼義・義家父子とあるので、前九年合戦のことです。後半は奥州藤原氏の滅亡なので、藤原泰衡を入れましょう。泰衡は秀衡らに比べるとやや頻度は高くないものの、鎌倉幕府の成立過程においては押さえておかないといけません。

問2は組合せ正誤問題です。前半は『吾妻鏡』の知識、後半は史料判定となります。前回の第一日程もそうですが、この形式の組み合わせ正誤問題が増えた気がします。史料読解の知識とその時期の背景などとの判定の双方を聞いている感じですが、やや中途半端な問題になっている気がします。
『吾妻鏡』は鎌倉時代に成立した歴史書です。よって、bが正文です。ここは確実に正解を出しておきたいです。史料判定ですが、最後に「寺僧たちはひきつづき寺にとどまることを決心した」とあるように、平泉の堂舎を保護したことが分かったので、とどまることを決心したと思います。

問3は単純正誤問題です。今回は鎌倉幕府の組織に関係のないものを選びます。すると、➀は明らかな誤文となります。この正誤は2カ所の誤りがあります。一つ目は遷都を試みることと大輪田泊の整備の関係性が希薄です。遷都とは平安京から福原京への遷都のことです。しかし、大輪田泊の整備はそれよりも前になります。もし、この関係性を保留したとしても、この政策が平清盛の行ったこと、とわかればすぐに誤文と判定できます。残りの選択肢は全て正文です。③については、蘭渓道隆(建長寺の建立)、無学祖元(円覚寺の建立)も合わせて押さえましょう。

問4は用語組合せ問題です。しかし、今回は語句の選択肢が南北朝時代でないため、語句の説明文がなくてもすぐに消去できます。aの分国法は戦国時代、cの以仁王は治承・寿永の乱で敗死したため、時期が大きく異なります。こういう問題は瞬殺で解答を出したいところです。

問5は年号並び替え問題です。Ⅰの伊勢長島の一向一揆は1574年、Ⅱの叡尊・忍性の活動は鎌倉時代、Ⅲの寛正の飢饉は時期の判定は難しいものの、応仁の乱直前とあるので、1467年前後とわかります。寛正の飢饉については覚えても難関私立レベルですので、中堅私大志望者はスルーで構いません。

■大問4 解説

問題は、田沼政治のできごとをまとめたものをもとに問題が作られています。今回は判定が難しくても消去法などを用いれば判定が容易にできると思います。問5の史料読解問題は、文章が長いため、なかなか判定は難しいところだと思います。正確に判定しなければ、思わぬ罠に引っかかってしまいます。

難易度:標準(代々木ゼミナールより引用)

問1は単純正誤問題です。しかし、今回はできごとの追加なので、時期判定が中心となります。
➀は足利義満のできごと(1401年)、②は明和事件(1767年)、③は由井正雪の乱(1650年)、④はフェートン号事件(1808年)となります。田沼時代は18世紀後半のできごととなるため、加えるのに適するのは、②となります。ただし、厳密にいうと、明和事件は田沼政治が始まる前に起こっているので、入らない、が正解になるかもしれませんが、最も適当なことがらなので、正解と判定してもいいです。

問2は単純正誤問題です。➀は知らなければ誤文にしやすい選択肢ですが、老中は4~5名選出されます(日本史では1名だけ出ているように見えますが……)。よって、正文です。③の武家伝奏は公家が任命されるものです。また、朝幕間の事務連絡を行うものなので、朝廷の監視役とは矛盾します。②と④は正文です。

問3は組合せ正誤問題です。一見すると、資料読解問題と思いきや、銅版画の知識があれば解決できます。
元々銅版画は西洋画の一つで、18世紀末の平賀源内が先鞭者になります。そこから油絵と銅版画に分類され、銅版画は司馬江漢が遠近法や陰影法を取り入れた作品を作りました。そこからbが誤文となります。美人画は錦絵のひとつです。また、相沢安は水戸学者で西洋知識の方に精通しているわけではありません。志筑忠雄は天文学研究者で、『暦象新書』は天文学の発達に貢献しました。

問4は二文章正誤問題です。今回は史料の読解ができているかどうかがポイントです。Xは正文です。史料1・2行目を読むと判定できます。Yは後半部分を見ると、蝦夷地をこのままにしておくと、カムチャッカの者どもが蝦夷地を支配するとわが国の支配を受けなくなる、と警笛を鳴らしています。ここから蝦夷地の自立ではなく、幕府が直接支配しないといけない、ということにつながります。これを受けて、最上徳内や近藤重蔵らに蝦夷地に探索を命じ、ロシアが日本に接近してきてから蝦夷地を幕府の直轄地にすることを決定しました。この背景知識を使っても誤文と判定できます。

問5は組合せ正誤問題です。前半は史料の読解ですが、後半はホワイトボードにある下線部の部分と照合して解かないといけません。
都市の人口と農村の人口の関係性を史料から読み取ると、3行目に「在かた人別多く減じて」とあります。在かたは農村のことです。その上で関東の村々は荒れ地が多くできている、とあるので、bが正文となります。また、史料の出典が「宇下人言」(松平定信)なので、18世紀末の内容と判定できます。よって、cの人権意識に基づいて幕府を打倒する動き(尊王攘夷)はこの時期では生じていません。尊王攘夷が本格的になるのは、幕府が開国した1858年以降となります

■難問と言える問題はないが……

大問4まで見てきましたが、第一日程と比べるとここまで見ると比較的解きやすい問題が多かった印象です。もちろん、語句と内容の整合ができていなければいけない問題もありましたが、従来のセンター形式に近いことが分かります。もちろん、所々で変化のある問題はありますが。

ということは、今回は第一日程の問題傾向を見たうえで取り組んだ人は高得点が期待できたのでは、と思います。実際、僕が解いた時にはそこまでの難問は1・2問程度しか出なかったこともあり、第一日程よりは平均点が高くなるのでは、と思います。しかし、平均点が高い、といっても受験人数が少ないため、単純比較をすることは難しいですが。

次年度以降は今回の受験結果をもとに形式が変わることは十分に予想されます。第二日程では図版読み取りがなかったこともあり、第一日程と比べるとやりやすかったかもしれません。それでも、テーマごとの学習は疎かにしないようにしましょう。

→続く

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