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嫌われ者のべにちゃん

誰も興味のないであろう、つまらない私の人生の話をしようと思う。本当につまらない話なので相当暇な時に読んでください。というか読むくらいならもっと別のことしたほうが有益かも。

でも、もし読まれた方がいたら少し嫌な気分になってもらえればなと思う。このnoteは昔流行った呪いのチェーンメールみたいなそんななにかです。

某有名な小説の言葉を借りるなら、私は

恥の多い生涯を送ってきました。


私が持つ最古の記憶、それは8歳の時に車の前に飛び出した事、それから石鹸を飲んで死のうとした事。それから12歳まで、つまり小学校を卒業するまでの記憶はあまりない。

ちゃんと覚えてることは嫌われてた事と、自分が恥ずかしいという思いだけ。

うろ覚えだが微妙に覚えてることは、2年生の時、学校に行きたくなくて駄々をこねていたら親にぶっ叩かれて一週間声が出なくなったこと。3年生の時、転校生がきた。その子にパシリにされてコンビニのお高いホールケーキを買わされた挙句持っていったら何故か首を絞められた事。それから、6年生のある日の朝学校に行ったら机になんか卑猥な言葉がボールペンで落書きされてた事と、そんな感じの諸々。それから、自分も嫌われてるくせに他の子と一緒になって同級生を虐めてたこと。

でも当時は嫌われてる自覚なんてとんとなかった。中学生が近づくにつれてやっと自覚したくらい、鈍かった。とんだ恥晒しだと思う。と言うか神経が図太い。お前の無神経さと言うのか、図太さどうなってんねんと言う感じである。

中学校の時は、別の小学校から来た子たちに話したこともないのに謎に嫌われていた。(うちの中学校は別々の小学校を寄せ集めて一学年やっと出来上がるのだ。少子化ってほんとなんだなぁ)理由は多分、可愛くないし悪目立ちしてたからだと思う。

多くの人が想像するような、所謂イジメには合わなかったけれどでもたぶんあれはいじめに入るんだろうなぁと今になってうすぼんやりと思っている。

その日は、理科の実験があったから理科室で授業を受けていた。先生が実験のやり方を説明するために教卓の前にクラスのみんなが集まった。その時、先生はみんなに手元が見えやすいようにとカメラで実験の様子を撮りつつ実験を行い、それを学校に備え付けのテレビで映していた。当時、勉強熱心だったわたしは教卓の一番近くを陣取っていた。それが災いして、一瞬先生の手に持っている小型のカメラがこちらを向いた。当然、テレビに私が映し出される。するとどうだろう、クラスの男子が一斉にうげーだのおえーだの言い始めた。鈍感な私でも流石にこれは、あ、自分のことを気持ち悪がっているのだなと気がついた。最初は平気だった。だって、なんとなく嫌われてるのは知っていたから。だからその時間は耐えられたんだけど、次の授業の時間に耐えられなくて泣いてしまったのを覚えている。その次の授業の時間もまだ悲しくて、顔を上げられずにいると、先生が私の様子が変なのに気づいてしまった。そこから理科の時間でのことが担任の先生にバレてしまって男子たちは居残りになった。その日の帰り道、友人だと思っていた子がぽつりと私に「なんで泣いたの?」聞いてきたのがいまだに忘れられずにいる。


また別の日、「あなた、あの男子とあの男子から嫌われてるよ」と教えてくれた絵の上手いこがいたりした。私はただ、その子の絵が好きでお友達になろうと話しかけてたらそんなことをぽつりと放課後の教室で教えてくれた。薄々わかってはいたが、実際に言われると辛くて泣いてしまった。


そしてまた別の日、私が席で本を読んでいると男子二人が話しかけてきた。正確には一人が困った感じで話しかけてきて、隣にいた子はニヤニヤしてた。私は、この二人が何故話しかけてきたのかをなんとなく察していた。教室の後ろの方でさっきまで何やらガヤガヤしてた。おそらく困った感じの子はそのガヤガヤしてる時になにかしらの勝負かなんかしてて、それに負けたのだろう。だから罰ゲームで私に話しかけさせられてるんだろうなってことも、その隣の子は罰ゲームを見守ってるんだろうなってことも察していたので、彼らに取りあわなかった。しばらくすると、二人は去ったがまた同じ子が話しかけてきて、また私は無視した。3回目についに、私は返事をしたわけだがその内容は特に覚えてない。でも、あぁやっぱりなと強く思ったことだけはっきりと覚えている。

