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短編【聖母の秘密】小説


「先生!私たちは愛し合っているんです」
「だけど先生、僕たちの間には大きな壁があるんです。その壁を先生の力で消してください!」
「お願いします!」
「お願いします!」

私の目の前に座っている患者は典型的な解離性同一性障害。つまり二重人格だ。彼女が私の所で診察を開始してから半年になる。非常に稀な症例で、彼女は第二の人格『エイジ』を恋愛の対象としてみているのだ。そして、『エイジ』も、彼女のメイン・パーソナリティーの彩香さやかを愛している。

「お願いです、先生!僕と彩香さやかの間にあるこの見えない壁を取り除いて下さい!」
「お願いします、先生!私とエイジの間にある壁のせいで、私達は触れる事ができないのです!」

エイジと彩香の間にある見えない壁。彼女達はこの壁が二人を引き離していると信じている。しかし事実は違う。この精神的障壁のお陰で彼女は二つの人格を保っているのだ。精神的障壁を完全に取り除けば、それは二つの人格の統合を意味する。

統合。つまり、二つの人格は一つにまとまり、新たな別人格になるか、あるいは、彩香かエイジのどちらかの人格の消失を意味するのだ。

私はこの事実を二人に説明した。壁を取り除くと言う事は、永遠の別れを意味するのだと。二人は私の説明を聴き、充分理解した上で、それでも統合を望んだ。二人は一つになりたいと強く望んだのだ。

解離性同一性障害の治療の第一は統合を目指す事にある。彩香もエイジも統合を望んでいる。そして私も精神科医として、二つの人格の統合を目指すべきである。が、しかし。本当にそれでいいのだろうか。

二人は愛し合っているのだ。永遠の別れによる強烈なストレスが、新たな精神障害を生みはしないだろうか。そういった自問の中で、私は二人の治療を進めた。

「先生!有難うございます!」
「僕と彩香の間にあった壁が消えました!」
「私はエイジに触れる事ができたのです!」

数十回に及ぶ催眠療法を経て、彩香とエイジの間にあった精神的障壁は消え、しばらくしてエイジも消えた。結局、主人格の彩香が生き残り、精神は一つに統合された。

彩香はエイジの声を聞くことが出来なくなったのだ。これで良かったのだろうか。最愛の人を失った彩香の精神の行方が心配だった。

そして一週間後、事態は急変した。

「先生!私妊娠しました!エイジの子です!」

彩香は少し膨らんだお腹を摩りながら再び私の元に現れた。想像妊娠かもしれない。私は、知人の産婦人科の医師に診察を頼んだ。

「間宮先生、結果がでました」
「ありがとうございます。やっぱり想像妊娠でしたか?」
「いえ。彼女、確かに妊娠しています」
「え?」
「しかも、彼女、処女なんですよ」

聖母マリア!
その瞬間、わたしはラファエロが描いた聖母マリアの絵画を思い浮かべた。
聖母マリアは解離性同一性障害だったのではないのか。そして、何者かの手によって精神が統合されたのでは。

だとするならば、彩香が身ごもった胎児は…。

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