短編【味覚障害】小説
「ちょっと、痩せたんじゃない?」
佐和子は義理の弟、義光の少しやつれた顔を見て言った。
体調を崩したという連絡があり、義理の姉である佐和子が義光のアパートまで様子を見にきたのだ。
佐和子がわざわざ義光の様子を見に行ったのは、義光が独り者であるという理由もあるが、もう一つ、ちょっとした不安があったからだ。
その不安とは義光がこのアパートに十日前に引っ越しをしてきたという事。
とにかく家賃の安いアパートだった。
義光の兄で佐和子の夫である義行が「事故物件なんじゃないのか?」と冗談混じりに言ったことがきっかけで『事故物件サイト』で調べたところ五年前に、このアパートで老婆が刺殺されたことが分かった。
「知ってるよ。俺だって調べたよ。だけど二万五千円の魅力にゃ勝てないよ」
おばあちゃんの幽霊とか、物音が聞こえたりとか、勝手にドアが開いたりとか、そんな事はないのかと聞く佐和子に
「ないない。そんなの一切ない」
と義光は笑って言う。
「でも、やっぱり心配だよ。引っ越してすぐに体調こわして。それに、その顔。明らかに痩せてるでしょ。顔色もわるいし」
そう佐和子が言うと義光は、ああ、そんなことか。と言いたげに一言もらして「ベジタリアンになったんだよ」と言葉をつないだ。
「え?どうして。健康診断で何かあったの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
「じゃあ、なんで」
「最近、妙な夢をみるんだよ」
「どんな」
「夢の中で俺、牛になってるんだ」
「牛?」
「うん。そんで、屠殺場につれていかれて、そこで生きたまま腹を割かれるんだよ。豚の時もあるし、マグロの時もある」
突然の夢の話とベジタリアンになった話がどう繋がるのか検討がつかない佐和子は、とりあえず口を挟むのはやめて最後まで話を聞く事にした。
「マグロの時は、ほんとに怖かった。冷凍室につれていかれて、生きたまま凍っていくんだよ。痛みはないけど、ゆっくりゆっくり死んでいくんだ。でも、鶏の時はあっという間に首を刎ねられて終わりだけどね」
「なんか、食べ物ばっかりだね」
「そうなんだよ!俺も最近それに気が付いたんだよ。牛になって死ぬ夢を見た時は前の晩にステーキや、焼肉を食ってたり、豚の時はトンカツ、マグロや蛸とときは、やっぱりマグロや蛸を食べてるんだよ。それで、俺、気付いたんだよ」
「何を?」
「俺は生き物の肉を食べたら、その生き物が死ぬ瞬間の夢を見てしまうって。ためしに一週間ほど、野菜中心の食生活にかえたら、一切あの変な夢は見無くなったんだ。だからベジタリアンになったんだよ」
その奇怪な現象が、この部屋に由来する霊障からくるものなかの、義光自身の精神的な疲労やストレスからくるものなのか、佐和子には判断がつかない。
これを安直に幽霊のせいにするのは、幽霊に申し訳ないような気がする。
「そう。信じてないワケじゃないけど、一度心療内科に行ったらどう?一人で悩んでないで専門家に見てもらった方がいいと思う」
「いや、いいんだ。俺が悩んでいるのはそれじゃないんだ。野菜食べていれば良いことだし、殺される瞬間の夢っていうのも、慣れてしまえば、アレはアレで面白いし」
「面白いって…」
「夢ってわかってるからね」
「じゃ、何を悩んでるのよ」
さっきまで、さして深刻に話してはいなかった義光が急に真剣な顔つきになった。
そして、その視線は佐和子を通り越して後ろの壁を見つめる。
壁というよりも、その視線はその向こう、隣の部屋を指している。
「一昨日の事なんだけど、アパートの隣の人からカンガルーの肉を貰ったんだよ」
「カンガルーの肉?」
「うん。田舎から沢山送ってもらったんで、宜しかったらどうぞ、って」
「田舎って、何処よ。ふーん。でも珍しいね、カンガルーだなんて」
「その人から調理方を聞いて、早速カンガルーのステーキを食べてみたんだ」
「で、カンガルーの死ぬ瞬間を体験したの?」
「女の子だった」
一瞬、佐和子は聞き間違いをしたのかと思った。
「え?」
「女の子が風呂場で殺される夢を見たんだ。だから悩んでるんだよ、隣の男を警察に通報しようかって。だけど、信じてくれないよなぁ」
この場合、義理の姉として、やっぱり義理の弟を心療内科に連れていくべきだよな。
けど、この話が本当だったら。
そもそも五年前に殺された老婆は関係ないの?
とりあえず、帰って夫に相談しよう。
佐和子はそう思って持ってきたペットボトルのお茶を飲んだ。
⇩⇩別の視点の物語⇩⇩
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