こんな日々の積み重ねだった。別に直接嫌なことをされてはないけど何となく嫌だなぁって感じの日が永遠と続いていた。何もなかった日はとても嬉しかった。だから、中学3年生の時に死のうと思ったのだ。今思うとアホな話であるが、リストカットすることを自分に対する罰だと信じていた。泣きながら毎晩両太ももの付け根と左手首を切りつけた。切ったところをさらに切って傷口を深くしてみたりしていた。まぁ、結果としてこの時死ぬのには失敗したので、今生きてこの文章を書いているわけだがこの時の傷の跡は今もくっきりはっきり残っている。冬の受験シーズンあたりになると、ご飯を食べることができなくなった。正確には、ご飯を食べてはいけないと思い込むようになった。今でも時々、その気持ちが蘇ることがある。でも、モリモリ好きなもの食べてるしよっぽどのことがないとこの時みたいになることはないだろうなと思う。それから、大好きだった子と無理矢理決別した。今でもその子が忘れられない話は長くなるのでまた別の機会にしようと思う。

中学で学んだことは、勉強は楽しいし知識を増やすのはとても楽しいということ、生きるのも大変だけど死ぬのはもっと大変だということ、それから人は信用してはいけないんだなということである。


高校では、中学校でのことを引きずって病んだ結果やらかして盛大にいじめられたというか脅されたと言うか。まぁ、怖かったことだけ覚えてる。それで、最悪なことにとある同級生をいじめたというか、ビビらせた記憶もある。だから留学した。留学先では上手くやれたから、中学みたいなことはなかったしその時、ネット上でとても大切な友人を3人も見つけた。どう思われてるかはいまいちわからんけど、少なくとも私にとってはとても大切な友人たちである。

それから紆余曲折を経て私は今大学生である。この紆余曲折も長くなるのでまた別の機会に話せればいいなと思う。


さて、ここからお分かりいただけると思うが私の人生はずっとなんか自分のせいでぐっちゃぐちゃになっている。アホだなぁと思う。優しい友人は、あなたのせいではなくて周りのせいだよと言ってくれたように思う。でも私は違うと思う。100歩譲って、私の恥の多い人生の多くの箇所が周りが原因だったとする。しかし、その周りの人間を刺激してしまったのは私だと思う。つまり、なんていうか、私はがん細胞みたいなものなのだ。一つがん細胞があることによって侵食し、周りまでそうなってしまったんだろう。 

よく、性善説とか性悪説とか耳にするが、私は性悪説を支持している。人は生まれ持って悪で、人と関わることによって善を見つけていくんじゃないかなと思う。ただ、相性が悪いと私に起きたようなことが起こる。だから周りが悪かったとは私は言いきれないのだ。私にはどうすればいいかも、どうすれば良かったのかもちっともわからない。ただ、今となっては小中高どの同級生とも関わりがないので私と出会った人々が今嫌な思いをしていなければいいなと願うことくらいしかできない。

あとは少し、家族の話もしようと思う。これも長くなるからちゃんとは書かないけど結論から言うと私の家族の人は家族という形態に向いていないんだと思う。

私の母は、精神病を患っている。それも重度に病んでいる。彼女が16の時からだそうだ。父は母が精神を病んでいるのを承知の上で結婚した。すごいことだと思う。二人の間にある愛というものを疑ったことは1ミリもない。でも私に対する愛は家族からは基本的には向けられない。だってみんな母でいっぱいいっぱいだから。私はそれについて仕方ないと思うし、納得もしている。でも、時々それなら何故産んだのだろうかと考えることがある。

