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恒星

星には2種類ある。
自ら光を放つ恒星と、他の星の光を反射することで輝く惑星だ。
朝を知らせる太陽は恒星で、夜を照らす月は惑星だ。

人は誰しもが、それぞれの色で輝いているが、僕の色とはなんだろうか。
折角の人生なら、誰かにとっての恒星でありたい。

これはある友達の話。
まだ寒かった4月の夜。
品川のビルの下で、ビールを飲みながら語った日のことを思い出した。


ドラマのようなこともあるもんだな。と原付にまたがりながら思った。
矢のように過ぎた、9か月間の話だ。
12月の夜風は、頬骨のあたりを刺し続けているが、白い息を吐きながら家に向かっている。

高校までは王様だった。
身体能力とセンスと体躯で、サッカーというスポーツを謳歌した。
10番を背負い、エースとして君臨したかと思えば、中学生からはディフェンダーとしてゴール前に鍵をかけた。

漢と書いて「おとこ」と読むタイプの父親は、高校時代にやんちゃしていた。
卒業アルバムへの寄せ書きでは、みんながつらつらと個別対応している中、「俺は俺だ。」と書きなぐったらしい。
ローランドもびっくり、強烈な自我である。
その影響もあってか、チームで1番の人間としての振る舞いが染みついていった。
ちょっと強いチームになると1人はいるヤツ。
それが僕だった。

高校3年生でサイドバックからセンターバックになり、監督からは「すべての失点はお前の責任だ。」という言葉をもらった。
センターバックとは面白いポジションで、サイドバックとボランチを声で動かしながら、自らもチャレンジ&カバーで相手の攻撃をはじき、その上で攻撃に繫がるパスが要求される。
攻撃のキングがセンターフォワードなら、守備のキングは間違いなくセンターバックだ。

試合中の僕はというと、檄を飛ばし、闘う、クラシックなセンターバックだった。
サッカー選手でいうと、プジョルセルヒオ・ラモス、ファーディナンドなどが似ているだろうか。
当然、仲間のミスには厳しい声をかけた。
適度な緊張感をもって集中する必要があると考えたからだ。
一般にクラブユースよりも根性論の側面が強いとされている高校サッカーでは珍しいタイプではない。

気持ちを前面に押し出すスタイルでチームを引っ張ってきたが、
高校の全国大会出場をかけた試合で、僕のミスで負けてしまう。
情けなさが僕を貫いた。
頭のてっぺんから腰に掛けて、第三者によってぐりぐりと湾曲させられたような、胸を張ることが出来ない終幕を迎えたのだ。

「おい!しっかりやれよ!」「なんでやらねえんだよ!」
これまで仲間にかけた声が、一気に自分に降り注いでいる気がした。
18歳の少年にとっては、全てを否定されたような敗戦だった。
悔しさと悲しさと情けなさの涙を拭いた後は、全国大会に出たい。という感情だけが残った。
純粋な感情は本物だったようで、遠く離れた兵庫県でのチャレンジを即決させた。
あくまでも「俺は俺。」なのだ。

千葉出身の僕は、東京に近いという圧倒的な地の利を捨てて挑んでいくことに、一種のカッコよさを感じていた。
青の名門の門を叩く手は力強く握られていた。
高校生で果たせなかった夢を掴みに来た。
京都に近づいたからこれもこれで上京か。なんて思いながら、一人での生活が始まった。

指定校推薦での入学だった僕は、高校3年の3月には既に入部し、C2チーム(一番下のカテゴリー)で体育会生活をスタートすることになっていた。
スポーツ推薦の同期は2月に入部していてBチームスタートだが、一般入学の同期に比べたら大きなアドバンテージだ。
入部してすぐにダービー(カテゴリー別の紅白戦。頻繁に下剋上が起こる。)があった。

C2チームには指定校推薦で入部した同期が11人いたため、遠征の居残りのBチームのメンバーと同期11人での試合だった。
試合前に監督が「この試合でよかった7人は、来週からの静岡遠征に行ってもらいます。」と言った。
新入生にとっては、監督の何気ない一言でも、神のお告げのように聞こえることがある。
気合を入れて、とにかく等身大の自分を出し切った。
その甲斐あってか、遠征に同行するメンバーに選出された。
上々のスタートだ。

