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占い師を目指すまで

🔯就職からこれまでの歩み🔯

元医療従事者で40代女性です。
現在は医療材料製造部門で働きながら、
兼業タロティストとしてオンライン上で活動しております。
(いずれはオフライン、対面での活動を致します)

私自身について順を追ってお話させていただきます。
(以下長文失礼いたします。)

子供の頃から縛られることが嫌いで自由が好きでした。
今でいう在宅ワークやノマドワーカー的な仕事に憧れました。

パソコンや機械が好きでそういう関連の仕事に就くか、
「人の役に立つ仕事がしたい」という想いを優先するか。
就職先を決めるときに悩みました。

父は特に細かいことを言う人ではなく。
母はすごく古典的な考えで真面目な人。
私の望む働き方は「現実を見なさい」と反対され、
諦めるしかありませんでした。

今思えばいわゆる「ドリームキラー」だったのでしょうね。
(いまだに口出しされますがw)

「公務員になりなさい!」って言うような人でして超安定思考。
私はそういう縛られた働き方は嫌でした。

でも仕事は真面目に頑張るタイプでした。
当時の私は、母の反対を押し切るだけのパワーも勇気もなく。
消去法で大学卒業後は医療職(事務)として働く道を選びました。

「医療の道なら安定してるし間違いない!」

就職当初は少人数で人にも環境にも恵まれていました。
初任給で家族にご馳走したり、初ボーナスをもらって感動したり。
学生時代のバイトと違って責任は重いですがやりがいもあって、
やること全てが新鮮でした。
このままずっとここで働いていくものと思っていました。

悪化する職場環境…

徐々に忙しくなって毎日残業が常態化

頼りにしていた先輩も結婚退職され、
スタッフも増員され環境がガラリと変わりました。

就職して数年後には残業時間がかなり増え、
鬼残業(月100時間余裕で超えてました)で体を壊し
内臓をやられてドクターストップ

そのときまだ20代後半。
体育会系出身だったのもあって、なんでも忍耐あるのみ!
辛いことも耐えて頑張るのが当たり前と思っていました。

・休日出勤あり
・週休2日制でも実際は休めない

今のようにストレスチェックも当然ありません。

当時の私はそれらを何1つ疑問にも思わず
ただ我武者羅に毎日頑張っていたのです。
(努力は必ず報われる的な)

私の世代は就職氷河期世代で、なかなか就職先も見つからず。
周りの友人もブラック企業でも簡単に辞めるわけにもいきませんでした。

我が家は私が高校生の時に父が大病をし、以前のように働けなくなり
私が働きながら勉強して家計を支える必要があったので、
同級生や周りよりも余計に頑張る必要がありました。

とうとう体に異変が…

私の異変に気が付いたのは母でした。

当の私は、自分の変化に全く気が付かず。
気付いたときには顔がパンパンに腫れて浮腫み
2階へ上がるだけで息切れがして、
体は鉛を付けたように重く思うように動かせませんでした。
免疫力が下がっていたので喉にも口内炎ができてめちゃくちゃ痛かった。

それら全て、仕事で疲れているせいだと思っていました。

(そんな状態の自分自身に気付いてないって…
私かなりヤバくないですか?www)

指摘されて初めて異変に気が付き、
変な詮索されるのも嫌で勤めていた病院では受診せず、
信頼できるかかりつけの近医を受診しました。
(当時は誰でも職員カルテを拝見できましたので…)

検査の結果、過労により自律神経の乱れと体の免疫機能がかなり低下して、
内臓が炎症を起こしていました。このまま今の生活を続けたら確実に死ぬ
できれば入院した方が良いとのことでしたが、
入院するのが嫌で自宅療養を選択しました。
(病院勤めなのに病院は嫌いですw)

休んでいる間も仕事のことばかり考えていました。
「休んだら誰かに迷惑をかける」
「申し訳ない…」


忙しい職場だったのと、個々に担当していた仕事が違い、
その人じゃないとわからない分業でした。
当時はマニュアルもなく、誰でもわかるシステムじゃなかった。

当然、私しか業務の流れもやり方も知らず、皆さん困ったと思います。
休んでいる間も何度か電話がかかってきました。
(病人なのに容赦ないですよねw)

多忙の中での療養に

2週間の療養期間
こんな長い休みは就職してから初めて。

「どうしよう?でも動けないし外出もできないし。」
ただただベッドで寝ているのみ。
みんなが働いている間、何もしてない自分に当初は罪悪感しかなく。
休んでいて体は楽なはずなのに全く休めず落ち着かない…

数日経ってからようやく
「ちゃんと復帰できるのかな?」
「戻ったらまた体壊すかな?」
など、
先の事を考える余裕が少し出てきました。

正直、私が2週間も休むのを快く思わないメンバーも居たと思います。
ただでさえ忙しいのに他人の仕事なんかやっていられない!
復帰した時も部署内に微妙な空気が流れていました。