私が人生でとても辛かった時、母方の祖母に「逃げるんだ」と言われたことが忘れられない。何も悪い事をしていないのに何度も何度も「親不孝者」と呼ばれたことが忘れられない。それから、優しくないと言われ続けてきたことが忘れられない。私は祖母の機嫌を損ねると、決まって優しくないもしくは親不孝者と罵られてきた。でも実際、私は優しくないと思うから、言われて当然だったのかもしれない。まぁでも、祖母は基本的に最悪の人なので追い討ちをかけるようなことしか言えないし、条件付きでないと愛してはもらえない。それは実の娘である母に対してもそうだったんだろう。はっきりと本人に言ってやったことはないが多分母の病は祖母のせいだ。私が中学の頃本気で生きるのが嫌になるまで、私は何とか祖母の求めるいい子であろうとした。いい子でいるうちはとても優しくしてもらえたし、愛してもらえたように思う。

私は祖母が大嫌いだ。でも、歳をとって頼る先がなくすり寄ってくる祖母の声を聞くとどうしても絆されてしまうのだ。この人の味方は私しかいないのではないだろうか、ならば私が味方してあげなければとついつい考えてしまう。情けないと思う。私はこの祖母のおかげで物心ついた頃には死にたいと願うようになったにも関わらず、である。

祖母も壮絶な幼少期を過ごしてきたそうだから、人の愛し方とかが分からないのだと思うし、その点では同じ被害者なのかもしれないけどあまりにもひどい人なのだ。父はそんな祖母からは守ってはくれなかった。でも、父にだって事情はあるし、みんなみんな、被害者なのだ。別に誰が特に悪いとかはない。

でも、テレビや映画、友人を見てたり、話を聞いて不思議に思うことがある。 私は何故、無条件では愛してもらえないのだろうか?どこが悪かったのだろうか?と。それから、これは確信していることなのだが、私はこれまでも、そしてこれからも無条件では愛してもらえることはないのだろう。家族だけでなく、他人からもきっとそう。だから、学校であった色々は別に不思議には思っていない。家族にすら愛されない存在が他人から愛してもらえるはずもない。私の認識が正しければ家族とはこの世に存在する一番小さな集団だ。そこにも属さないのにそれより大きな集団に属せるわけがないのだ。そして、私が愛すことがあってもそれが返ってくることはないのだと思う。でも、別にそれでいいと思っている。きっとそういう星の元に生まれたんだから足掻くだけ無駄なのだ。

納得はしているけど、時々、愛とはどんなものかしらと夢想する時がある。誰かに愛されたらきっと心の底から満たされるんだろうなと思う。正直にいうと私は愛されてみたかった。今だってそうだ。喉から手が出るほど欲しいと思っている。もし、愛してもらえるのなら私に差し出せる物なら何でも対価に差し出そう。でもそれは無理な話なのだ。祖母はすっかり年老いてしまったから、そのうち死んでしまうし、母の病が治ることもこの先ないし、それどころか悪化の一途を辿るばかりだ。そして父は私が中学までに作り上げた虚像を愛しているから本当の私を見ることもない。でも諦めきれずに、未練タラタラのままこんな文に残してしまっているあたりとても滑稽だと思う。

私は、羨ましくて仕方がないのだ。バイト先で見かけたお父さんと抱き抱えられる幼女はとても幸せそうだったし、映画、テレビや漫画出てくる家族だってとても幸せそう。そんなに素敵なものなら私だって欲しいに決まってる。衣食住には困ってないから不幸なわけじゃないが、圧倒的に愛情が足りてないとは思っている。欲しくないわけじゃあない。欲しいけど、貰えないのを知っているから口に出してねだらないだけなのだ。

人生がとても苦痛で仕方がなかった時、私はとある精神に関する本を読んだ。そこには、劣等感とか抑圧とかのことが詳しく書いてあった。そこで私は人生が苦しいのは愛情不足から来てるのだと気づいた。その本でとくに記憶に残っているのは劣等感や自己嫌悪に苛まれる人の多くは「I'll never disappoint on you(私は何があっても貴方に失望しない)」と言ってくれる人が居なかったからという文だ。それから、愛は酸素と同じで酸素がないと体は死んでしまうが愛がないと心が死んでしまうといった内容が書かれていたことも強く記憶に残っている。本当にその通りだとおもう。私は何をしても家族に失望され続けてきたし罵られてきた。だからきっと、15の時に心が死んでしまった。今も体は生きてるけど、心は死んだような感じで幸せとか楽しいとか物凄く感じづらくなっている。でも、負の感情はすぐ湧くのだ。

