倭寇 教科書の記述

本日もよろしくお願いいたします。
昨日・一昨日と気になるポストを見かけましたので、教科書記述をもとにまとめていきたいと思います。前回の参勤交代に続き、2回目です。
このシリーズは不定期に行いたいと思いますが、ある程度まとまればマガジンに入れる予定です。

最後までお付き合いよろしくお願いいたします。


■気になるポストとは?

日本史の塚原先生のポストです。僕がこのポストに気づいたのが、翌日の早朝でした。これは、中学社会講師の指導に対する懸念でもあるのでは、と思い、再び中学社会の教科書をもとに解析をしていきたいと思いました。

以前よく言われていた勘合を用いられた目的として、「倭寇と正式な貿易船を区別するため」といわれていました。近年は理由で聞かれていますが、このポストを見る限り、倭寇と区別する、というのは正確ではない、ということを言っているのでは、と思います。
僕もこのポストを見て、僕もその指導をしていた覚えがあると思い、中学社会の教科書、新課程の日本史探究の教科書を見ようと思いました。
どういう理由で上記のことを曲解していたのか、も確認したいと思いました。

■中学社会 教科書解析

では、曲解することになった原因とは何か?それを中学社会の教科書を使って解析したいと思います。今回も検定教科書をもとに解析していきたいと思います。

➀東京書籍

まずは、シェア1位の東京書籍を見たいと思います。

【東京書籍の記述】
 足利義満は、明の求めに応じて倭寇を禁じる一方、正式な貿易船に、明からあたえられた勘合という証明書を持たせ、朝貢の形の日明貿易(勘合貿易)を始めました。

『新しい社会 歴史』(東京書籍)P80より

このように記述されています。ここには、「正式な貿易船に勘合という証明書を持たせ」とあるので、倭寇と区別する、という記述がないことがわかります。そして、勘合も最新の資料を使っています。

②教育出版

続いて、教育出版の記述を見ていきましょう。

【教育出版の記述】
 明に朝貢の使節を送った足利義満は、皇帝から「日本国王」と認められ、日本と明の国交が開かれました。明は、正式な貿易船の証明として、勘合という合札を日本の船に与えて貿易を行ったことから、この日明貿易を勘合貿易ともいいます。

『中学社会歴史 未来をひらく』(教育出版)P79より

ここも、ほぼ東京書籍と同じような記述になっています。こちらでも、「倭寇と区別する」という記述はありません。ただし、勘合の資料は従来のものを使用していました。

③帝国書院

続いて、帝国書院の記述を見ていきたいと思います。

【帝国書院の記述】
そして、明から「日本国王」に任命された足利義満は、朝貢形式による日明貿易を始めました。正式な貿易船には、明から☆勘合が与えられたので、勘合貿易ともいいます。
☆勘合:明から日本に送られた通交証明書です。片方を日本船が持参し、明にあるもう片方と合えば正式な貿易船と認められました。
文字と印が勘合と原簿に左右に分かれていました。

『中学校の歴史 日本の歩みと世界の動き』(帝国書院)P76より

こちらは勘合の意味を記していますが、大体同様の記述となっています。勘合の資料も東京書籍のものを使っていますが、こちらはもう少し詳細にまとめていました。
この記述の次に「倭寇の活動は一時期しずまりました」とあるので、もし、ここの意味を曲解したら、上記の文言が出るのでは、と思います

④山川出版社

そして、山川出版社ですが、こちらではどう記述されているでしょうか?

【山川出版社の記述】
 朝貢使節の真偽を調べる手段として導入されたのが、勘合である。日本に対しては、15世紀初め、「日本国王」に任命された足利義満に対して、永楽帝から勘合がおくられた。遣明船一隻につき一枚の勘合をもたせ、勘合におされた割印を控えの帳簿と照らし合わせることで、貿易が許される仕組みであった(勘合貿易)。

『中学歴史 日本と世界』(山川出版社)P86より

ここでは少し踏み込んだ説明があります。また、その前には、「倭寇の活動や民間の海上交易を禁止し(海禁)、そのかわりに、各国からの朝貢使節に対してのみ貿易を許す体制をとった(朝貢体制)。」とあります。ここから倭寇と区別した、と理解するのは苦しいと思います。また、勘合の資料は東京書籍・帝国書院と同じものを使っていました。

⑤日本文教出版

続いて、日本文教出版の記述を見てみたいと思います。

【日本文教出版の記述】
明は、倭寇をとりしまるため、民間の貿易を禁止しました。足利義満は、日本国王として明に朝貢する形をとって貿易を始め、利益を幕府の財源にあてました。貿易船には、民間の貿易船と区別するために、割印のある勘合を持たせたので、この貿易を勘合貿易といいます。

『中学社会 歴史的分野』(日本文教出版)P90より

日本文教出版では、「民間の貿易船と区別するため」とありますが、ここを倭寇と区別する、と曲解する恐れは高いと思います。あくまでも正式な貿易船かどうか、という区別なので、倭寇との区別ではないことを意識しないといけません。勘合の資料は教育出版と同様のものを使用していました。

