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うつしよの記録@秋葉原駅

2006年アキハバラデパート閉店→2010年アトレ秋葉原

 先日、用があって中央・総武緩行線(総武線)で秋葉原駅に降り立った。
 いったい何十年ぶりだろうか。
下り線でホームに滑り込む。スタバがホーム隣にある。そして、酪(Luck)で早口の注文を決めおすすめの牛乳を流し込む。
 すべては気まぐれだった。その場に居合わせた照れを隠すかのように。
 そそくさと中央口ののもので用事を済ませると今度は大船方面の京浜東北線快速に乗り換えた。かつてのようなわい雑とした雰囲気は消え、大きな伽藍が目の前に立ち現れる。サイネージも貼り紙も渋谷駅のようにきらびやかである種の文化を感じさせる。

 見るべくもなく語るべき事もなく秋葉原駅をあとにした。ただただ、東京駅までの道すがらに、併走する上野東京ラインの立体感に圧倒される。それから中央快速線で都心をあとにした。

 早口の注文と言ったが、外神田は元々江戸っ子の街、ラジオデパートのなかで交わされる会話もまたべらんめえだった記憶がある。郷に入っては郷に従えで西郊の小生も合わさねばやっていられなかった。アトレの風景からはその辺りはうかがい知れるのだろうか?

 私が中学生の頃から電子工作にハマり、真空管を物色して歩いたのもその辺りである。夏になれば東北への帰省についていって神田乗り換えから秋葉原を通過して上野に向かっていた。中学の修学旅行がまた十和田湖畔で、大宮発着の東北新幹線に武蔵野線経由で乗り換えという、これまたカントリーらしい趣向だった記憶がある。
 帰りの新幹線で同級生の意地悪で席を取られたところ、譲ってくれた同級生もいて彼女が後の民青仲間となった(学生時代に喧嘩別れしたが)。

 就職してからまもなく精神疾患を得て、あの忌まわしい3.11を境に職場の対応を問題視する人々ににらまれ、退職、そして現在の障害者雇用に至る。
 男性で未婚というのは出身の家の格が世間相場に及ばないためと知ったのも、つい最近の気づきである。幻覚・妄想はここまで現実検討能力を鈍らせるのである。
 その間に私の聖地、ラジオデパート閉店が入っていたのである。
 この場所を再訪して、私は時空の伽藍に絡げとられ圧倒される。思えば二次元の世界、旧ツイッターの世界でしかこのあらゆる人々の聖地を窺い知ることしかできなかった。周辺は様々な列車を撮影に来る人々が絶えない界隈なので、その混沌とした空気感に圧倒されたままその日は都内をあとにした。

 今度用事があるのはいつのことだろうか。

2024/01/12 ここまで

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