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人は鏡。

「あなたの周りの5人を思い浮かべなさい。その5人の平均があなただ。」
 ジム・ローンの名言は、発言者よりもその言葉の方が知られている最大の例の一つだ。

あなたがやったことは必ずあなたに返ってくる。
だから、あなたは人に優しくしなければならない。
優しい人は優しい人の元に集まる。
友人は鏡になる。
貴方を写し、貴方は友人を映す。

あなたが美しくいたいのならば、まずは美しい鏡を作ることだ。

回顧

幼少期から、末っ子の特権をすべて使い果たすほど愛された。

甘やかされたというわけではない。
ただ、家で最後の無垢さを保っていたがために、人の興味を引いた。
私が踊れば皆が沸き、寝れば寝顔を見に来た。

6つ上の姉が高校を卒業するタイミングで、私も小学校を卒業した。
相変わらずの天真爛漫さは、親すらも驚くほどだった。
ボタンがあれば押してみたくなり、花があれば匂いを嗅ぎたくなる。
それを恥ずかしいと思うことが大人になるという事ならば、私は6歳からの変化はなかったと言える。

ただ、それを悪としないにこやかな家族のおかげで、私は小さいながらに愛を受け取ることに慣れていたらしい。
愛された実感は過去を振り返って初めて手に入るが、未来永劫変わらぬものだと信じることが出来た。

ただ歳を重ねるごとに周囲の社会は愚かに成熟していく。
12歳によって作られる社会は歪だがある意味正確に現代社会を投影していて、可愛い、不細工、肥満、やせ型のどこかの象限に分類され、それに相応しい振る舞いを求められる。

人一倍幼かった私も流石にそれは感じ取ることが出来た。
1年、2年と過ごしていくと、少しずつ私自身が適応している感覚があった。
明るい私は、楽しそうな人が集まるグループにいた。
それがスクールカーストと呼ばれるピラミッドの上部に位置していたことは当時は知る由もなったかったが。

いじめや差別はダメなことです。
道徳の授業で繰り返される指導は、理由を説明しない教師のせいで生徒には響いていない。

された人が可哀想だからやめましょう。
自分がされたら嫌なことは人にしないようにしましょう。
そのもう一つ奥の奥まで、私は答えを知りたがっていた。

なぜ人は悲しむのか。
なぜ差別されたら悲しいのか。
14歳の頭には難題で、10分もすればその思考はなかったことになった。

文部科学省が道徳や倫理をどれほど増やしたとしても、いじめが問題になっても、スクールカーストというものは存在する。
10代の多くは、できるだけそのピラミッドの上にいようとするのが常だ。
その過程で、上に行こうとする者、ドロップアウトする者、諦めて留まる者、全く別の場所に居場所を求める者と分かれる。

私も例に漏れず、上であろうとした。
なぜだか知らないが、その階級の上にいるということは、ある種の免罪符を持っている気になるのだ。
誰かを貶したり、ルールを破ったりできる。
意図せず得た特権であったが、徐々に違和感もなくなり、立派な現状維持バイアスによって私の振る舞いは少しずつ変わっていた。

まだ幼い私は、慣れた相槌を悪口の上で打っていた。
容姿や振る舞い、事実無根の噂まで、幅広い揚げ足取りに今では感服する。

この頃から肌に赤みが目立ち始めた。
テレビや雑誌の中の女の子は、皆ピカピカの白い肌をしているのに、私だけなぜか足かせをつけられている気持ちになったが、それを受け入れられるほどの度量もなく、とにかく見て見ぬ振りをした。
思春期で荒れた肌はカーストには無関係ではなかったが、むしろカーストを維持し続けることでコンプレックスから逃げられる気がしていた。

家の鏡の中の私は可愛く見えるのに、学校のトイレの鏡の中の私は必要以上にブサイクに見える。
ヤバイよねと締めくくり、ケラケラと4人で笑っていた。

文化祭はいつもの4人で一緒に動こうよ。
誰が言わなくてもそうなっていただろうが、私は念押しするように約束を持ちかけた。

レンガを運ぶ民に指示する立場であるためには、ある一定以上の役職があることがベストだ。
私は文化祭のクラス委員長を担った。
30人のクラスのうちたった7人の意見をまとめ、クラスの意見として学年主任に伝えに行き、白雪姫の劇をやることに決まった。