忙しくなると人間、余裕がなくなります。
周りの人への気遣いや配慮もできなくなり、
時には厳しく当たってしまったり批判してしまうこともあるでしょう。

最初は少人数で穏やかな部署でしたが、
忙しくなり新たなメンバーも加わり年数が経つにつれて、
殺伐とした空気の部署に変わりました。

付いて行けずに辞める人も。
そのうち上司も交代となり内部事情に詳しいのは私だけになりました。

頼られるのは嬉しい反面、この頃から人間関係のゴタゴタ
殺伐とした空気のせいで仕事が非常にやりづらくなっていました。

求められるものも変わって来て、自分が目指していた理想とは
大きくかけ離れている現状
に心身ともにどんどん、しんどくなりました。

当時の私は、上司に意見することもできず。
後輩たちも私の言うことなど聞かず。
もはやまとまりなく空中分解寸前だったと思います。

「何のために働いているのか?」
「最初のやる気や目標はどこへ?」
「このままでは過労死するかも」

一旦、回復して職場復帰したものの…
両親は私がその職場で働き続けることに反対しました。
頼むから「辞めてくれ」と言われました。

体を壊した職場でこれからもずっと勤めて欲しくなかったのでしょう。
年齢は30代前半になっていました。

体を壊してから初めて、自分の将来やこれからの事を模索し始めました
どうやら私は自分を労わることは後回しで、周りを優先する性分のよう。
この性格は父譲りだと思います。

「誰かのために何かをしたい」

ちょうどその時に出会った医療専門職に憧れを抱き、
「これだ!」と思って、約9年勤めた職場を思いきって退職。
(行動起こすときは早かったようですw)

医療専門学校に通って必死に勉強して国家資格を取得し、
同じ医療系ですが今度は医療専門職として働き始めました。
この職種なら残業も少ないだろう。

さらなる困難が待ち受けているとは…

ところが…

思い描いていた理想と現実は全然違いました
むしろ前職より人間関係と気遣いが苦しかった

女性の多い職種で、医師と直接かかわる事が多くなり気疲れする毎日。
患者さんと接することは楽しくて好きでしたが…

いじわるな人も居ました。
嫌がらせ陰口お互いの悪口陰で言い合っていたり。

私の就職先がたまたま最悪だったのかわかりませんが、
この業界で良い噂がある職場は近くにはあまりありませんでした。
(当然そういう良い職場は人が辞めないから募集もないですよねw)

医師も気難しい人が多く
常に医師の機嫌を損ねないようにするのが大変でした。

医師全員ではないですが…
どこか看護師含めコメディカルを見下している人が多かったです。
医師ごとの好みに合わせるのも苦労した要因でした。

「医師と先輩方のご機嫌取りが私の仕事ですか?」
「私の本来の業務って違いますよね?」

医療は本来「患者ファースト」であるべきだと私は常に思っていました。
でも実際は、私の周りは違っていた。

優しい日もあるけど、気分次第で時に患者さんへもきつく当たり、
理解力のない高齢者の方を見下していたり。
気に入らない患者さんは他所へ紹介という名の押し付けをしたり。
VIPにだけはペコペコして対応が違ったり…

志高く専門職に就いたはいいけど、
日々疑問に思うことが増えてきて
そして人間関係にも疲れてきて
医療の現場に失望して、段々とモチベーションがなくなっていきました。

さらに同時期に愛猫がほぼ同時に慢性腎不全末期末期がん
宣告を受けました。2人とも近いうちに亡くなってしまう現実…。
私は絶望の淵に立たされました。

2人の病院通いで身体的にも精神的にも余裕はなくなっていきました。
そして仕事でミスをした私に追い討ちがかかります。

これまでの私へのいろいろな鬱憤も溜まっていたのでしょう。
それがきっかけで医師から私へのパワハラが始まりました。

もともと他のスタッフも気に入らない人にはいろいろやって、
辞めさせていましたが…

私も例外になくいろいろやられました。

他のスタッフがいないところで昼休み中に直接、口撃もされました。
あからさまに態度が変わり、私にだけ知らされていない事もありました。
業務も取り上げられました。
帰れと言われたこともあります。

挙げ出すとキリがありませんが…www
とにかく私を排除し辞めさせたかったのでしょう。

減給処分もされ続けました。
もちろんボーナスもなしです。
書面にもサインさせられました。
(後でわかったのは、これは違反で効力のないものだそうです)

そんな状態で9ヶ月ほど頑張っていました。

私は昔から人の悪口はなるべく言いたくなかったし、
愚痴もあまり人に話すタイプではありませんでした。
全て自分の内で解決しようとする人間でした。
(人に頼らなかったことで失敗したのもあるのですが…)

しかしある日、どうしてもしんどくなって
友人たちや母に正直に職場での私の現状を話しました。

仕事でミスしてちゃんとフォローできなかった
私自身を責められるかと思っていましたが…

「これ以上頑張る必要ない。」
「あなたは十分頑張った」
と褒めてくれました。

そこで初めて「私って頑張りすぎてたのかな?」と思いました。
誰かを頼ることもせず自己解決しようとしすぎていた。
それと同時に相手がモンスターであることも把握しました。