同行した遠征は2泊3日で、1日2試合を戦う過密スケジュールだったが、そこでも僕の勝負強さは発揮された。
同じ遠征にC1チームも別ブロックで参加していたのだが、この遠征での戦いぶりが評価され、入部1週間ちょっとでC1へ昇格した。
大学に戻るとまた、ダービーが行われた。
相手はまた、Bチーム。
僕に与えられたタスクは相手の4年生FWを潰すこと。
相手に仕事をさせないことをサッカーでは”潰す”と言う。
例外なく今回も、獲物を見つけたライオンの集中力を持って挑んだ。
カンナバーロバレージ並のカテナチオを構築した。
気持ちの入ったプレーとは、どんな人に対しても伝わるものである。
この試合でのプレーが評価され、Bチームへの昇格の切符を手にした。

ここまで入部して1か月もないくらい。
上手くいきすぎているくらいだった。
レスターのヴァーディーがこの話を聞いたら驚きを隠せないだろうな。


いい評価をされる。ということは誰しもが喜ぶことである。
入部からすぐに昇格を繰り返してきたことに、一種の高揚感があった。
2つ上のキャプテンは、一般入学でC2から上り詰めたんだっけな。と、妙な夢さえ見た気がする。
しかし、意気揚々とBチームに昇格してからというものの、めっきりダメだった。
練習では先んじてBチームにいたスポーツ推薦組や先輩とのレベルの差を見せつけられ、そのせいか試合でも上手くいかない日々が続いた。
競技に取り組んだ者ならば分かる、”肌感”が無理だと叫んでいた。
スポーツ推薦組は既にグループが形成されており、同期にもなじめないことが、1ヶ月前との対比を余計に強く認識させた。

物事が上手く行っていた後だからこそ、このギャップは沁みた。
このままCチームに戻るのも癪だが、かといってBチームでやっていける気もしない。
練習後に愚痴も世間話も言える人がいない。
ベッドに入り天井を見ていると気づいたら30分経っていたり、
気付けばシャワーを浴び続けていたり。
「俺は俺だ。」を言ってくれる人もいない新生活に、この苦しみは重くまとわりついた。

定期的にあるダービーの度に降格を覚悟したが、幸か不幸か、他のメンバーのミスなどで降格を免れていた。
あるまじきことに、そのミスすらも嬉しく思ってしまう時もあった。
何も楽しくない上に、自己嫌悪にすら陥った。

3月に門を叩いた固く結んだ手は、爪が食い込み、血が流れ、今や拳を作ってもいなかった。
全国大会に出る決心もかさぶたになり、はがれかけていた。
そんな自分が日本一を目指す集団にいることが恥ずかしくなった。
「サッカーを辞めるか。」「監督に降格を願い出るか。」なんとも無意味な2択を自分に突き付けていた。

5月15日も原付を停め、グラウンドまで15分、フラフラと歩いていた。
自分が良くないときに限って4年生が近くにいるものだ。
入部したての1回生からすれば、3つ上の先輩が神様に見えるのは、強豪校で部活をした経験のある人間ならば、誰しもが共感することだろう。
例外なく僕も、避けていることが気付かれないような距離を保ちながら、歩いていた。

すると、天竜人の方から、
「おいー、最近なんか悩んでるやろ。同期とは仲良くなれたか?」
と笑顔で話しかけてきた。
内心驚きつつも、嘘をつくこともせずに、スラスラと本心を話してしまうくらいには辛かったのだろう。

「自分には無理です。実力も伴ってないですし。何も貢献できてません。」
「監督には、カテゴリーを下げてくださいとお願いしようと思ってるんですが、そういうのって言ってOKなんですかね、、、?」
先輩の憐憫に似た表情が忘れられない。
「お前は間違ってる。何も貢献できてないとか言ってるけどな、俺はお前が頑張ってるのを知ってる。」
「いつも最後までボールを諦めないのはお前だし、体を張るのもお前だろ?」
「1年のお前が頑張ってるのを見たら、4年の俺が頑張れる。4年の俺が頑張れたら、チームが頑張れるはず。」
「下のカテゴリーからしたら、頑張るお前が光になってるはずだし。お前だって、誰かの原動力やからな。」

