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北米における20世紀から現代までのブラックミュージックの歴史2・ゴスペル編

北米における20世紀から現代までのブラックミュージックの歴史1・ブルース編はこちら

北米における20世紀から現代までのブラックミュージックの歴史3・ジャズ編はこちら

北米における20世紀から現代までのブラックミュージックの歴史4・R&B(ソウルミュージック)編はこちら

北米における20世紀から現代までのブラックミュージックの歴史5・ヒップホップ編+総括はこちら


※以下の文章は大学時代の卒論に一部動画等を加えたものです。2013年に書いたものなので一部古い部分も有るかもしれませんがご容赦ください。

・ ゴスペルについて

・発祥1
「ニグロ・スピリチュアル(黒人霊歌)の起源については、1860年代に最古の文書記録があるが、おそらく実際は18世紀半ば、黒人奴隷たちのキリスト教化が始まり、彼らが讃美歌を歌い始めた時期に遡るのではないかと言われている。」(當間麗 (2012)『アメリカン・ルーツ・ミュージックとロックンロール』DTP出版)

奴隷身分だった黒人達は白人教会の音楽と教義を一方的に受け止め、奴隷として働かされる厳しい現実(=絶望)の中で信仰(=光)を見出した。このニグロ・スピリチュアルが広く普及するきっかけとなったのは、アカペラ合唱団フィクス・ジュビリー・シンガーズで、1871年の全米各地ならびにヨーロッパの演奏旅行で、アフリカ起源のリズムパターンをベースにしたその霊歌はそれまでの白人中心の教会音楽とは大きく違っていた。南北戦争以降、黒人教会の設立が認められると、20世紀にかけてニグロ・スピリチュアルは更なる普及と発展を遂げる。

・発祥2
黒人奴隷の父と解放奴隷の母のもとに生まれ、牧師である東海岸最大の黒人教会を設立したチャールズ・ティンドリーは、作曲家として黒人民謡と白人教会の讃美歌を融合した楽曲を1901年に出版した。そして1920年代にはゴスペルの父とされるトーマス・A・ドーシーが「ゴスペル・ソング」という言葉を思いつき、新しい形式のゴスペル用の楽曲を次々と生み出した。(「Take My Hand, Precious Lord」「Peace In The Valley」など)

・発展1
 この頃から形成されていったゴスペルは、シャウティング・プリーチャーエヴァンジェリストフォークアカペラ・カルテットに分けられる。
 「シャウティング・プリーチャーは教会での牧師の説教がベースになっていて、その名のとおり説教が高揚するにつれて牧師は叫び、語りの抑揚はときに歌へとエスカレートし、信者との掛け合い(コール・アンド・レスポンス)のなかで満場の大合唱となる場合もある。エヴァンジェリストとは、ギターを携えて街頭でゴスペルを歌うストリート・シンガーのことで、ブルース・マンであることも多かった。アカペラ・カルテットとは、リード、テナー、バリトン、ベースという4つのパートで構成される無伴奏コーラスのことである。フォークとは、ディキシー・ハミングバーズのリード・ボーカルだったアイラ・タッカー固有の表現で、サーモン(説教)形式やエヴァンジェリストによるゴスペルからアカペラ・カルテットによるゴスペルへと移行していく過渡期のサウンドを説明するものである。」(同上)

特にこの中でゴスペルのイメージとして恐らく分かり易いものはシャウティング・プリーチャーで、映画『ブルース・ブラザーズ』(The Blues Brothers,1980)におけるジェームス・ブラウンはまさにこれの典型であった。

「ブルース・ブラザーズ」におけるジェームス・ブラウン出演シーン



・発展2(黄金期)
 アカペラ・カルテットの発展形態であるハード・ゴスペルは初期の頃はアカペラであったが徐々に楽器伴奏が取り入れられていった。代表格にはブルー・ジェイ・シンガーズブラインドボーイズ・オブ・ミシシッピ、そしてモダン・ゴスペル・カルテットの開拓者であり、その後の黒人音楽に多大な影響を与えたソウル・スターラーズが挙げられる。
 ソウル・スターラーズには著名なリード・シンガーが二人いた。それがアドリブ、ファルセット(裏声)など新しい歌唱法でゴスペルの新境地を開拓したレバート・ハリスであり、ハリスの脱退により1950年代から加入し、ソウルミュージックの発展にも大きく貢献したサム・クックであった(サム・クックに関してはR&Bの項目で詳しく後述)。