⑥育鵬社

続いて、育鵬社の記述を見ていきたいと思います。

【育鵬社の記述】
この貿易は朝貢貿易であり、将軍は明の皇帝に臣下とみなされ、日本国王の称号をあたえられた時期もありました。倭寇と区別するために勘合という合札を使ったので、勘合貿易(日明貿易)とよばれます。

『最新 新しい日本の歴史』(育鵬社)P88・89より

育鵬社では、上記でも言われている「倭寇と区別するために」とはっきりと明記しています(もちろん、この表現は上記ポストなどから考えると誤文です)。この教科書を使った場合は、勘合を使った目的とみられても仕方ないかもしれません。勘合の資料は教育出版・日本文教出版と同じものを使っています。

⑦自由社

私立では採択のある自由社の記述を見ていきましょう。

【自由社の記述】
 1404(応永11)年、当時の室町幕府の将軍、足利義満は、倭寇を取り締まることを条件に、明との貿易(日明貿易)を始めました。この貿易は、倭寇と区別するために、明の皇帝が支給した合い札の証明書(勘合)を使ったので、勘合貿易とよばれます。 

『中学社会 新しい歴史教科書』(自由社)P86より

ここについては育鵬社と同じく、「倭寇と区別するために」とはっきりと書いています(もちろん誤文です)。勘合の資料は教育出版・日本文教出版・育鵬社と同じものを使っていました。
そして、この文言はダウトがあります。それは、「当時の室町幕府の将軍、足利義満」の部分です。足利義満は、14世紀末に将軍位を足利義持に譲位しています。つまり、勘合貿易を始めたときの将軍は足利義満ではなく足利義持なのです。なお、それ以外の教科書では、単に足利義満、としか記述されていません。ここは明らかな誤りなので、この教科書を使って指導する際は、修正して指導しないといけません。

⑧学び舎

検定教科書の最後は、こちらも私立で採択のある学び舎の教科書です。

【学び舎の記述】
 日本では、3代将軍・足利義満が、九州もまとめ、明の皇帝に使いを送りました。義満は、倭寇をおさえることを約束し、日本国王に任命されました。また、割書き・割印がされた勘合という外交用紙をあたえられました。
 この勘合をもった遣明船は交易を許され、もたない船は、倭寇として取りしまられました。

『ともに学ぶ人間の歴史 中学社会歴史的分野』(学び舎)P73より

この記述はやや特殊ですが、「勘合をもった遣明船は交易を許され、もたない船は、倭寇として取りしまられた」という文言が注目です。ここまで踏み込んだ記述はこれだけですが、この記述を曲解すると「倭寇と区別した」と読まれる恐れはあると思います(文言としては曲解してるので誤文と判断できます)。
3代将軍足利義満、という記述ですが、この記述ならギリギリかな、と思います。ただし、貿易を始めたときは将軍ではないので、そこは気を付けないといけません。

○番外編 令和書籍

最後に、検定教科書に申請しているが、不合格となった令和書籍を見たいと思います。

【令和書籍の記述】
 そのころの明では、民間人の海外渡航や海上貿易を禁止した海禁政策を敷いていて、明を中心とする冊封体制の下で、明の皇帝から与えられた勘合と呼ばれる合い札を持参した遣明船による朝貢形式の貿易だけが許されていました。倭寇と区別するために用いられたこの勘合から、日明貿易は勘合貿易とも呼ばれます。

『中学歴史』(令和書籍)P123より

こちらでは、「勘合と呼ばれる合い札」が生徒の誤解を招く恐れ、という突っ込みがありましたが、それだと他の教科書でも同様の突っ込みをしないとおかしいと思います。
それはいいですが、ここでは「倭寇と区別するために用いられたこの勘合」とはっきりと記述しています。やはり、内容を曲解してまとめているのでは、と思います。
※追記:令和3年以降の令和書籍の記述では、「倭寇と区別するために用いられたこの勘合」という記述がなくなってました。ということは、そのあとの修正で対応されたことがわかります

■曲解の理由とは

では、中学社会の参考書ではどう書かれているのでしょうか。
「ニューコース中学歴史」(Gakken)ではまとめ部分にこう書かれています。「正式な貿易船は、倭寇と区別するために、勘合という証明書を用いた」とあります。この参考書が東京書籍・教育出版・帝国書院・山川出版社・日本文教出版をベースにつくられたとしたなら、ここに書かれている文言を曲解している可能性はかなり高いです

そして、このことをはっきりと言っているのが下記の動画です。

大体4分くらいから説明があるのですが、「倭寇と区別するために」とはっきりとテキストに書いています。背景知識に関しては間違ってはいないと思いますが……。正式な貿易船に与えられた、というところを説明はしていますので、そこについては正文です。
なお、中学歴史の動画ではそこの部分は説明を濁していました。

やはり、曲解の理由は、教科書の内容を十分に把握・理解していないで自分が学んできたこと、入試で出たことを鵜呑みにしすぎた結果ではないのか、と思います。
前回の参勤交代もそうですが、教科書の理解・最新入試の確認などをしないといけないと思います。
これは僕も自戒を込めてまとめています。ご意見等ございましたら申していただけたら、教科書解析をもとにまとめられる範囲でまとめたいと思います。

■入試問題ではどうなっている?