時間にして30秒、練習前の小さな小さな1場面が、世界に色を呼び戻した。
新郎が新婦のウェディングドレス姿を見て泣く動画や、初めて色を見た視覚障がいの人の動画と同じ、感動をした。
感情が動いた。
文字通り体が軽くなる感覚があった。
気付かなかった道路のたんぽぽが見える。
胸を張った。
「俺は俺だ。」と言ってくれる人はいなくとも、自分で言い聞かせることが出来そうな気がした。

その場面を境に、僕の足には翼が生えていた。
どこまでも飛んで行けそうな、しなやかで力強い羽だった。

馴染めないと思っていた同期だって、壁を作っていたのは僕の方だった。
物事が好転する瞬間とは、いつも思いがけない瞬間だ。
「その先輩のために頑張る。」という、これまでにない種類の希望を胸に走った。

チームも自分も好調だった6月に靭帯を切ってしまうが、そんなことは足枷にもならなかった。
もはや昔の自分とは違っていた。
「自分を応援してくれる人がいて、自分は誰かの力になれている。」と確信できたことが何よりの違いだ。
復帰後も、最高の先輩とサッカーをする日々が楽しくて、B2チームも好調を維持していた。

10月の全国大会出場をかけた試合にもスタメンで出場した。
その前の試合でB1が破れ、敵討ちをする形で臨む試合だった。
監督の「全国大会にはBチーム全体で挑む」という方針もあり、1年生の自分はスタメンを外れることを覚悟していたが、抜擢された。

やるしかない。
決戦の日は、サッカーにならないほどの大雨だった。
こういう気持ちが昂る悪条件の試合は、いつもよりアドレナリンが出るから好きだ。
神様が投げつけたような雨粒がユニフォームを叩くたびに、闘志が増していくような気がした。

誰かの思いを背負ってプレーすることほど誇らしいことはない。
芝生にスパイクが食い込むたびに力を感じ、相手に競り勝つたびに無意識の雄叫びをあげた。
5月には見えなかった光を知った僕は、ライオンの如くフィールドを駆けた。

サッカーには、フィールドにいる者にしか分からない”匂い”がある。
”流れ”とも呼ぶが、それがサッカーをドラマにする。
この試合もドラマの”匂い”があった。

「俺に武器はないが、最後に全員で繋いできたボールを叩きこむことは出来る。」が信条だったフォワードの先輩が、ワンタッチゴールでハットトリックを決めたのだ。
センターバックだったが、前十字靭帯を断裂し激しい守備が出来なくなった後に、自らフォワードへのコンバートを願い出た彼のパフォーマンスにチームは沸いた。
チームは歓喜した。
用意されていたかのような展開に、ライオンは吠えた。

振り返れば、雨など問題ではなかった。
俺たちならやれる。という確信よりも確信に近いものがあった。
僕も初めての全国大会出場がこのチームであることを今も誇っている。

全国大会の予選はブロック方式で4チームで1つの出場枠を争うことになっていた。
H大学には、サブメンバーを主体にして快勝するも、S大学にはレギュラーメンバーを擁してが1-3で敗戦を喫してしまう。
決勝トーナメント出場には次戦のN大学に3点差以上での勝利に加え、グループ最下位のH大学が首位のS大学に勝たなければならないという絶望的な状況になっていた。

勝った上で他力本願。
負けず嫌いの集団において、これほどむず痒い状況はあるだろうか。
うつ伏せの勝利の女神を仰向けに動かす。
全身に力を宿して挑んだ。

チームは強かった。
練習通りの攻撃がハマり、守備は連動する壁のようだった。

しかし、勝利の女神は寝返りそうになかった。
2-0で勝利したものの、グラウンドには大粒の涙が吸い込まれていった。
終わりだ。

僕を救った先輩は、ベンチにすらいなかった。
スタンドにいる姿を見つけると、情けなさと申し訳なさ、悲しさと悔しさの涙が止まらなかった。
青を纏う者は例外なく目を濡らしていた。
一人を除いて。

「おい」

「何を泣いている。まだ決まってもないのに、うちのチームは腰抜けばかりか。」
「日本一になるんだろう。練習するぞ。」

監督は檄を飛ばしたが、選手には誰一人として信じる者はいなかった。

沼を歩いているような足取りでバスへ乗り込んだ瞬間からTwitterを更新する音が止むことはなかった。
S大学の先制の知らせを受けて、凍った空気のままバスは練習場へ走り出した。