私は自分が正しいと思ったことは1度もありません
人それぞれの価値観や考え方があり、
それらは全てではないにしても尊重されるべきもの。

どちらかと言えば厳しい母のおかげで、
自己肯定感は非常に低い方だったと思います。
褒められた記憶もあまりなく、自分で自分を労うことも知りませんでした。

「自分の評価は他者が決めるもの
自分が自分を評価するわけではない。

だから他者からの評価が自分自身の正当な評価だと勘違いしていました。
でも必ずしも他者からの評価が100%正しいわけでもない。

私は無理をして話の通じないモンスターと対峙して、
必要以上に疲弊していました。
立場的にも当然、私に勝ち目はありません

「辞めれば楽になる」

わかっていたけど、ただ辞めるだけなのも相手の思う通りになるだけ。
理不尽な仕打ちをたくさんされて、タダで辞めるのは納得がいかなかった
(私の中にも闘志があったようですw)

私はある方に相談して、ある手段を使って反撃しました。
結果は私の意見が認められ相手の過ちが第3者に認められたのです。
減額されていた給与不支給のボーナスも全額支給されました。

それと同時に「2度とこの業界では働くまい!」と誓いました。
狭い特殊な業界で、モンスターがいる業界で顔も合わせたくなかったし、
同じ土俵で働きたくなかったからです。

…私は医療の現場から完全に去る決意をしました…

占いとの出会い…

仕事を辞めるか否か。
いや、辞めるのは自分の中でほぼ決めていたけど、
その先をどうするか迷いと不安を抱いていました。
年齢も若くはなかったからです。

「誰かに相談したいけど、でもなぁ」

私の周りは占いに頼ったことがある人が多かったのですが、
私はずっと疑心暗鬼でした。

「どうせテレビもやらせなのわかっているし」

先の出来事があり、崖っぷちになりかなり追い詰められていた私。
困ったときはいつも占いで解決できているという友人の話で、
占いに対する捉え方が変わりました。

「頼るんじゃなくてアドバイス的に受け止めてみれば?」
「ポジティブに考えたら良いと思うよ?」

たしかに…
私は占いってもっとヘビーなものだと思っていました。
金額もめちゃくちゃ高くて洗脳される的な。

「一度試してみるのも悪くないかな?」
そして知り合いに紹介してもらった占い師の元へ向かいました。

転職しようと思うがうまくいくか、これからの私についてなど聞きました。

言われた内容は割愛させていただきますw
母と私の関係性も合っていましたw

『あなたはすでに自分で答えを出しているでしょう?』
『一生働く星の元に生まれています。』
『これからはいろいろな仕事をされると思います。』
『自分が表に立つのではなく誰かを支える縁の下の力持ちな人です。』

「そうだ私は背中を押して欲しかったんだ!」
その時初めて気付きました。

「占いがその人の人生の全てを決めるわけではない。」
迷っている人の背中を押してくれるもの。

全て占い通りではないけど、今の私はいろいろな仕事をしていますw
タロティストもそのうちの1つ

占いに期待して行かなかった分、
私の中で何かが変わるきっかけを与えてくれました。

私は今、いろいろな仕事を経験して年齢も40代に突入し
ようやく人についてや人生のあれこれが理解できるように
なってきたと感じています。

いろいろな仕事を経験した上で、
いろんな人とも合わせる努力もしてきました。
同時に大変な思いや苦しい思いも人並み以上に経験して来ました。

占いを自分が実際に経験して、
これからもっと年齢を重ねて行く私にできる仕事で
年老いても将来働ける仕事って何かな?って考えました。

「人の役に立つ仕事がしたい」
この想いが叶えられるのは、「占い師」という職業だなと。

そしてオンライン上である占いの先生と出会いを果たします。

たまたま占いの勉強について検索していたときに、
ふと先生のオンライン講座が目に留まりました。

先生が書いておられる言葉が好きで。
私の中にスッと入って来ました。

そして謙虚で正直に話されるその姿勢が私には響いたのです。

その先生がいくつかの講義を開いておられることを知りました。
そしてこの先生で学びたいと思い、思い切って講座に参加しました!
(お値段も45分1800円ほどのお手頃な価格です)

思った通りに気さくでお人柄がよくわかる先生だなと感じ、
この先生の元でタロティストとしての一歩を歩みだしました。

仕事においても人生においても

先生はタロット以外の占いもされているので、
いずれ私も先生のようにタロット以外の占いも取り入れて
占いであなたの充実した人生を実現するのに貢献していきたいです!
(生涯、勉強ですw)

有名なPDCAサイクルですが…
人生そのものがPDCAサイクルだなって思っています。

計画通りに上手く行くことばかりじゃない。
なぜ失敗したのか、なぜうまくいったのか?

人生に行き詰まったときに、1つの手段として占いがあって。
そしてそれがきっかけであなたがまた歩み出せる

今すごく悩んでいるあなたも大丈夫です!
一緒に人生を好転させ生きる力を取り戻しましょう!

私をきっかけに羽ばたいていただくのが私の目標です。
そして1日1回でも笑顔で過ごせる時間があれば良い

いつか占いを卒業される日が来ても、
あなたの幸せを私は常に願っております。

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