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短編【羊雲に乗って】小説

シープの口車にまんまと乗って汽車で二時間の地方都市へ向った。
紳士靴屋に就職するために。

僕は高校の午後の授業を早退けしてシープに言われるまま汽車に乗った。
早退けと言うか事実上の自主退学である。

退学届を出したわけではないので先生たちは僕が学校を辞めたなんて、つゆほども思ってはいないだろうけど僕は今日、学校を勝手に辞めた。

両親が死んでから二年間、面倒を見てくれた叔父も叔母も特に僕には愛着なんて持ってはいない。

叔父たちは僕が勝手に高校を辞めたと知れば、きっと驚き叱り飛ばすだろうけど内心は厄介払いができたと喜んでくれるだろう。

シープは自分が勤めている精肉店の主人から僕のために紳士靴屋への招待状をもらってきてくれた。

精肉店の主人の弟が紳士靴屋の主任かなにかで工場の人手が足りずシープにその話が渡り、それが僕が手にした切符に変わったというわけだ。

シープは僕の二歳年上で二年留年したため僕と同窓の仲になった。

よく寝る男だった。
シープという渾名は英語の御手洗先生が付けた。
御手洗先生は自身の事を『ミスター・トイレット』と言いたびたび生徒から笑いを取っていたが、生徒がミスター・トイレットと言うと何故か怒鳴ることで有名な先生だ。

シープと言う渾名の由来はシープが授業中に良く寝るからである。

sheep(羊)とsleep(眠り)の発音が良く似ているので米国では早く寝入る呪文として「sheep、sleep、sheep、sleep、sheep、sleep・・・」と寝入り端につぶやくのだと御手洗先生は蘊蓄をたれ、それが転じていつしか「羊が一匹、羊が二匹・・・」となったのだと嘘か真がよく分からない話を授業そっちのけで話した。

その日以来、御手洗先生はシープの事をシープと呼び僕らもいつしかシープと呼ぶようになった。

シープが突然、高校を辞めたのは半年前だった。
シープが学校を辞めた後も僕と数人の友は頻繁に会っていた。
しばらくしてシープは精肉店で働き始め、月の中頃になるとシープが働いて稼いだ金で玉突きなどをして遊んだ。

なぜ、精肉店で働く事になったのかと聞いた事があった。

シープが牛肉を売るって面白いだろ。
とシープは言ったが事実は単に彼の姉の旦那の口利きで知り合いの精肉店への奉公が決まったという事だった。

「町を出ないか」

そうシープが言ったのはひと月ほど前の事だった。
中央都市の大型デパートの紳士靴屋の工場で製造工員が足りておらず、やってみないかと言う話しだった。

僕を含め四人の友は無理だと渇いた笑いを漏らした。
だけど僕はその話に魅力を感じていた。

紳士靴屋の製造工員になりたいわけではなかった。

「町を出ないか」
シープが言ったそのひと言で僕の胸が高鳴った。

その高鳴りはいつか中学生のころ音楽室で聴いた醤油パンに似た名前の音楽家が作った曲のように華麗に鳴った。

「お前、行きたいんだろ」
その二日後、校門の前に待ち伏せていたシープが汽車の切符を差し出した。
僕は来るのが遅いよと思いながら切符を受け取った。

翌日、最後の授業を午前中だけ受けて僕はシープが待つ駅に走った。

清々しいほど青い空には羊雲が浮いていた。

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