いつもの4人とイケてるアイツら3人で主演を固めて、残りの23人は上手いこと手伝ってもらおう。
全員でやるのが文化祭でしょ。
左脳でその役割を考えながら、右脳は私を納得させていた。

授業を受けて、劇の練習をして、コンビニでたむろして帰る。
18時を回ってからはドラマでよく見る悪い同級生の役者の真似をした。
あいつの彼氏は手汗がすごいとか、他校にイケメンがいるらしいとか、
私たちが話しているのに、話の中に私たちが登場することはなかった。

「菜子は彼氏作らんの?」
1時間ぶりに話題が返って来た。
「みんなでおる方が楽しいんよね〜。」
と神経反射で返した。

浮ついた気持ちに追いつかない処理能力は、睡眠時間を削った。
そのせいか日に日に増えるニキビを、黙って見ているしかなかった。
家と学校では肌の見え方が違うのも、余計に腹立たしかった。

間に合わないと思って急いでいると、大概のことは余裕を持って間に合うものだ。
この劇も霊に漏れないだろうと思っていたものの、いざ大詰めになってもギアの上がらない皆んなに苛立っていた。
いつもの4人は大量のセリフに半ば放棄しているし、イケていると思っていたあいつらは端でセックスの話をしている。
無理矢理役割を与えた残りの者は、統率されない演者に怒りを抱えていたが、ただ押し殺すことだけに意識を向けて座り込んでいた。

ひとえに私の無計画さとその他6人の責任感のなさ、集団の意思決定の過程を無視したことに後悔が募り、それらは程なく怒りに変わった。

「ちゃんとやってよ!間に合わんやん。」
どこへともなく叫ぶと、あたり一面の音を誰かが取り上げてしまった。

主演格の6人は帰った。
私は終わった。
私の中にあった一握りの真面目さが、ついに顔を出してしまった。

足音のみが聞こえる大きな箱の中で、
照明係と音響係と私で後片付けをしながら、喉に綿を詰め込まれたような息苦しさに耐えた。
情けないもので、偽の私はこんなときに明るく振る舞えない。
ごめんね。とも、ちゃんとやれよ。とも、立ち位置を決めきれない。

帰り道の街灯は決まったリズムで私を照らしていたが、徐々に遅くなっていくことが感じとれた。
家に着く頃には、世界で孤立したような気がした。

私が終わったと言うことは、この劇も終わったのだ。
そこから練習中はおろか、あらゆる場面において私は1人になった。

親すらも恥じるような本番を終え、同情と嘲りを含んだ拍手を受けると、私はいないものとされた。
私に回ってくるはずのないと思っていた「無視」が急遽訪れたのだ。
これまでの振る舞いが祟って、私には仲間というものがいなかった。
少女の強がりは3日と持たず、4日目からは記憶すら曖昧だ。


たまにサボって家に篭っては、笑っていいとも!と再放送のドラマを観る。
せめて人間の生活をしようと向かった洗面所では、赤みがこびりついた肌を見つめるしかなかった。
醜い私は、既に崩壊しかけていた。

あいつらさえちゃんと動いていれば。
全てあいつらのせいにしてやりたかったが、すると私の内も外も泥で造られているように思えてきて、何度か鏡にモノを投げつけようとした。
結局モノを投げることも出来ない弱い私は泣くことしか出来なかった。

鏡はいつも、正しく物事を映す。
今の私が醜いことは、紛れもない事実だった。
14歳の私は、突然崖から突き落とされたのである。

冬を跨ぎ春。
3年のクラス替えで、あの4人とは違うクラスになった。
全てを知らん顔をして生活する決意をした。
その時点で何にも期待していなかった。
将来への希望はないが、とりあえずこれ以上異端になることは避けようと本能が訴えかけていた。

愚かな階級で言えば、今の私はどこにいるのだろうか。
もしかしたらどこにもいないのかもしれない。
何にしてもとにかく、黒板に書かれる線を同じようにノートに写すことだけに時間を使った。

もちろん時は過ぎる。
面白いもので、私にはまた友達のような人が出来た。
顔は中の下、勉強は出来ない。
女子バレー部のマネージャーか何かをしているらしいが本当のところは知らない。
カーストには属さない子。
他国の人間だった。
意図してかどうかは不明だが、我関せず、されど我あり。を地でいく強さを感じた。