入試問題ですが、「勘合」だけを聞いてきているのが正答率データがあるところで9府県(短文記述などの出題が4県)、「日明貿易」については1県(4県は短文記述問題で出題)の出題でした。これについては、僕が正答率データを持っていないところについては検証を除外している関係で、実際はもう少し出題があることはご理解ください。
なお、入試解析については、問題の使用許諾を得たうえで使用しています。もし、公開NGのところが出てきましたら、その部分以降は会員限定公開とします
なお、正答率が公開されているところについては、正答率も出します。指導の際の参考にしていただけると幸いです。

➀2021年静岡県

まずは、2021年静岡県の問題を見ていきましょう。

明は、朝貢する日本の船に勘合を持たせた。明が、朝貢する日本の船に勘合を持たせた目的を、朝鮮半島や中国の沿岸を襲った集団の名称を用いて、簡単に説明しなさい。

2021年静岡県公立高校入試 大問1・(3)より

これの解答例が「倭寇と区別するため」です。この記述は自由社や育鵬社などの記述をもとにしているとわかります(ただし、旧課程の教科書だと記載されていた可能性はあるため、当時のことは判定できないですが……)。
正答率は68.7%とできています。やはり、上記の内容でしっかり覚えている人は正答率がよかったと思います。

②2018年佐賀県

続いて、2018年佐賀県の問題を見ていきたいと思います。

日明貿易において【資料1】(勘合という合い札)の合い札が用いられた。合い札の名称と使用した目的について、「合い札は(   )と呼ばれ、(   )ために用いられた」の形式に従い、簡潔に書きなさい。

2018年佐賀県公立高校入試 大問3・4より

この解答は「合い札は( 勘合 )と呼ばれ、( 正式な貿易船であることを証明する )ために用いられた」です。そう。ここでの記述は倭寇との区別を使わないで答えないといけないのです。つまり、「正式な貿易船と倭寇とを区別する(ため)」と書いた場合、減点された可能性はあったかもしれません
正答率は所持していますが、佐賀県はWeb非公開のため、ランクで代用させていただきます。正答率ランクはA(60%以上80%未満)でした。この問題は倭寇を使っても減点しなかった可能性はあったかもしれません。

③2022年埼玉県

最後に2022年埼玉県の問題を見ていきましょう。

この勘合は、どちらの国がどちらの国に対して与え、どのような役割を果たしていたかを書きなさい。

2022年埼玉県公立高校入試 大問3・問4より

この問題は勘合を与えていた国がどちらかも明記しないといけません。
解答例は、「明が日本に対して与え、正式な貿易船であることを証明する役割を果たしていた」です。
そう、ここでも倭寇と区別するため、という記述を使っていません。つまり、今の入試では、「正式な貿易船と倭寇を区別するため」という文言は使用できない、ということがわかります。
正答率は21.3%で部分正答率は42.2%です。これは、倭寇という語句を使った受験生は減点された可能性が高かったのでは、と思います。
残りの奈良県(2019年)・千葉県(2019年)も同様でした。千葉県の場合は、倭寇を取りしまるため、ということを追記していました。

僕もこの解析を見て、今持っている知識のカスタマイズしていかないといけないことがわかりました。
そう、最初に紹介したポストのように「倭寇と区別するため」に勘合が用いられたわけではないのです。それは現在の公立高校入試でもしっかりと反映されているのです。もし、今使っている問題集や参考書で「倭寇と区別するために勘合が用いられた」とある記述は誤りになる可能性が高いです。
学校によっては、ここの単元を行うところもそろそろ出てきますが、教科書の記述などを曲解しないように気を付けてください。

■日本史の教科書でも

そして、日本史の教科書でもこのような変化は見受けられています。
清水書院の「高等学校 日本史探究」では、「勘合はその使者が国王によって派遣された正式な使者であることを証明するにすぎず、勘合によって倭寇を排除することができない」、とあります。つまり、倭寇と区別するための勘合ではない、とわかります。
そして、東京書籍の「日本史探究」では、足利義満に永楽年号の勘合100枚が賜給され、皇帝の代替わりごとに更新される、とまで踏み込んでいます。
近年の勘合に関する新研究で教科書の内容・入試問題も変わってきていることがわかります。

■現在進めている著書作成でも

そのことを受けて、現在進めている自著でもこのことをしっかりと反映させていきたいと思います。現在の入試が今までの文言が通用しないところもあります。それらをしっかりと反映させて、現在の入試に対応できるようにしていきたいと思います。
もし、このことで新情報などございましたらコメントなどで教えていただけると幸いです。

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