見出し画像

短編【科学者の幸福論】小説

幸福とは何か?いにしえから多くの哲学者や宗教学者が、この出口の無い迷宮に入り込み、答えのない答えを模索して来た。ソクラテス然り、アリストテレス然り。

ソクラテスの幸福論は『生きる事以上に、良く生きる事』を重視した。つまり、ただ日々を生きるのではなく、正しく物事を知る事が即ち幸福であると説いたのだ。

しかし、本当にそうだろうか?知ると言う事は幸福以上に不幸を招くものだと私は思う。悩みというのは知ってしまう事から生まれてくるのだ。その証拠に何も知らない赤子の笑顔は実に幸福そうじゃないか。

ヘレニズム時代には幸福の考え方は大きく二つに別れる。エピクロス派とストア派だ。『快楽を得る事が幸福である』と主張したエピクロス派に対し、『理性に従い欲望を制御し、何が有っても動じない状態』こそが幸福であると提唱したストア派。

快楽主義と禁欲主義。二つの全く相反する主義により幸福と言う名のラビリンスは益々深く、難解になっていった。

私は哲学者でもなければ宗教学者でもない。一介の科学者に過ぎない。科学者の立場で幸福を述べるならば、幸福とは『神経伝達物質βエンドルフィンの作用』に過ぎないのだ。人間は脳内からβエンドルフィンが分泌されると、幸福感を得る。つまり幸せな気持ちになるのだ。

目標を達成した時、嬉しい出来事が起こった時、そしてセックスをした時に、このβエンドルフィンは分泌される。逆に言えば、そうした事が無い限り、βエンドルフィンは分泌されない。だから一部の人間は薬に頼る。コカイン、ヘロイン、LSD…。

しかし、これらの麻薬には恐ろしい落とし穴がある。それは人間性を破壊する悪魔の副作用だ。幻覚を見、やる気を無くし、食欲が衰える。そしてついには死にいたる。やはり、幸福になる為には精神論に頼らなくてはなやないのか?否!私は科学者だ。幸福という目に見えない概念を、物理的に、科学的に解決できてこそ、本当の科学者ではないか!

ここに私が作った新薬がある。なんの変哲のない錠剤だ。これこそが幸福になれる薬なのだ。長年の研究の結果、全く副作用がなく、脳内からβエンドルフィンが溢れ出す薬を私は開発した!
これによって、安全に、手軽に、幸福を得る事が出来る。

最後の検査として私は自分自身でこの薬を飲んだ。あと15秒で服薬して一週間が経つ。これまで全く副作用がない。このまま副作用がでなければ、この薬は完成する!おっと、あと5秒。4、3、2、1。

やった…。ついにやった…。幻覚もなければ、食欲の衰えもない!この一週間、本当にこの薬に効果はあるのか心配で心配でたまらなかった。不安で不安で仕方がなかった!だが、一週間経っても、まったく副作用がない!ついに成功した!ああ!なんという幸福感!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?