彼女は唇が美しい子だった。
彼女は美しい言葉を話す子だった。

発音や文法の話ではない、
ただいつも誰も傷付かぬよう、それでいてしっかりと伝わるように、言葉を手渡ししてくるような子だった。

結局最後の1年のほとんどは彼女と過ごした。
夜中にコンビニでたむろしたり、誰かの噂話をすることはなかったが、家に着いたときの充実感は去年とは比べ物にならなかった。
風呂あがりに顔を見ることも怖がっていたことも忘れていた。

そういえば私は悪口を言わなくなった。
誰かを貶めて相対的に上にいようとする必要がなくなったのか、
素直に褒めて、感動して、それを口にする彼女の振る舞いが移ってきた。
物事のいい部分を見ようとすることで広がった視野は私をひどく感動させた。

言葉は一度発してしまえば戻すことは出来ない。
だから言葉には気をつけなさい。と父親から言われたような記憶があるが、
私は、良くも悪くも誰かに投げた言葉は誰かの口を介して返ってくると思っている。
だから、相手を傷つけないように、私を傷つけないように、言葉は選ばなければならない。
届け先がない手紙が返ってくるように、誰に投げたわけでもない言葉でさえ、誰かを経由して必ず戻ってくる。

明るい気持ちで過ごしたいのなら、明るい言葉を発さなければならない。
明るい言葉を使えば口角が上がる。
近所のケーキ屋のガラスに映る私の顔は、1年前よりも少しだけ綺麗になったように見えた。

高校生活でも私は明るく振舞った。
意識せずとも明るくいられる友のおかげだといえばそうだ。
私が明るいから友達も明るいのか。友達が明るいから私も明るいのか。
鶏が先か卵が先かの禅問答を何度かした気がする。

高校生ではアルバイトを始めた。
そして、給料の多くを服につぎ込んだ。
好きな服を着ることは、肌のせいで下がった自己肯定感を補って余りある効用があったからだ。
幼少期からアイドルに憧れていたこともあり、キラキラしたものが好きだった。
私は、私なりの色を表現するために躍起になった。

確かに高くついたが、好きな服を着て鏡で自分を見ているとなんでも出来るような気持ちになる。
私には、好きな服を着ることが必要だったのだ。

警固公園にて

「よー飲んだね〜。最高やった〜。」
と言い、セブンイレブンの缶チューハイを開けた。

気の置けない友人との酒の席は、何時間あっても足りないくらいだ。
「なんでそれを分かってくれるの?」と何度も心の中で叫んでしまった。
世の中は自分と似た価値観の人がちゃんといるように出来てるんだなと思った。

佳子とは2年の仲だ。
たまたま苗字が近く、名前が似ていたことがきっかけで、行動を共にするようになった。

「佳子とおったら彼氏いらんわ〜。」
とヘラヘラしながら言ったが、実は冗談ではない。
本気で、何度も、佳子が男だったらいいのにと思った。

私は男運がない。
もしくは、見る目がない。
と言うのも、付き合って半年を超えることがないのである。
正直な話、私はモテる。
きっとそれは愛嬌であったり、バストのおかげでもある。
そして告白されて付き合って、結局私が振ってしまう。

私たちは交番横の石段に座り、「何遍も恋の辛さを味わったって 不思議なくらい人はまた恋に落ちて行く」
と言う歌詞について語っていた。

裸を見せ合った2人が、ある瞬間を境に触れることも電話をすることも止めましょうということ自体が、どう考えたって残酷だ。
それで病む人もいれば、死ぬ人もいる位だ。

私もどうせ、また恋をする。
そして終わる。

18歳を超えたくらいから、急に結婚が頭にチラつき出した。
ただ、今の相手がそれに適しているのかを判断するための材料が不足している。
結婚するために必要な経験をするために付き合っているのだとしたら、それは何かを履き違えているが、かと言って常に結婚を頭に入れておくのも大変なことだ。
そう考えたら「付き合う」と言う関係が不思議なものに感じられる。
そもそも結婚と言う前提無くして恋愛が出来るのかが謎だ。

ヘテロセクシャルの私は、その人といるとなぜか心が安らぐことや、単純に異性として惹かれるものがあれば、恋愛関係を目指す進路以外は選ぶことができない。
自分にも、相手にとっても丁寧に考えるべきだが、付き合わずに相手を見極めようとすることは野暮だと思うと、付き合うことへのハードルはグンと下がる。

