フランス革命はブルボン家のイエズス会潰しに対するハプスブルク家の仕返しだった!?

1.はじめに

フランス革命(1789~1799年)は一般的には、史上初の市民革命の成功事例と言われる。フランス革命を契機に、ヨーロッパの政治は絶対王政から民主主義に移行しはじめたことは事実であり、歴史的に重要なイベントであることは間違い無い。

しかし、フランス革命の背後で起こった出来事を調べると、それ以外の要因もあるのではないかと思えてきました。

2.イエズス会解散(1773年)を取り巻く状況

イエズス会とは、1534年にイグナチオ・デ・ロヨラを初代総長として創設され、神聖ローマ皇帝、スペイン国王を兼務したカール5世、その息子でスペイン国王、ポルトガル国王を兼務したフェリペ2世の時代を中心に、スペイン王国、ポルトガル王国の実働部隊として、新大陸アメリカにおけるキリスト教(カトリック)の宣教、征服、金銀財宝の獲得を行い、「日の沈まない帝国」と言われたハプスブルク家の広大な帝国を支えたことで有名である。

多重近親婚により1700年にスペイン・ハプスブルク家が滅亡し、スペイン継承戦争(1701~1714年)を経てスペインをブルボン家が支配するようになっても、アメリカ大陸の管理はイエズス会に任されていたが、オーストリア皇帝カール6世が男子を残さずに亡くなり、後を継いだマリア・テレジアがオーストリア継承戦争(1740~1748年)でかろうじて勝利した後から、歴史が動き出す。

3.イエズス会はどのようにして解散させられたか

1758年、ポルトガル国王のジョゼ1世がイエズス会を国外追放した。次いで1764年、フランス王国で禁止され、1767年にスペイン王国、シチリア王国、ナポリ王国で相次いで禁止された。そしてついに、1773年、ローマカトリック教会がイエズス会解散を指示した。

ここで注目したいのは、当時のフランス王国、スペイン王国、シチリア王国、ナポリ王国は全て、フランスを源流とするブルボン家により支配されていたということだ。さらに、ポルトガル国王ジョゼ1世の母マリア・アンナはハプスブルク家の出身だが、1754年に亡くなっている。さらに、新大陸の所有者であるはずのポルトガル、スペインの両国がイエズス会を禁止したということも、彼らに実権が無かったということを明らかにしている。

では誰がイエズス会の実権を持っていたのだろうか。スペインの旧君主であったハプスブルク家は、支配下のオーストリアにおいてイエズス会を禁止していない。ここに、ブルボン家とハプスブルク家の対立が匂わされる。

4.アメリカ独立戦争とヘッセン家

話しが少し逸れるが、イエズス会解散後の1775~1783年、フランスはアメリカ独立戦争に加担し、アメリカがイギリスから独立するのを支援し、そこにはフランスのフリーメーソンのメンバーが関わっていたことが知られている。この時、イギリス国王はジョージ3世だったが、彼の祖父である前国王ジョージ2世の娘婿だったヘッセン・カッセル家のフリードリヒ2世(神聖ローマ帝国の諸侯であった)は、イギリスを金銭的に支援し、莫大な財産を築く。フリードリヒの息子がヴィルヘルム9世(ヘッセン選帝候としてはヴィルヘルム1世)であり、父から相続した莫大な財産の管理を任せたのが、他でもないロスチャイルド家初代のマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドである。

つまり、フランス・ブルボン家と戦ったイギリスをヘッセン・カッセル家が支援し、その財産の管理を、ロスチャイルド家が任されたのである。

5.ロスチャイルド家とハプスブルク家の関係

ロスチャイルド家とハプスブルク家の直接の関係については、1822年のロスチャイルド5兄弟の叙爵が有名であるが、それ以外は広くは知られていない。

しかし、ロスチャイルド5兄弟が各地に進出したタイミングが興味深い。初代マイヤー・アムシェルが銀工業を始め、長男アムシェルが継いだフランクフルトは現在のヘッセン州(ドイツ)にあり、神聖ローマ帝国に属していた。次男ザロモンは1819年にウィーン、三男ネイサンは1798年にマンチェスター、1804年にロンドン、五男ジェイコブは1811年にパリに進出しており、いずれもフランス革命の開始後であり、時代を上手く利用したと思われる。注目すべきは1821年にナポリに進出した四男カールであるが、wikipediaではオーストリア軍がナポリに侵攻したのを好機として、ナポリ・ロスチャイルド家を創設したと記載されている。つまり、ブルボン家最大のライバルであるオーストリア・ハプスブルク家とロスチャイルド家は、仲が良好であったことが推し量れる。

6.イエズス会の復興

イエズス会の復興が承認されたのは1814年である。この年は、フランス革命に続くナポレオン帝政が終わり、オーストリア・ウィーンでウィーン会議が開かれ、一応は王政復古となったが、ナポレオン帝政により内部から破壊されたブルボン家の権威は失墜しており、神聖ローマ帝国は解体されたものの、オーストリア帝国に形を変えたに止まったハプスブルク家とは大違いであった。

そして、ハプスブルク家は1822年にロスチャイルド5兄弟に男爵の地位を与えた。アメリカ独立戦争でフランスの対抗勢力を支援したヘッセン・カッセル家の財産を管理し、オーストリア軍の侵略に乗じてナポリに進出した、あのロスチャイルド家をである。これは偶然なのだろうか。私には偶然には思えない。フランス革命では、ヨーロッパの国々が少なからずダメージを受け、その後の民主主義の波に押されて絶対王政は衰退していくが、中でもナポレオンの影響が直撃したブルボン家が、最もダメージを受けたように思える。

7.終わりに

歴史は過去の出来事であり、直接体験することは出来ないため、事実から推測するしかない。

今回は、イエズス会解散にブルボン家が加担したこと、そのブルボン家とアメリカ独立戦争で戦ったイギリスの背後にロスチャイルド家がつながること、フランス革命によりブルボン家が崩壊した末にイエズス会が復興したこと、ハプスブルク家はイエズス会ともロスチャイルド家ともつながりがあったことを調べてきましたが、この情報をどう解釈するかは、一人一人が決めることです。またお会いしましょう。

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