テレビ局はコンテンツの見直しより、デバイスの見直しをすべき

1.はじめに

昭和30~40年代、巨人、大鵬、卵焼きと言われ、高視聴率番組を量産していたテレビ局は、今や10%取れば大ヒットと呼ばれ、ユーチューブやネットフリックスなどの新しいメディアの出現によりオワコン化したと言う人も増えた。

結論から言うと私は決してテレビ局はオワコン化していないと思うのですが、なぜテレビ局は現在劣勢に立たされているのか、改善に必要なことは何かについて語りたい。

2.テレビはなぜ見られなくなったのか

かつて、映像デバイスは、自宅の居間に設置してあるテレビ1台が当たり前であり、番組の選択権は、家長であるお父さん、おじいちゃんにあり、夕食時や夕食後に家族全員で見るものだったため、必然的に全世代が同じコンテンツを共有していた。自宅の居間は流行の1次震源であり、翌日の学校、職場は流行の2次震源であった。

現在、映像デバイスはパソコン、スマホ、ゲーム機など、1人で複数の所持も普通の時代だ。選択権は自分自身にあるため、興味のあるコンテンツは多様化している。さらに、大家族は減り、核家族が増えたため、自宅は流行の震源ではなくなり、学校、職場でも全員共通の話題は減ってしまった。

3.視聴率低下の原因は本当にコンテンツのせいなのか

視聴率低下が叫ばれるとき、決まってコンテンツの魅力が低下したと言われるが、本当だろうか。数字だけ見れば、テレビを見る人が減ったことは事実だ。しかし、テレビを見ない人よりも、テレビを見れない人が増えたのではないかと私は考える。

家族構成が大家族から核家族に変わり、親の子育ての負担が増えたことや、共働きの家族が増えたことで、親のテレビを見る時間は減ったことが予想される。一方で子供は、スマホの登場によりエンタメのコンテンツが激増し、相対的にテレビに消費する時間が減ったこと、個人の映像デバイスを持ったことでプライバシーが高いデバイスを選ぶことが出来るようになったことが予想される。

コンテンツについては、テレビ局は、ユーチューブでアップされるコンテンツより、高い映像クオリティのコンテンツを作れるが、小さいデバイスでは差が付けられず、アドバンテージを生かせない。

つまり、映像デバイスに求める優先順位が、画質、画面の大きさよりも、ポータブル性、プライバシー、自由選択性にあるという現象が起きていると考える。

4.改善策はあるのか

では、テレビ離れをした視聴者が戻って来ることはあるのか。私は、テレビ局の取り組み方を根本的に見直す必要があると考える。つまり、コンテンツの見直しでなく、デバイスの見直しと、少しの融通である。

考えて見てほしい。いつでも、どこでも見れる、大画面メディアがあれば、テレビ局のコンテンツと、ユーチューブのコンテンツ、どちらを見るだろうか。多分、テレビ局のコンテンツを選ぶ人は増えるはずだ。持ち運びのデバイスはサイズアップが難しいとして、グラスデバイスや網膜投影などの技術革新で、スクリーンの大型化に期待したい。加えて、テレビ局は番組の選択性を少しだけでも改善すべきと思う。現代は、自由に選べるコンテンツが溢れている時代だ。昔ながらの垂れ流し方式では、あまりにディスアドバンテージである。

5.まとめ

視聴率低下に対し、テレビ局はコンテンツの見直しではなく、デバイスの見直しと選択の自由化をすべきである。

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