・サム・クックの熱唱が光るソウル・スターラーズ在籍時の音源「Be With Me Jesus 」


・マヘリア・ジャクソン
ゴスペルを語るには女性シンガーの存在も勿論欠かせない。「ゴスペル・ミュージックの名誉」と称えられ、ゴスペル界最高峰の歌手とされているマヘリア・ジャクソンはその代表格である。ルイジアナ州ニューオリンズで生まれ、教会で歌い始めたマヘリアは1940年代中盤にはゴスペルの女王と称され、1960年代にはケネディ大統領の就任式で歌唱、また63年の人種差別撤廃を求めたワシントン大行進では群衆を前にゴスペルを歌い、この運動の先導者でもあったマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの告別式でも歌唱を捧げた事からも、如何に彼女が黒人社会、そしてアメリカそのものに対して影響力を持っていたかが伺える。

・ゴスペルの女王、マヘリア・ジャクソンによる「Take My Hand, Precious Lord」


・その後(60年代から現代まで)
公民権運動の時代には「We Shall Overcome」「Oh Freedom」といった楽曲が民衆に大合唱されながらデモ行進が行われ、1968年にはジェイムス・クリーブランドが現在日本でもゴスペルで最もポピュラーな形式、クワイア・スタイル(大人数で歌う)をワークショップ(Gospel Workshop Of America)を通じて全米各地に浸透させた。また翌年にはエドウィン・ホーキンスが歌うゴスペルの定番ソングといえる「Oh Happy Day」がゴスペル界で初めて全米1位を獲得した。70年代には元々R&B(ソウルミュージック)と親和性を持っていたためか人気カルテット、マイティ・クラウズ・オブ・ジョイが当時その分野で隆盛を極めていたフィラデルフィアで現地のミュージシャンをバックにアルバムを発表(Kickin’ 1976)、またソウルシンガーとして有名なアレサ・フランクリンは教会での歌唱を録音したアルバムを大ヒットさせた(Amazing Grace,1972)。

・エドウィン・ホーキンスの「Oh Happy Day」

・フィラデルフィアのミュージシャンをバックに録音され、ダンスチャートでも1位に輝いたマイティ・クラウズ・オブ・ジョイの「Mighty High」

・アレサ・フランクリンの「Amazing Grace」

教会での歌唱は映像化されており、2021年に「アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン」というタイトルで日本で劇場公開された

同じように60年代から70年代にヒット曲を多く放ったソウルシンガーのアル・グリーンも、80年代からゴスペルとソウルミュージックの間を行き来した。80年代以降はワイナンズサウンド・オブ・ブラックネスドニー・マクラーキンカーク・フランクリンといったR&B、ポップス、また時にはヒップホップと言っても差し支えない洗練されたサウンドのコンテンポラリー・ゴスペルというジャンルの歌手・グループの登場で、伝統的な要素と現代的な要素の見事な融合が楽曲から伺えるようになっている。ここ日本では映画『天使にラブソングを…』(Sister Act,1992)シリーズのヒットでゴスペルというジャンルが幅広く浸透した。

「天使にラブソングを...」の「I Will Follow Him」歌唱シーン

コンテンポラリー・ゴスペルの代表する一人、カーク・フランクリンの「Love Theory」

多くの黒人の人々にとっては、ゴスペルは常に身近に存在し、時に一人の人間に対して日本人にとっては想像し難い程の影響力を持っている事を考えると、このジャンルが持つ音楽としてのパワーに圧倒せざるを得ない。

こちらの記事も興味も宜しければ御覧ください。

          ジャズ編に続きます

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