見出し画像

「援助交際」は異性愛者限定の問題ではありません 〜援助交際とLGBTと様々な事情〜

 援助交際といわれて私たちが頭の中にイメージするのは「男性と女性(少女)の寄り添っている姿」ではないでしょうか。私も調査を始める前は、そう思っていました。ところが調査を始めて様々な体験者と出会うなかで、これはどういうセクシャリティの問題なのだろう・・・と頭を悩ませることが増えていきました。その一つが「LGBTの援助交際体験者」の語りです。

 私が実施した「援助交際体験者調査」の協力者10名のうち、2名は明確に「同性愛者です」と教えてくれました。どちらも性行為を含む売春系の援助交際体験者です。女性という身体を持つ彼女たちは、援助交際では「異性愛者」として扱われ(また自称し)ます。・・・というよりも、「男性客−女性の援助交際体験者」という構図こそが重要で、彼女たち自身の性自認は重視されていないのです。そもそも「男性と性行為をする」ことを想定している以上、性愛の対象が「女性」という少女たちが参入していることが見えにくくなっているのです。

 とはいえ「なぜ、性の対象ではない相手と援助交際するの?」という素朴な疑問が浮かぶと思います。私も、そうでした。今回は、私の視野の狭さを教えてくれた彼女たちのお話をしていきたいと思います。(事例は、個人情報保護のために文意を損なわない範囲で、一部の情報を加工しています)


「同性が好きってことを悟られてはいけない」

 視野の狭さを自覚させてくれた一人、カオリさん(仮名)は高校生でした。数人の3〜4人の友達グループで「援助交際」をしている、とても慎重な女の子でした。援助交際のきっかけは、友達グループの一人がお小遣い欲しさに「援助交際」を始めたことにあります。最初に、親切な男性客に出会った友達は「簡単にお金が稼げるよ」と残りのグループメンバーに誘いをかけたのだそうです。カオリさんは「したくない」と思ったそうですが、意外にも他の友達は「面白そう」と援助交際を始めてしまったのでした。グループの中で一人だけ「やらない」といえば、仲間外れにされるのではないか。そんな不安に駆られて、「私もやってみる」と答えてしまったのです。

 とはいえ、カオリさんにとっての性愛の対象は「女性」です。男性に身体に触れられるのはとても不愉快で、吐き気のするような時間を過ごしたそうです。やっとの思いで帰宅しましたが、翌日「どうだった?」とグループ内で成果報告が始まります。カオリさんは「お互いを見張っているようなものだったんじゃないかな」と語っていましたが、そうした「成果報告」を通して、お互いに「安全なお客」を紹介し合うという役割もあったようです。

 カオリさんは、この「成果報告」をめぐる会話のなかで「同性が好き」ということが悟られないように気を使っていたそうです。男性客の愚痴を話すのは、「相手が年齢の離れた人」「自分たちをお金で買っている人」だからであって、決して「男性だから」(同性ではないから)とは悟られたくなかったのです。私が出会った援助交際体験者は、自分の援助交際について他者と共有する経験に乏しい人がほとんどでした。そこで感じた否定的な感情、被害経験はもちろん、思わぬ「良い男性客」に当たって嬉しかったこと、特別な経験をしたことなどもそうです。「援助交際」の話題は、基本的に誰かを共有するものとは考えていないのです。一方で、自分の感情を整理したり、思わぬ被害経験にあった時など感情が大きく揺れ動く時には、誰かに話を聞いて欲しいと思うこともあるのだそうです。そうした理由からなのか、出会った体験者の多くは、かなり赤裸々に援助交際の経験や感じたこと、思っていることなどを話してくれました。

 さて、カオリさんも「今まで誰にも話せなかったから、すごく話したくなっちゃって」と、様々なお話をしてくれましたが、話題の中心は「男性に対する嫌悪感」がほとんどでした。性的に関心のない相手(性別)に身体を預けなければならないということが、本当に我慢ならないのだということを、ひしひしを感じていました。そこで「辞めたい?」と尋ねてみました。ところがカオリさんは「ここまできたら辞められない」と首を横に振ります。それはなぜなのか。


同調圧力と「いじめ」への警戒

 カオリさん達は、男性客から被害に遭わないようにグループ内で「良い男性客」を紹介し合っていました。そうした防犯(?)行動によって、いわば「安全に援助交際を続ける」ことができたわけですが、だからこそ「お互いが援助交際をどの程度しているか」を知っている共犯関係になってしまったのです。そこから一人だけ抜けようとすれば、「他のメンバーの援助交際の事実を、誰かにバラされてしまうのではないか」という疑いをかけられてしまいます。実際、カオリさんが援助交際の頻度を減らしたところ、同じグループの友達から「辞めるつもりじゃないよね?」と強い口調で問われたといいます。お互いの家の場所まで知っている関係では、「親にバラされたら」と心配にもなります。カオリさんは、しばらく学校を休んで家に籠ってみましたが、家の前をウロウロしている友達を見かけた時には「親にバラされるかも」と血の気が引いたそうです。
 