この状況を整理しろと言う方が無理なものである。
崖っぷち、いやもはや落下中かもしれない。
無理に顔をあげようとする事が野暮に思えるほど、鉛のように重たい空気だった。
が、無表情な時間を過ごし練習場に着く頃には、奇跡が起きていた。

「おい!見てみろ!」先輩が叫んだ。
H大学がS大学に大差をつけて勝っていたのだ。
窮鼠猫を嚙むか、火事場の馬鹿力か。
弱者が強者を喰らうことはサッカーでは珍しいことではないが、いざ自分の身で経験すると実感が湧かないものだ。

やっと理解したことは、まだサッカーができるということ。
僕を救った先輩と、愛する仲間と、まだ真剣勝負をしていられることに感激した。
誰に感謝をすればいいのか分からなかったので、思い切りボールを蹴っておいた。
サッカー選手の愛情表現なんか、こんなものだ。
心なしか、いつもよりボールが軽く感じた。

監督の言うことは正しい。
俺たちはツイているし、ノッている。
誰が出ても勝てる。
思い込みではなく、事実がそう思わせた。

もはや敵などいなかった。
ケンタウロスの足に、羽を生やし、スパルタの歩兵のごとく統率された集団は、倒れようともしなかった。

準決勝をサブメンバー主体で戦い、延長後半に勝ち越して勝利した。
決勝は、自らを「最後のピース」と呼んだ先輩の魂のゴールで勝ち切った。

初めての全国大会は、初めての日本一に変わり、最初の敵は最強の仲間になっていた。

何より、スタンドの先輩に感謝を伝えたかった。

あなたは僕にとっての恒星なのです。
暗い闇にいた僕に光を見せてくれたおかげで、僕の今があるのです。
いつ見ても輝いていたあの先輩はフィールドにいなくとも輝いていた。

走って先輩の元へ向かうと、
「ありがとう」
「こんな景色が見れるなんて、お前のおかげだ。本当にありがとう。」
と、言葉の花束を渡してくれた。

もちろん苦しいこともあった。
栄光の道は、舗装されておらず、激しい上下が存在するのが世の定理だ。
そんな道を歩いてこれたのはあなたのおかげなのです。

「先に言わないでくださいよ。僕こそ、本当にありがとうございました。」
先輩は笑っていた。
今度は、僕も笑っていた。

幸せだった。

お金や、恋愛などとは一味違った、満たされた気持ちに未だに名前をつけれていない。

そうこうしているうちに家に着いた。
原付を停め、家の鍵を開けたとき、いつかのメモが床に落ちていた。

拾い上げると、書き殴られた「俺は俺だ。」が目に飛び込んできた。

そうか、俺は俺か。

なら、俺は恒星になろう。
いつも輝いている、恒星になろう。
誰かのため。なんて綺麗事だと言われることもあるだろう。
だが、「俺は俺だ。」

誰かが言っていた例え話を思い出した。
「あなたは旅人。
夜道を歩いていて、灯火を持っているとする。
その灯火はあなたの周囲5mしか照らさない光だ。
風が強く、今にも消えそうだ。
では、消してしまっていいのか。
否、絶対に消してはいけないのだ。

あなたのその灯火は、100m先の旅人にすれば、唯一の光なのだ。
あなたにとっては小さな灯火でも、その旅人にすれば希望の光のはずだ。
だから、何があっても消してはいけない。

旅人が近づいてきたら、その火を分け与えなさい。
もっと大きな光を放つだろう。
そうしたらどうだ。
さらに遠くの人の希望になれる。
だから、あなたの火を消してはならないのだ。」

この夜から4年が経ち、芝生のフィールドは東京のオフィスになり、サッカーボールはノートパソコンに変わった。
だがしかし、僕は恒星であり続けている。
火を灯し続けている。

仲間と共に、4年前よりも大きな火を灯している。

どんなところにいても光る星であるべく、僕は今日も生きている。
誰かにとっての光でいられれば、僕はそれで幸せだ。

MODEL:降旗 光星

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引用:関西学院大学サッカー部 Twitter
http://kgusoccer.com/blog/archives/958
https://new-one.co.jp/recruit/archive/8617/ 
1998年4月5日 千葉県出身
大学まで全国大会、県選抜の経験がない中、関西学院大学のサッカー部に入部し、2回生時には天皇杯でJ1のG大阪を倒すジャイアントキリングを起こした時のメンバー。
現在は東京で働いている。


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