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短編【狂った理由】小説

この瞬間にも、世界には死にゆく子供達がいる。そんな事くらい多くの日本人は知っている。が、実際の世界の現状を知っているわけでは無い。

例えば、一円玉4枚で失明や病気から子供を守れるビタミンA剤を一つ届ける事が出来る。
14枚で鉛筆やノートを贈る事が出来る。
18枚で一人の子供を麻疹から救えるワクチン一回分を打つ事が出来る。
100枚でポリオのワクチンを7つ作り、7人の子供を救える。

僅かなお金でも、多くの人々を救える可能性が有るのだ。
しかし、『魚を与えるのでは無く、釣り竿を与えるべきだ』という意見もある。
だが、彼らはその釣り竿を持つ力さえも無いのだ。

所詮は対岸の火事。

それは、私に言わせれば、
100人が失明すれば、400円が浮く。
1000人が麻疹に罹れば18000円が浮く。
70000人がポリオで死ねば1000000円が浮く。
という極めて卑しくいじましい意見にしか聞こえない。

この瞬間にも多くの貧困に喘ぐ子供たちが死んでいるのだ。この地球上から消えて仕舞わなければならないのは我々、先進国の人間ではないのだろうか?

一日に吐き出される排気ガスの量を半分に削減するためには多くの自動車免許保持者を殺さねばならない。緑地が伐採され砂漠化してゆく大地を救うためには人類の数を減らさなくてはならない。

「これは、ちょっと。記事には出来ないよ」
田原たはらいちかは思わず呟いて雨宮あまみや信二しんじが書いたコラムを読むのを途中でやめた。書いてある内容があまりにも幼稚すぎる。本当に雨宮あまみやが書いたのもなのか。

フリーライター雨宮あまみや信二しんじに、モータースポーツとエコロジーをテーマにコラムを依頼したのだが彼が送ってきた原稿は田原たはらの意図したものとは違っていた。

田原たはら雨宮あまみやの付き合いは長い。モータースポーツ専門誌『スーパーモート』の編集長である田原たはらは、雨宮あまみやを高く評価していた。雨宮あまみやの記事は例え小さなコラムでも、徹底した取材の裏付けが有った。取材に入れ込み過ぎ文章が多少感情的になる場合もあったが、それも一つの味だった。

そんな雨宮あまみやが書いた、今回の記事は、少し異常だった。いくら、いつもの様に取材に没頭していたとしてもテーマの的からずれ過ぎている。田原たはらが知る限り、雨宮あまみやはこのような事は一度もなかった。編集長として、田原は書き直しのメールを雨宮に送った。長い付き合いの中で初めての事だった。しかし、朝になっても雨宮からの返信は無かった。これもまた、長い付き合いの中で初めての事だった。

雨宮がメールを返信できる精神状態では無かった事を知ったのは、朝のテレビ番組『グローバルモーニングシックス』で38人を殺害した通り魔殺人の報道を見た時だった。雨宮あまみや信二しんじは無差別殺人を行い、警察に射殺された。田原はその報道を呆然と見ていた。

いったい、雨宮に何があったのか。それからしばらくして、田原は雨宮からメールの返信があったことに気づいた。そのメールはまさに雨宮が通り魔殺人をしようとする直前に送られたものだった。

『田原さん、こんな事になってしまって、すみません。魂の経験に善も悪もないんです。それが理由です』

そのメールの意味も田原たはらいちかには分からなかった。ただ分かっているのは、雨宮あまみや信二しんじが狂ってしまったという事だけだった。


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