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短編【らんちう】小説

キキョウの花弁を思わせる淡い蒼色の縁取りをした直径23センチメートルのガラス製の金魚鉢の中を一匹のらんちゅうが泳いでいる。

赤みの強いオレンジ色と光沢のある滑らかな白色の二つの配色が鮮やかなそのらんちゅうは金魚鉢の中を所狭しと遊泳している。

静止しているのかと思わせるようにユックリと鰭を動かしている。
かと思えば突然何者かから逃げる様に素早く身を移す。

金魚鉢の有限の世界の縦横を無尽に潜水しているらんちゅうを、鷲見泉わしずみ勇人はやとは黙々と見ていた。


四歳になる勇人はやとは、金魚鉢の曲面を横切る度に、頭が大きくなったり、腹が細くなったり、尾が二重に見えたりするらんちゅうを黙々と見ながら考えていた。


このらんらんちゅうは何を想い泳ぎ回っているのだろうか。
優雅な舞を披露しているようにも見てとれるし、囚われの我が身を哀れもがき苦しんでいる様にも見える。
おそらくこのらんちゅうは他の金魚を知らずに一生を終えるだろう。

自分はどうだろうか。
母親の庇護の下でしか生きては行けない。
母親という金魚鉢から抜け出る事は許されない。
しかし、いずれは時がその金魚鉢から開放してくれる事を勇人はやとは知っている。


だが、このらんちゅうはどうであろう。
今日も明日も明後日も、その次の日も、その次の日も、その次もその次もその次も…。


などと云う事を、小さな哲学者は考えている。
ただし、まだ四年しか生きてはいない勇人はやとは、それ相応の語彙しか持っていないので、以上の思想を総括して


「かわいそう」


と考えるのが精一杯ではあるのだが、その「かわいそう」の五文字には、五文字以上の想いが込められているのだ。
けれども、語彙が貧困なので出てくる言葉は


「かわいそう」


に尽きるのである。


一生をこの狭いガラスの中で終えてもいいのか。
いいはずが無い。
愛を囁く事も無く、明日を語る友も無い。
移り行く四季も感じず、心静かな月の光も、穏やかな日の光も、星々の物語りも知らずに一生を終えて良い筈が無い。


などと云う事を、小さな哲学者は考えている。
ただし、まだ四年しか生きてはいない勇人はやとは、それ相応の語彙しか持っていないので、以上の思想を総括して


「にがしたい」


と想うのである。


勇人はやとは台所からタッパーを持ち出し、驚き逃げるらんちゅうを掬うと蓋を閉めて近所の川まで走った。
あんな狭い所にいてはいけない。
走りながら、勇人はやともいつか自分も金魚鉢から抜け出せる時がくるのだろうかと考えていた。


川に着くと勇人はやとはタッパーの蓋を開け、らんちゅうを川に放った。
らんちゅうは、ぽとりと川面に落ちると直ぐに川底に潜って消えた。


勇人はやとの心に中に正義感と達成感が生まれた瞬間だった。
らんちゅうの感謝の声が勇人はやとには聞こえていた。



川に放たれたらんちゅうは薄く濁った川の中を1メートル程泳いだ時、ザリガニの餌になった。


⇩⇩別の視点の物語⇩⇩

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