接客業が好きな理由
中学生に上がる時、友達100人作るんだ!!!
本気でそう思っていた。
親の仕事柄、沖縄で生まれた私は3歳で北の地北海道へ、5歳でいわゆる地元という今の実家がある同じ市内の山の方へ引っ越した。
正直、当時の自分の性格なんて覚えていないけれど、人見知りはそんなにしないほうだったと思う。
土地柄近所付き合いもあるほうで、隣の家のお兄ちゃんや前の家のお兄ちゃん、その横の家の女の子と遊んだりもしていた。
地元には小学校が2校だけ。私たちの学校はクラスも2組までしかなくて、気づけば同じ学年の人はみんな友達になっていた。
3年生の時なんかは40人で1クラスだけになったから、仲間意識が強かった。
4年生の時、友達と人生最大レベルの大喧嘩をした。当時仲良くしていたグループの、ひとりの女の子と。
それから殆ど口をきいていない。そして、よくある“女の子グループ”が嫌いになった。人ともあまり深く付き合わないようになった。
幼かった私は、嫌われないように、嫌われないように、笑顔でいようと心がけていた。
中学生に上がり、本気で全員と友達になろうと思っていた私は、その結果「いつも優しい中山さん」というポジションになっていた。
ある日やんちゃ系の男の子に、笑顔で「中山さん何考えてるかわかんねぇ」と言われた。すごくショックだった。今でも脳内再生されるくらいに。
家族と一緒にいる時のわがままな私と学校にいるときの私、どちらが本当なのか分からず、辛く泣いた日もあった。
高校に入ってからは、みんなと距離を縮めたい、名字じゃなくて名前で呼ばれたい。そう思い、初対面の人でも「なみって呼んでね!」そう振舞った。
同じクラス、他のクラス、全9クラスもあるのに、できるだけ人の名前と顔を覚えた。
それは専門学校に行っても続いた。
仲良くなりたい、話しかけたい。
名前を知りたい。
この人がどういう人なのか知りたい。
話を聞きたい。
浅く広く。
悪く言えば、八方美人なのかもしれない。
でも、そういう習慣のおかげで、今私は人への興味が人よりある。
私にとってこの性格を最大限に活かせるのが、接客業だ。
何と言おうとこれが私。
当時の「なみって呼んでね!」は、数年経って、「いらっしゃいませ、こんにちは。」になった。
友達100人作るんだ!!!の気持ちは今も続いている。
明日どんなお客様に出逢えるのか、毎日ワクワクしている。
かつてお店のファンになってくださったお客様が今どうしているか、本気で気になっている。
「何考えているかわからねぇ」は、もう言われない。
19歳の頃、フランス留学中に我の強いフランス人に揉まれながら5ヶ月過ごし、自分の意見をはっきり言うことが出来るように少しずつなった。(元々妹気質で我は強かったので、取り戻しただけだったのかもしれないが・・)
どうして急にこんな文章を書く気になったかは分からないけど、これからも接客業を続けます。
いつか自分のお店を出した時にお会いできるのを、心から楽しみにしています。
読んでくださってありがとうございます。
あなたのお顔がみたいです。(ストーカー!?)(この言い方は怖いね!!!)冗談です笑
2021.4.26
追記
今も自分が分からず悩んでいるように受け取れる文章ですね、言葉足らずですみません!笑
今はそんなこと全くなく気楽に生きています🌈
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