別れれば私はいつも泣く。
最後通知を私が切り出したかどうかは関わらず。
それが悲しさなのか悔しさなのか寂しさなのかは定かではないが、堰を切ったように湧き出る感情を抑えることができない。
小さい私のどこにあの源流があるのだろうか。

ナンパ公園とも呼ばれる警固公園は徐々にそれらしい男が増えて来て、私達にも声をかけて来た。
「お姉さん達何してるの?」
と未成年らしい男が言った。
佳子が手の甲で2度風を切り、追い払った。
「そんな安くねーよ。」
と言い捨てて、公園を後にしたが、妙なキザっぷりに2人して吹き出してしまった。

大学生の夏休みは長い。
ただでさえ2ヶ月間の休暇があるにも関わらず、それを少しでも増やそうと履修表と睨めっこするから面白い。

春の恋の傷心も癒えた私は、テスト勉強の片手間に夏休みの予定を立てている。
大学生の予定はバイトによって大きく左右される。
労働時間と収入と予定を何度もシュミレーションしているうちに、とうとう夜になってしまっていた。

Instagramを開くと、「テスト詰んだ。」などというストーリーが飛び交っている。
例に漏れず私も投稿した。
珍しく今日はコメントが来ていた。
通知を開くと、圭介からだった。
「俺もやばい、ガチ追い込も。」

目的もないメッセージのやりとりをする意味を見い出せないから、1往復程度で完結するメッセージを送ってくれる人は好きだ。
圭介は流石にその辺りを的確に押さえてくる。

「それな。頑張ろ。」
とだけ返信し、来たメッセージにダブルタップしておいた。
携帯の電源を落とし、風呂に入ろうとした瞬間に、また通知音が鳴った。

「てかさ、テスト終わったらご飯いかん?お疲れ様会しよ」
彼女がいると言う話も聞いておらず、断る理由もなかったから
「いいよん。いつにしよっか?」
と返した。
お互いに最後のテストが終わった日の夜に日程が決まったところで、私は風呂に向かった。

そういえばあいつと別れてから男子とご飯行くの初めてかも。と、浮かんで来た。
鏡に写る私は、中学生時代よりも綺麗になった肌と、大人の女性の身体をしていた。
今日はいつもより少し丁寧にスキンケアとヘアケアをした。

テストは1つを残して単位は取れそうだった。
最後のテスト終わりに佳子とたむろしてテストの自己採点トークをしていた。
「菜子今日飲み行こうよ!」
と誘ってくれたが、丁重に断っておいた。
圭介のことはおくびにも出さずにいたが、こう言う話題を事後報告サプライズとして伝えたい気持ちがあったのだ。

家に帰りシャワーを浴び、服を着替えてメイクをし直した。
香水を選ぶときには、自然と鼻歌交じりになっていた。
いくらメンズメイクが普及して来たとは言え、まだまだメイクは女性のものだと思っている。
誰に会うのかやどこに行くのか、今の気分を考えてメイクや服選びをする時間誰にも邪魔されたくない時間の1つだ。
今日も音楽を流して、ファッションショーを開催した。
選んだのは、ヴィンテージの黄色のワンピースだ。
パーソナルカラーを診断してもらい、自分にあった服を選ぶことが主流になりつつあるが、私は私が気に入った服を着るタイプだ。
女の子は笑顔でさえいれば、服も自然とすり寄ってくると思っている。

服もメイクもお気に入り。
少し曇りがかった空も良し。
かわいい声が特徴のバンドの曲を聴きながら、待ち合わせの大名へ向かった。

ぶっちゃけ圭介はモテる男だ。
身長こそ172cm(だった気がする)だが、サラサラのストレートヘアに外ハネのセンターパートで、しっかりと流行を抑えた服装をする。
タバコは吸わないし、話もちゃんと面白い。
今風に言えば、インスタ映えする男だ。
上手いこといけば今年の夏は楽しめそうだななんて妄想しながらバスに揺られた。

あえて15分早く着くように計算していた。
メイクも髪も服も、会う直前の最終チェックに合格しなければ台無しだからだ。
ガラスの反射を鏡代わりにして私を見たが、ちゃんと可愛かった。
心の中でガッツポーズをし、使い切りそうなDIORのアディクトを塗り直して彼を待った。

