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空転する「Why」、あるいはテッド・バンディ

『テッド・バンディ』(2019年、アメリカ)

1970年代のアメリカ各州で30人以上の女性を殺害した、アメリカ史上最悪の連続殺人鬼、テッド・バンディ。その姿を、「彼に出会っていながらも唯一殺されなかった女性」である恋人のエリザベス(リズ)の視点から描いた実録物。リズの自伝"The Phantom Prince: My Life with Ted Bundy"を原作にしている。

映画はリズ(リリー・コリンズ)とテッド(ザック・エフロン)が拘置所の面会室で再会し、出逢いを思い出すところから始まる。「出逢いを覚えてる?」「ああ、ひと目見て恋に落ちた」ーー。このように語り出されるふたりの出逢いはたしかにドラマチックで、ラ・ラ、ランドのエンディングか?と思った。原作題の"Prince"、マジでピッタリだと思う。この出逢いは運命?って気分をテッドは与えてくれる。まあ、崩れていくんですが…。

監督のジョー・バリンジャーは、長年ドキュメンタリーを撮り続けてきたらしい。しかし本作の魅力は、リズにとっての「現実」の移り行きを見事に構成した点にあると思う。連続殺人鬼を扱ってはいるものの、その視点はほぼリズに寄り添っているため、テッドによる「実際の」犯行のシーンはほぼない。しかし、その分、映画が進行していくにつれて、リズが見聞き、信じている「現実」に、徐々に新聞やテレビが報道する「現実」が介入してくる。映画終盤の「実際の」ニュース映像の挿入は、自分がリズになるような気分になった。

本作の原題は、日本版のポスターのコピーに使われている「Extremely Wicked, Shockingly Evil and Vile(極めて邪悪、衝撃的に凶悪で卑劣)」。テッド・バンディに死刑判決を下したエドワード・コワート判事(ジョン・マルコビッチ)が判決文の中で読み上げた言葉である。映画の最後に語られる、もう一つ印象的な言葉。「殺人者は長い牙を持ち、アゴから唾液を滴らせ、暗闇から現れたりしない。人々は自分たちの中に殺人者が潜んでいることに気づいていない。好きになり、愛し、一緒に暮らし、慕っている人物が、次の日には想像しうる限りの最も悪魔のような人間にならないとも限らない」。テッド・バンディの言葉なのですが、「お前が言うか」と思う一方で、「人間」と「悪」の本質を捉えていると思う。すなわち、「悪人は怪物の顔をしていない」のだ。

「テッド・バンディ」という邦題のおかげで一つ印象に残ったのは、映画内で、意外にもその名前がほとんど用いられていないこと。そして、ふたりの出逢いで明らかにテッドに惹かれているリズの「名前も知らないのに?」という言葉や、公判が進んでいくにつれてテッドが言った「名前が一人歩きしているみたいだよ」という言葉など、アメリカで余りにも多くの意味を含んでしまった一つの名前をめぐる映画でもあったと思う。成功した邦題だと思う。

そもそも「連続殺人鬼の恋人の自伝」があるってのがすごい。なお、1981年に初版、今年、テッドを父のように慕っていたリズの娘モリーの記述が追加された新装版が出たらしい。また、実際のテッド・バンディはかつて名門大学で法学を学んでおり、政治活動にも参加していて、とても弁論が得意だったらしい。ザック・エフロンのその辺りの再現度も素晴らしい。

ただ欲を言えば、もう少しリズの苦悩や疑念に寄り添うストーリーでもよかったのでは?とも思った。その辺が脚本に文句を付けられている部分だろうな。もちろん映画に一人称は不可能だから、そこは日記の挿入などの操作が必要になるだろうけど。でもそれだと嘘くさいし、終盤の畳み掛けるシーンの切迫感もなくなっちゃうか。難しい。


”Why done it?”(なぜ殺した?)はミステリーの構成要素の一つだけど、リズにとってテッドをめぐる問いは”Why not done it?(なぜ私を殺さなかったか)という形になる。ただ、映画で明らかになるのは、テッド・バンディという殺人鬼は、「動機」をめぐる問いかけ(Why)が空しくなるところに存在する、ということ。この怖さを味合わせてくれる良い映画であったと思います。グロいシーンがほぼないのも良い作りだった。

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