 セキュリティのためにグループ化していたのに、グループ化していたからこそ抜け出せなくなってしまう。全員で一緒に辞められたらいいのにと思うわけですが、そもそも「辞めたい」と言い出すことすら憚られるような雰囲気があったのだそうです。この状況にカオリさんは、まずは「援助交際」に関して「グループでの援助交際」から「個人での援助交際」へと移行し、「グループと距離は置いてるけど援助交際は続けているよ」という体を取りながら、そっと援助交際自体も辞めてしまうのはどうだろうかと考えたそうです。ところが、自分一人で男性客を探してみると、無理な要求をする男性客や避妊をしたがらない男性客など「困ったお客」に出会ってしまう回数が増えたそうです。「独立も難しいんだよね」と語ったカオリさんは、結局のところ、身の安全のためにグループに居続ける道を選びました。

 一連のカオリさんの試行錯誤の過程に「大人に相談する」という選択肢は一度も出てきませんでした。それは、カオリさんにとってグループから排除され「いじめの対象」になる可能性は大きな脅威でしたが、大人たちは「援助交際よりはマシ」と考えるだろう、と思っていたからでした。さらに、カオリさんには「同性愛者だと知られたくない」という(本人曰く)「弱み」がありました。友達は気づいていないと思うけれども、本当に気づいていないのかはわからないと考えていたからです。「知っているけど、黙っているだけだったとしたら・・・。いじめられた時に、絶対にバラされちゃうんだよ」と怯えていました。

 こうした生活に、カオリさんは限界を感じ始めてました。「高校やめたい」とこぼすことも多かったのですが、高校中退で自立してしまったら、結局のところ夜の接客業など「男性相手」の仕事をすることになると思っていました。「早く高校を卒業したい」「自由になりたい」と、繰り返すようになっていました。そんなカオリさんの息抜きはショッピングでした。服飾の仕事に興味があり、ショッピングをしている時が一番安らぐのだそうです。ただ、そのショッピング代のために「援助交際」を辞められなくなっている・・・という事情もあったので、カオリさんは「難しいんだよ・・・。援交しないとお金がなくてショッピングできない(ストレスが溜まる)し、援交するとお金は手に入るけどストレス溜まるし。悪循環なのはわかってるんだけど、もう、どうしたらいいのか」と苦笑いをしていました。


「自分」の置きどころがわからない

 カオリさんのストレスは、かなり深刻なように見えました。「何日か前に、援交したんだよ。超気持ち悪かった」と語る時の表情は、本当に嫌悪感に歪んでいて、気持ち悪さが気になるのか何度も腕を引っ掻いている時もありました。「胃が痛い」とこぼすことも少なくありませんでした。何より、「女子高校生」であり、「援助交際体験者」であり、「LGBT当事者」でもある。カオリさんは、自分のアイデンティティの中心をどこに置いたらいいのか、わからなくなっている様子でした。ですが、このうちの2つ(「女子校祭」「援助交際体験者」)は、時が来れば捨て去ることのできるカテゴリーです。カオリさんは、自分の隠してきたセクシュアリティに対しても「いつかは自由にしたい」と思っているようで、インタビューでのカミングアウトにも、そうした思いが影響を与えていたようでした。

 そんなカオリさんにとって「援助交際」は、望まない性行為を「望んでしている」という構図に陥ってしまう、そんな問題でした。同調圧力、いじめに対する警戒心、ストレスへの対処、お小遣いの確保・・・。カオリさんが「援助交際」を継続する理由は様々でしたが、性愛の対象が男性ではないいにも関わらず「男性と性行為ができてしまう自分」は、本当に同性愛者なのか。時に、そんな疑念にも囚われてしまっているようにも見えました。性的アイデンティティの揺らぎの中にいたわけです。


逸脱領域における性的マイノリティの存在感

 カオリさんの事例は、逸脱領域における性的マイノリティの苦悩を端的に教えてくれます。筆者が「LGBT受刑者に対する「二重の刑罰」」(note掲載)で指摘したように、LGBT当事者にとっての「収監」経験に対する関心は高まりつつあります。刑務所で加害にさらされながら生きる当事者(例えば、トランスジェンダーたち)が少しずつ声を上げ始めたからです。とはいえ、逸脱領域の当事者たちは「(加)害に関与した」という点で、自分たちの苦悩を表現すること、声を上げることには消極的であろうことは容易に想像がつきます。

 ですが、どのような「苦悩」が犯罪や非行から離脱することを難しくしているのかは、社会的な問題(課題)です。上で例示したカオリさんは、環境が変わる「高校卒業」のタイミングを待つしかない、という現実の中で生きていました。他にも方法はあるのかもしれませんが、「援助交際体験者であることも、同性愛者であることも知られたくない」と悩むカオリさんが選択できる手段はほとんど残されていないのです。保護者の方が理解を示してくれたら、お友達がカオリさんを諦めてくれたら、学校の先生が相談に乗ってくれたら・・・。そんなふうに願ったとしても、もし「失敗」してしまったらどうなるでしょうか。一度カミングアウトしてしまえば、もう後戻りは難しいものです。

 カオリさんのように、逸脱行為に関する調査で出会った「女の子」のうち、レズビアンやトランスジェンダーの当事者たちがいました。女子非行の領域では、売春経験(あるいは性被害経験)率は比較的高いように思います。性愛の対象とは異なる人との性行為を経験している「女の子」たちが一定数いるとしたら。彼女たちが犯罪や非行から離脱していく過程で必要なケアには、これまで想定もされなかったようなものが必要になるかもしれません。

 逸脱領域で論じられることの少なかった性的マイノリティの問題。まず、どのような「現実」があり、何が必要なのか。そこから考えていかなければいけないように思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?