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01 殺戮のBB

 西日が荒野を照らす。だがそれはどこぼんやりとかすみ、はっきりしないまどろみの夕焼け。薄く幕がかかったかのような空は、もう何十年、いや数百年になるらしい。
 それでも年々よくなってきていると、ニュースの向こうで偉い地質学者が言っていたが、目に見えてはっきりわかるものではなかったし、実感できるようなものでもなかった。
「腹減ったぁ……」
 唇の端に煙草を咥えたビアンカは、目的とする都市をスカイブルーの瞳に写しながら、どこか力なく言った。淡い西日に照らされたショートカットの髪は金髪。
 すらりと伸びた手足は白く、膝上を楽に二十センチは上で、左サイドに深いスリットの入った黒のレザースカートに、上は赤いキャミソール。はちきれそうな乳房はくっきりと谷間を作り、男を扇情的に誘うものがあったが、しかし咥え煙草でどこか気だるそうな表情を浮かべていては、少々近付き難い印象だ。
 さらに近付き難くしているのは、両足の太股に括りつけられてあるナイフホルスター。そこには左右両方に、ナイフが収められてある。
 そしてそんなやや物騒なビアンカの隣を歩く青年は、彼女の横顔を見つめて軽く溜め息を漏らした。
「うるさいですね。ビアはいつだってそればかりですよ」
 馬鹿丁寧な口調の青年の印象は黒。
 それもそのはず。身長百八十センチを越えるバートの、腰に届く程に長い髪は混じりけのない漆黒。荒野の西日を受けて、ダークブラウンに見える瞳だが、普段はそれでも漆黒に見える瞳は切れ長で涼しげだ。そして全身を黒で覆うのは、一目で聖職者とわかる詰襟のローマン・カラー。胸元にはプロテスタントであるクロスが掛けられていた。
 だがその神父バートもまた、口元には咥え煙草だ。ローマン・カラーの上着の左右は、不自然に膨らんでいて、そこには彼が愛用する銃が収められていた。服装ばかりが聖職者らしいが、彼もまたそのアンバランスな印象が近付き難い印象を与える。
「言いたくもなるだろ? どうすりゃ、ハートランドからここまで徒歩だよ。ありえねぇ」
 この荒野の向こうにある都市、ハートランドから歩くこと半日。すでにくたびれていた。
「私がバイクを壊したわけじゃないですよ。壊れたんですからしかたないでしょう? そんなに嫌なら、そのままハートランドに残ったらいいじゃないですか」
 互いに紫煙を吐き出し、それとなく視線を合わせると、うんざりしたように溜め息を漏らした。
「何日かは仕事はなしな。バートが引き受けたらなら一人でしろよ」
「安心なさって下さい。私も休暇くらいは欲しいのです」
 短くなった煙草を唇から放し、バートは荒野に投げ捨てた。岩場に当たった煙草は、火花を散らすように弾け、そのまま岩の隙間に転がり落ちて行く。まったく聖職者らしからぬ行為をしても、まったくためらいがない。
「それにしても報酬に、合わない仕事だったなぁ」
「そうですねぇ。バイクは壊れるし、徒歩で帰還ですからね。それなりの報酬は頂いたつもりでしたが、妙に損をしている気がします」
「それだけじゃないだろう?」
「なんですか? もっとやりたかったんですか?」
「そうだな。暴れたりなかったのもある」
 そう言って煙草を咥えたままの唇の端を、ニィィっと吊り上げて笑うと、酷く禍々しい気配を放つ。それは魔に魅入られているかのような、そんな不吉な笑みだった。
 プッっと咥えていた煙草を吐き捨て、ビアンカは両腕をぐっと天空に突き上げるようにして伸ばした。
「なんにせよ、今は早くくそったれなデッドシティに帰って、堂妙寺のところで飯食ってフラットで寝る」
「おや、一人寝ですか? お相手して差し上げてもいいのですよ?」
 涼しげな表情を浮かべるバートに、ビアンカは非常に嫌そうな、そう、それはまるで部屋の前の廊下で、ゴキブリが踏み潰されて死んでいるのを、発見してしまったようなそんな顔でバートを見上げた。
「冗談じゃねぇよ。あたしは疲れてんだ。おまえと寝るのは体力があるときだけだ。体力があっても、余程の欲求不満の時じゃねぇと、股開くつもりはねぇぞ、絶倫不感症が」
「なんですか、それ? 絶倫は認めますが、不感症は取り消していただきましょうか? それにまるで被害者のふりしないでくださいよ。何度もイカせてさしあげたでしょ?」
 やや不満そうに反論するが、バートの目元はからかうような色を滲ませている。
「それは認めるが。認めるが、それだけじゃないだろ。股が痛くなるほどやられりゃ、疲れてくるんだよ。早漏より遅漏の方がましと思っていたが、その認識はバートと寝たときから考えを改めている。早漏でも何度でもやれる男の方がいい」
 互いの肉体すらも知り尽くしている二人ではあったが、そこには恋愛感情など欠片も存在していない。二人にあるのは単なる性欲解消の相手と見なしているだけだ。
 信頼関係があるからこそ、二人で組んで仕事をしている。
 寝たいと双方が思えば、寝ることに抵抗感すらない。
 だがそれでも恋愛感情に発展しないのは、二人のこれまでのそれぞれの生い立ちのせいか、それともこんな混沌とした世界の申し子だからか。
 実際、愛だとか恋だなんて感情を信じている人間は、すくなくともデッドシティでは見かけたことはなかったし、そんな生ぬるいことを真顔で口に出来る連中は早晩死ぬ。必ず殺される。あの街はそういう連中の吹き溜まりだ。信じられるのは力だけ。
「あぁ、もう! そんなことはどうでもいい。あぁ、やっと街が見えてきたな」
 廃墟にしか見えない建物がそびえ立つ。実際そこは廃墟なのだ。
 二十三世紀の過去の遺産だ。

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#裏社会 #バイオレンス #ハードボイルド #遠未来



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