時間通りに合流し店に入る。
背もたれがある方に座らせてくれたり、水を注いでくれたりと抜け目のないやつだ。

圭介は佳子のことも知っていて、2回ほど同じ講義を履修していたが、ここ2ヶ月は連絡も取っていなかった。
空いた2ヶ月間の話をしていると時間は猛烈なスピードで過ぎていたようだった。
笑い疲れたくらいで区切りよく会計をお願いした。
伝票が届く間に次の会う予定を決めようと言うことになった。
日にちが決まり、佳子も呼ぶ?と私が聞くと、彼はいや、いいよ。と言ったところで伝票が到着した。

帰り道、私は満たされていた。
私が準備にかけた時間と気持ちとお金をしっかりと同等以上のもので返された気がしたからだ。
家についても、小さなスキップをしたり、有名なラブソングを歌ってしまうくらいには舞い上がっていた。
また、私は恋をしたようだ。
洗面所の鏡の中の私は心なしか艶めかしく見えた。

2回目のデートは糸島へのドライブだった。
途中で塩プリンを買い、ケツメイシを流しながら海岸線を走った。
18時にはももち浜付近のパスタ屋でディナーをして、福岡タワーを背に波の音を聞いていた。

福岡在住のカップルであれば必ず通るであろう王道を行ったにも関わらず、えらく新鮮に感じることができた。
恋の始まりとは、ふと花屋を覗いたり、いつもの信号待ちが短く感じたりするものだ。
心に豊さと彩りを与えてくれると言う点で、幸せな人生には不可欠なもののように思える。

圭介はちゃんと告白してくれた。
1つ1つ外さないやつだ。
断る理由などどこにあろうか、私は大きく大きく頷いた。

「佳子〜!結局付き合うことになった!」と帰りのバスでLINEした。
1回目のデートの後に事の顛末を伝えていて、いつも応援してくれている佳子には真っ先に伝えたかった。
送った刹那「え〜やったやん!ダブルデートしようね!」と返事がきた。
佳子は本当に機嫌を下げない友達だ。

大学生は有り余る時間の割にお金がない。
奨学金を借りていた私は、バイト代をコツコツ貯めて旅行をすることが趣味だった。

圭介もその辺を理解してくれているから、いつも夜の散歩やドライブと言った安く楽しめるデートコースを考えてくれる。
誕生日と1年記念日はヒルトンでディナーしようねと言ってくれたから、私はいっそうバイトにやる気が出た。

8月はほぼ毎日会った。
付き合いたての時期は出来るだけ会う回数を重ねることが大切だと誰かが言っていたのを覚えている。
圭介も経験豊富な方だろうから、安心して身を委ねれるのが良かった。

8月20日は佳子と3人で花火をすることになっていた。
コンビニでチューハイと花火を買って、近くの公園で宴を開いていた。
上機嫌な2人にBluetoothスピーカーから流れる小気味いいポップ・ミュージックが心地よかった。
時が止まればいいのに。
胃の奥底の辺りから湧き上がる幸せを何度も思い切り噛みしめていた。
もしも神様がいたら、ハイタッチをして、グータッチをして、ハグをしてあげたい。

花火も落ち着いた頃、不意に圭介が言った。
「そういえば佳子って肌綺麗よね。菜子もアドバイスもらってみたら?」
「え?」
「いや佳子肌綺麗やからさ、洗顔とかスキンケアとか習ったらいいやん!」

佳子がぎょっとした顔になるのが分かった。
佳子は私が肌にコンプレックスを抱えているのを知っている。
圭介にも、いつか言ったはずだ。
やめて。菜子にそんなこと言わないで。と言いたいことは佳子の顔を見て読み取れる。

圭介も圭介で悪気がない。
確かに以前コンプレックスだと伝えたときは、サラッとヘラヘラしながら伝えた気もする。
楽しげな雰囲気を崩したくなかった私は、圭介の言葉を信じたくなくて適当な相槌を打って話を変えた。

確かに肌が綺麗とは言えないことは事実だ。
ただ、付き合って1か月の有頂天な時期、夏の夜に親友との花火のタイミングで言われただけに、私の落ち込み様はすさまじかった。

帰りは圭介と一緒にバスで帰ったが、どうしてもいつもの笑顔で返事が出来ない。
「疲れたね。」
にたいして、うん。と返したところで圭介の家に到着した。

もう何度も来たことのある部屋だったが、今日はどうもよそよそしく感じる。
シャワーを浴びて、一緒の布団に入ったが、どうしても気が乗らない。
今は背を向けたい気分ですらある。
それでも寂しさや甘えたさに打ち勝つことは出来ず、背中側から腕を回した。

