2024/05/16 締め付けられる思い
おはようございます🙏
時間の流れとは振り返れば、遠くへ来たものだと感慨深げな充実した人もいれば、もう振り返りたくもないという人もいます。
前者は同窓生、ゼミの仲間、後者は今の私の姿です。
「ひとつ上なのにものすごく貴方は老けた、どうしたの?」
余計なお世話である。私は貴方たちと違って思いのままの人生を過ごせず、劣悪な環境で発症して零落し、今に至る。むしろ、30年経っても変わらない人ほど調子が良く、信用できない。
そしてただひとつ悔いがあるとすれば、オーバードクターでも食えるぐらいの富が実家にはないということだ。
それに輪をかけて時間の経過は残酷である。
互いに生きながらにして変わり果てた姿を晒し、自慢する人は自慢する。
それなのにどうして私は同窓生に図々しくも顔を出した。
そう、それはもうこの世の見納めに近い意味を持つ。恩師と会うのもこれが最後か、それとも?と思うことが気持ちをせき立てる。
ゼミ仲間で遠出して同窓会をしようというが、私の手元には自慢すべき実績も研究成果もない。累々たる時間の抜け殻だけが障害を残して横たわる。
旅先は逃げ場もなく延々と、仲間の自慢話を聞かされ、自分の今に至る正体を曝け出すのも拷問である。飲み会の方も以後妻帯しない限りは見せる顔もない。
あれも自分、これも自分。たまったものではない。今後の同窓会はパスだ。いや、もうどこへも顔を出せない、どの面下げて……。30年経っての手ぶらの再会は以後、今生の別れを意味する。
2024/05/16 ここまで
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