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November 2019

From T

2019年11月3日(日)
 カリヨン広場と名前のついた梅田の一角に、夜七時の鐘が響きます。わたしたちの視界には、ゆうべ乗った赤い観覧車。ゆっくりとひとつひとつのゴンドラが、連なってこちらへくだってくるのを、すこし離れたこの場所から眺めています。ときおり飛行機が夜を横切っては、ビルの背後に消えていきます。
 京都から梅田へちょくちょく通っていたのは、二〇〇八年のことでした。まだそこかしこが工事中で、ヨドバシへの橋も架かっていなかった。それでも、阪急の駅からJRの駅へとつながる通り道を、景色を、からだのどこかが覚えていて、ああこの場所だ、と感じずにはいられませんでした。
 駅から駅へ、いったん外へ出て、またすぐ建物に入るまでのつかの間に、ビルに囲まれた空と、観覧車が見える。多くの人が流れてゆくその熱が、外気とたえず干渉しあって、見えない渦をなす。なんだか不思議な空間だと思います。十一年後にこんな形でふたたび訪れるとは思ってもみなかった、けれど、まぎれもなく知っている景色に再会する。運命と呼ぶには抵抗があるけれど、でも――。
 生活や人生を物語のように捉えることは、もっともたやすく選べる破滅の方法です。望み通りにことが運んだり、あるいは思うような結果が得られなかったり、そういうのにいちいち意味を見出し続けていては、浮き沈みに身体も精神もついていかない。ましてや、わたしの物語にあわせた形に、だいじな友人を都合よく歪めてしまうことほど、おそろしいことはありません。
 ゆうべは観覧車に乗る前に、自分で焼いて食べるたこやき屋さんに行きました。隣の席の女の子ふたりが華麗な手さばきでつぎつぎと美しい球形を生み出すのをよそに、わたしたちふたりの鉄板上はてんで不格好。彼女たちのたこやきは、物語でいえばあらすじのような美しさで、わたしたちのは意味があるのかないのかわからない描写のでこぼこ、なのだと思えました。
 そう、再会はいつもでこぼこしています。過去の記憶と重ね合わせるとき、思いもしなかった形がかならず浮かび上がる。でこぼこに合わせて、答え合わせの答えのほうを作り変えていくような、だいじな相手とはそういう共犯者でありたい、と願わずにはいられません。それぞれの電車にのるべく、わたしたちは広場をあとにするのでした。

11月8日(金)
 ああもうじきにクリスマスなのだな、とはっとする瞬間が何度か訪れる日でした。クリスマスコフレというものを最近になって知って、クリスマスコフレのあらゆるものバージョンがあればいいのにな、と夢想しています。本とか、紅茶とか、音楽とか。

11月9日(土)
 味わって食べたいのはやまやまだけれど、ケーキは脳の栄養なのでばくばく口に運んで、五秒でなくなってしまいました。コメダでこの日記を書いています。一年前の文フリ翌日に、穂崎さんと平田さんと四人で新宿でお茶したのを覚えていますか? あのときたしかお会計で麻子さんが多めに出してくださって、「ちょっとぐらいいい格好させろよー」みたいに笑いながら言っていたのが、かっこよかったなあと思い出しました。お茶にお金を使うのって、生活と、読んだり書いたりすることと、生き延びることが交差するかんじがあって、そこが好きです。

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From M

11月12日(火)
 交換日記なんて何年ぶりかなあ、小学生のときに仲良しの友だちと三、四人でノートを回したのは記憶があるのですが、もしかしなくてもそれ以来かもしれません。中学二年で知り合って、それから十五年以上とくべつな友人だったひとともそういうやりとりをしたような覚えもあるけれど、授業中の手紙の回しあいとかFAXでの文通とかとごっちゃになっている気もしないでもなく、ともあれものすごく久しぶりです。
 ゆうべはたまたま占いをしてもらう機会がありました。ホロスコープとタロットで、私は「ものすごくたくさん言葉を持っているけれど、会話はあまり得意ではなく、手紙など文章で伝えるほうが得意」なのだそうです。嬉しかったので、当たっているということにしておきます。
 ツイッターのつぶやきも、ごくたまに大学ノートにつける日記も、小説も、私にとっては基本的には自分のために書いている文章です。「ただ一人のために、宛名のない手紙みたいな小説を書いてみるといいよ」というアドバイスをもらって大事に胸に仕舞ってあるのものの、なかなか難しくてまだ実行できずにいます。まずはこうして、あて先のある、お手紙のような文章を書く機会ができたことがうれしいです。

11月19日(火)
 週明けの月曜日が締切で、もうダメだ……となりつつ土日は引きこもって書いてなんとか間に合わせたので、晴れやかな気持ちで紀伊國屋書店の新宿本店に寄りました。友人の出産祝いにリクエストされていた「おすすめの絵本」を買いに行ったのですが、絵本売り場はすっかりクリスマスの雰囲気で、クリスマスコフレの本バージョン、というかさぎさんの言葉を思い出しました。浮かれた売り場で生まれたばかりの小さい人に手渡す一冊を選ぶのはなかなか悩ましく、楽しかったです。
 勤務先の場所や、使っている路線の関係で新宿をよく歩きます。四人でお茶を飲んだのはトラヤカフェだったかな? 私、そんなこと言いましたっけ、多く払ったといってもせいぜい五十円か、百円にも足りないくらいだったろうと思いますが……お恥ずかしい……。
 自分ではすっかり忘れていた言動を、自分以外のひとが覚えていてくれるのは、ちょっと不思議な感じがします。君は何でも忘れてしまうよね、とかつて私が最も親しくしていた友人もよく言っていました。いまでは交流のないひとですが、実はあの日、かさぎさんたちと別れたあとに、ばったり再会しました。再会、ではないな、言葉を交わしたわけでもないので、見かけた、というほうが正確でしょうか。心臓が止まるかと思いました。今の私はそのひとのことを「わたしの物語にあわせた形に、だいじな友人を都合よく歪めてしまう」以外の方法で語れないのでこのことは黙っておくつもりだったのですが、手が滑ってしまった。
 あれから一年経ってしまうのですね。あの日かさぎさんがSNSにあげていた海芝浦の写真、空の色がきれいでとても好きでした。

 紀伊國屋の詩歌の売り場には『はるかカーテンコールまで』も平積みされていて、遅まきながらようやく買えました。きれいな黄色で、ハトロン紙にくるまれていて、すごくかわいい。眠る前に少しずつ読みます。

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