携帯をいじっていた圭介が
「なんだ怒ってんのかと思った。」と言い、振り返ってきた。
同じシャンプーと歯磨き粉の匂いが漂う。
一緒に寝るときは、圭介は子供に話しかけるような話し方になる。
彼なりの雰囲気作りなのだろう。

疲れてただけ、今は元気だよと言ったところで、圭介はキスをしてきた。
拒む気もなかった私は彼を受け入れたが、内心乗り気ではなかった。

シャワーの後工程を煩わしく思った私は、ムダ毛の処理もしていなかった。
昨日までなら完璧にして会いたかったが、今日は妥協していいと思う。

圭介は全身を使って私を愛している振りをする。
それはどこまでも野生に近づこうとする作業である。
いつもならそれに私も応じるのだが、どうしても今日はそんな気になれない。
後味の悪い日になった。

歯に挟まった野菜の繊維のように、小さな違和感に限って長く続くもので、私はそれ以来圭介の小さな一言を気にするようになってしまった。
意図せず言葉の裏を覗こうとして、愛を愛として受け取ることが出来なくなった。

圭介と付き合って2か月目に差し掛かろうとするとき、既に圭介を想ってはいなかった。
あれ以来、気分の乗らないセックスや悪気のない冗談が目につくようになってしまい、それらは毎回私の心にアザを増やしていった。
会っても笑顔ではいられず、その度に圭介は冷たくなっていくような気がした。

肌や足に抱えた悩みの種を折角枯れさせていたのにも関わらず、ふとした場面でそれを掘り返してはご丁寧に水を撒いてくれる。
私は制止することもできずに、ただただ傷ついていた。

Red Hot Chillipeppersが流れるカフェから

機嫌の上がらない日には、私は感性を頼ることにしている。
福岡に来て以来行きつけのカフェでコーヒーを飲みながら、好きな雑誌を読んでいた。
粗挽き中煎りもコーヒーの程よい酸味が癖になる。
BGMはロックバンドの曲が多く、内装とはミスマッチだが、その妙なバランスに私は惚れている。

Red Hot ChillipepersのUnder the Bridgeが流れ始めたころに佳子が来た。
おっ、と目を合わせ、無言のうちに相席するためにテーブルを整えた。
仲のいい友達とは言葉を介さずとも意思が伝わるときがある。
脳内をAir Dropしているような気持ちだ。

席につくや否や、佳子は「最近どうなん?」と言った。
そして、私の一言目の表情ですべてを読み取った佳子は、なるほどなという顔をした。

整理できないままに、時間をかけて事を伝えた。
「デリカシーがないなあ。」
と佳子こぼした。

女性に対してのルッキズムや既存の”女らしさ”は置いておいて、私は私の憧れている女性になりたかった。
私は、私のために美しくいたいだけなのだ。
向き合いたくなかったコンプレックスとも向き合って、膝を合わせて話してきたつもりである。
そこに対してのリスペクトを感じられず、自尊心が下がっているという事が分かった。

私は自分のために、悪口を言わなかった。
圭介を悪く言えば、また中学時代に戻ってしまう気がして怖かった。
出来るだけ中立に立って、第三者目線を受け入れて、脳からキャタピラに乗って流れてくる”言いたい事”を右に左に分別しながら話した。
「ただ、冷めてしまって、向き合う気にすらならない」という結論は、今の私に大きな納得感があった。

人に話すという行為は心を軽くし、頭を整える。
後の2時間の話も楽しかったが、なにより今の状況を理解できたことを幸運に思った。

夜、私はその足で圭介の元へ向かった。
電話をかけてマンションの下まで降りてきてもらうと、圭介の口角は上がっていた。
まだ有頂天の中にいるみたいだ。

苦い気持ちがしたが、私は一緒にいたくないと伝えた。
圭介の顔色がどんどん悪くなるのが分かったが、必死に続けた。
私はきっと「ごめん。」が欲しかったのだろう。
もしもその時鏡があったなら、私も渋い顔をしていたはずだ。
一度水をかけてしまった木炭は、燃えるまでに時間をかけて乾く必要がある。あなたは私に水をかけて、私は乾く努力をしたくない。
と丁寧に教えてあげた。
最後に、頑張れなくてごめんね。と、細々とした煙のような声で締めた。

