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消える女性たち 〜Dastak パキスタンのラホールにある女性救護施設〜

 2008年3月15日、ラホール近郊にある「Dastak」という女性救護施設(シェルター)を訪ねました。ここには家族からの暴力に悩む女性たちが暮らしています。なかには命の危険を感じながら隠れるように生きている女性たちもいます。彼女たちが恐れるのは「名誉殺人」です。


 名誉殺人とは、「婚姻拒否、強姦を含む婚前・婚外交渉、「誤った」男性との結婚・駆け落ちなど自由恋愛をした女性、さらには、これを手伝った女性らを「家族の名誉を汚す」ものと見なし、親族がその名誉を守るために私刑として殺害する風習のこと」(Wikipedia)です。日本では2004年に『生きながら火に焼かれて』(ソニーマガジンズ)が刊行され、広く認知されるようになりました。パキスタンに限らず、いくつかの国で問題視されています(「16歳の妹を兄弟が「名誉殺人」 婚前交渉は家族の恥というインドネシア」News Week日本版2020年5月16日)。


 多様性社会へと変化を遂げる北欧社会でも、この名誉殺人が問題となっていて、例えば、スウェーデンで2002年になくなったクルド系移民女性ファディメ・シャヒンダールの事件はよく知られています。北欧系の犯罪学学会でも「名誉殺人(Honor Killing)をテーマとした報告を目にしたことがあります。

 さて、訪問したDastakスタッフのお話では、パキスタンでは様々な問題を「家庭」という閉ざされた空間で解決する傾向にあり、こうした施設の存在はあまり歓迎されていないそうです。そのため、こうした救護施設に対する批判も根強く、2000年以降は女性をめぐる様々な問題が社会的な認知を得るようになり、救護施設に助けを求める女性は増えてきたそうです。

 私がDastakを知ったのは、日本でみた「クブラの死」というドキュメンタリーがきっかけです。クブラという女性は、一族から望まない結婚を強いられた挙句、年の離れた夫からの暴力に耐えかねて逃げてきました。保護されたクブラのもとには、連日のように母親が訪れ、帰ってくるようにと彼女を説得していました。ですが、一族の命令に逆らって逃げ出し、外部の機関(Dastak)を頼ったわけですから、クブラの命は危険にさらされていました。結局、クブラは家族によって家に連れ戻されてしまいます。そして、帰った日の晩に夫の親族に銃殺されてしまうのです。なぜクブラは殺されなければならなかったのか。ドキュメンタリーには、殺した夫の親族が「一族の名誉を汚したのだから、殺されて当然」と怒鳴りちらす様子、我が子を殺されたのに無言の実父、疲れ果てた表情の実母の様子が映し出されていました。

 Dastakを訪れた時、施設長はクブラのことを教えてくれました。彼女は、死の恐怖に怯えながらも、実父・実母の「家に帰ってきたら必ず離婚させてあげるから」の一言を信じたのだそうです。Dastakスタッフは家に帰ろうとするクブラを止めましたが、自分たちには彼女を守る法的な手段は何一つなく、「実の親を信じたい」というクブラの気持ちを尊重するしかなかったそうです。そして、彼女の「信じたい」という気持ちは踏みにじられ、二度と帰らぬ人になってしまいました。未来を予見できない以上、支援に確かなものは存在しない。その言葉は、あまりにも重たいものでした。

 シェルターの寮内には男性が立ち入ることはできないとのことで、通訳(男性)を置いてウルドゥ語のわからない女性チームで施設内を見学することになりました。お互いに共通言語を持たない私たちは、寮で女性に出会ってもジェスチャー以外に対話をする術を持ちません。訪問時は4人の女性たちが寮内にいました。台所でチャパティを焼いている様子を眺めていると、手振り身振りで焼き方を教えてくれました。「こんな感じ?」と真似をしてみると、見慣れない日本人の見慣れない手つきに頷きながら笑みを返してくれました。

 会議室には、施設での活動の様子をまとめた写真が貼られていました。動物園への遠足や、新年を祝う会など、女性たちの笑顔を取り戻すための様々な工夫をしているそうです。また、就労支援の一環として工芸品を作っていました。パキスタンでは女性が働ける場所も限られているので、自立支援とまではいきません。ですが、施設で過ごす時間を少しでも充実したものにしたいというスタッフの配慮が伺えました。

 Dastakまでどのように向かったのか、実はよくわかりません。チームでライトバンに乗車し、施設と訪問調整をしてくれたガイドさんの指示のもとに向かったわけですが、「施設からの要望」でライトバンの窓はカーテンを引いたままでした。「施設がどこにあるのかをあまり多くの人に知られたくはない」ということでしたが、到着した施設周辺にライフルを手にした警備員が配置されているのを見て、その意味を実感しました。ここは、女性を保護する場所であり、保護された女性を強硬に連れ出そうとする人々と闘わなければならない状況があるのだと。

 パキスタンでは年間1000件ほどの名誉殺人が生じているという推計があるようですが、確かなことはわかりません(CNN「女性2人が「名誉殺人」の犠牲に、キスの動画がネットに流出 パキスタン」2020.05.19 )。2010年3月4日、国連人権高等弁務官ナバネセム・ピレイは、世界全体で年間5000人ほどが名誉殺人の犠牲になっていると発表しました。こうした「女性」であることを理由とした殺人をWHOは「フェミサイド」と定義づけています(2012年報告書)。フェミサイドという言葉自体は、南アフリカ出身のラディカル・フェミニストのダイアナ・ラッセルが定義したようです(Jill Radford & Diana E. H. Russell, 1992, Femicide: The Politics of Woman Killing, Twayne Pub)。女性の社会的地位の低さ、そして女性に対する暴力を規制する法律の不在などが背景にあると指摘されていますが、「女性」というだけでなぜ殺人の対象となってしまうのか。その疑問をあらゆる観点から議論していく必要がありそうです。

 

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