幸せそうな親子を見るたびにはらわたが煮え繰り返りそうになる。その怒りは、友だちの話を聞いてる時でも推しをみている時ですら湧いてくる時がある。そんなはらわたが煮え繰り返ってる自分が私は大嫌いだ。でもやめられないのだ。きっと、一生無い物ねだりを私は続けるんだろう。

こんな感じで生きてきたので、一つの私信が生まれた。それは愛は消耗品だということだ。愛はとても素晴らしいものだ。でも、一生ものではない。名店の秘伝のタレのように継ぎ足されていかないといけないものなのだ。そうでないと、いつか尽きてしまう。

私も全く愛されてなかったわけじゃないから、最初の方は確かに持っていた。でも、愛されるための努力をやめてしまったから供給がなくなってしまった。だから今ではすっからかんだ。こんな風に私の愛する人がならないように、私は愛をなるべく伝えるようにしている。下手くそだからうまく伝わってないかもしれないけど、それでもなるべくいうようにしている。べつに、返ってこなくてもいいし返ってくるとも思ってないけど、その人の愛の少しの足しにでもなれたらなと思ってもいる。

これは、重いかなとも思う。というか、重いよなぁ。でも伝えないよりかはマシだと思うのだ。それでも、重さの限度ってのは大事だと思う。

Twitterか何かで見たけど、カズレーザーさんがいっぱい恋をしておかないと1個1個の恋にすごい価値があるものだと思ってしまうと言っていたらしい。私はこれをみて、私は恋だけに限らず対人関係全てにおいてこれをしてしまってるのではないか?と気が付いた。気づいたからといって、軽くなれるわけではないけど、本当の重さはどうであれなるべく相手にとって重く聞こえないように伝えられたらいいなと今は愛の伝え方をもっとカジュアルにできないかと検討中だ。



今は全然死ぬ気はないし、当分私は死なないと思う。それでも希死念慮が消えたわけではないしむしろ日に日に増してく一方なのでうっかり、自ら死を選んでしまう日が来るかもしれない。そして、うっかり成功して今度こそ本当に死んでしまったとする。そうしたら、私は一体何人に泣いてもらえるだろうか。こんなにも不出来な人間なので無理な話なのかもしれないが、一人くらい、私の死を惜しんでくれたらいいなぁと思う。

死とは真逆のことだが、不出来で強欲な私は生きてる間に私の誕生日を心から祝ってくれる人が現れないかなぁとも思っている。上記から察してもらえると思うが、私の家族は私の誕生日を別に心から祝ってくれたことはない。なんなら、誕生日の日に怒鳴り散らかされたことだって少なくない。友人、というか元学友?ですらない。そりゃ当たり前なのだ。友達の誕生日を真剣に祝う人なんてその友達がよっぽど好きでないかぎりはそうそういない。わかってはいる。わかってはいるが、一度でいいから私という存在を愛して、そして生まれた日を祝ってもらいたいなぁと醜い心を持った私は考えてしまうのだ。


世界にはもっと辛い思いをしてる人がいる。でも、私の目も耳も二つずつしかないので私の見える範囲と聞こえる範囲でしかものを考えられない。私は強欲だ。私は傲慢だ。愛されないのを分かってて、でも納得しきれない。だから、腹の底で常に何か真っ黒な感情を煮えたぎらせているのだ。

私はどうしたら、この腑の底で常にグツグツと煮えている真っ黒い憎悪と嫉妬などの醜いものを消せるのだろうか。

私はどうしたら愛してもらえるだろうか。

私はどうしたら優しい人間になれるだろうか。


これらをずっと神様に問うてきたけど、

答えが返ってきたことはまだ一度もない。


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