帰り道は案の定泣いていた。
なぜいつもこうなのか。
新しさに希望を持ち、人を信じ、私なりの精一杯で真正面から向き合っているはずなのに、それが報われた試しがない。

帰り道の途中、池のある小さな公園のベンチに座った。
家まではあと3分ほどだが、息を整えたかった。
涙は止んでいたが、今部屋に戻ると動けないと思ったからだ。

月が光っている。
池には風で動く枯れ葉と反射した月のみがある。
なにも思わず、それを見ていた。

その光は、月であって、月ではない。
月に触れたくて、水面に映った光を掬おうとしても、触れられもせずにいつかは水が減り、月すらも映らなくなる。
私が欲しいものもそこにあるようで、実像ではない。
私にとって恋や愛が水面の月のように思えてむなしくなった。

親元を離れた今、欲しいものは絶対的な安心を作る愛だった。
有限か無限かの議論は普遍的に存在するが、恋愛として無限に近い愛を達成しようとするときに、私はとびきり高いハードルを用意しているのかもしれない。

人は鏡。
愛されたいなら、まずは愛さなければならない。
ただ、その愛し方を知らなかった。
そもそも愛の意味を知らなかった。
未熟な私の愛は、彼にとっての愛だっただろうか。
私が知らないことを、彼に要求していたのだと分かってからは、自責の念に苛まれた。

物事には理由がある。
彼にも私を愛するべき理由を作ってあげられただろうか。
難しく考え出すと結局すべてが嫌になってしまう。
頭の中は、不規則に揺れながら海底に沈む平たい石のようだ。

そこから15分ほど経ったころに帰宅した。
毎朝、家を出る前に笑顔のチェックをしようと買った鏡に泣き顔が映っている。
鏡は良くも悪くも嘘をつかない。
私は、やっと私を受け入れることが出来た。

明朝、佳子にLINEを入れ、昨日の夜のことを報告した。
「それでいいと思うよ!飲みいこ!」
と返事が来た。
ちゃんと聞いているのかとツッコミたくなる文面だったが、私にとってひどく待望していたものに思えた。

スターゲイザー

私の夏休みは後2週間残っている。
波乱万丈だったが、この14日を無駄に過ごすことは避けたかった。

大好きな赤いサンダルにお気に入りのパンツを履いて、行きつけの古着屋でFruit of the Loomのヴィンテージの白シャツを買った。
夕方には大濠公園に向かうことにした。
夏の17時はまだ明るいが、ベンチで缶ビールを1本だけ飲むことにした。
誰とも一緒にいなくとも私はこうやって過ごしていける。

西新の古着屋から大濠公園行きのバス停までは少しだけ歩く。
ここら一体のこだわられた古着屋やカフェが醸し出す雰囲気が好きで、歩いているだけで満たされる。
お店の大きな窓ガラスに反射する私をチラチラとみてしまうほど、今日は機嫌がいい。

この世で一番美しいのは誰。
もし今、白雪姫の名台詞で問うたとしたら、鏡はきっと私だと言ってくれる。
そんな鏡を私は大切に磨いて、ホコリを払ってあげる。
人を思いやれるようになった私が作った鏡は、私を美しく映す。
私だからこそ、この鏡を作ることができたのかもしれない。
きっと今はジム・ローンの名言を理由に、胸を張って答える。
美しさとは、心が何を思い、目が何を見て、口が何を発したかに依存することを、実感せずにはいられない人生だ。

公園に着くまでに、窓の反射で何度か私を見た。
前髪の崩れを直し、澄ました顔をすると、目は輝いていた。
既に赤みは去って澄んだ肌は、私の宝物だ。
心に優しさと余裕が宿れば肌も美しくなった、心が荒みそうな時は鏡に映る肌が私を引き留めた。

鏡はありのままに映すが、それをどう見るのかは私次第だ。
美しいと思えるだけの心さえあれば、美しく見える。
私は、このままでいいんだと、ちゃんと分かっている。

MODEL:村山 菜子/Nako Murayama

菜子


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筆者とは大学4年時に出会う。
素直で、明るい性格が人を惹きつける。
現在は沖縄で管理栄養士をする傍ら、ハンドメイドアクセサリーを作っている。








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