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釈迦の説がたり一日一話

     五月二十五日   感 情 

 私達は生きている間に、いつもさまざまな思いが心をゆさぶるものです。

 苦しい、切ない、悲しい、やるせない、また嬉しいなど、悲喜交々の思いが心を動かします。人間は感情の動物だと云われる位ですから。

 ところが、心が動揺して感情が高ぶってきますと、普段は温和しくしている本性がムキ出しに表われて、つい云わでもがなのことを云ってしまったり、後で取返しのつかないようなことをやりかねません。

 どんな思いでもとらわれ出したらいつもの自分とは一寸違うわけですから「普段の自分とは違うんだよ」と云いきかせて自重をすることです。そして早く元の自分に戻ることです。

 どんな思いも、時間が経てばやがては消え去って行くものなのですから。


 常岡智寶著 釈迦の説きがたり 一日一話より

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     お釈迦さまとのめぐり会い

 人間は、誰でも孤独で淋しがりやの一面を持っていますので、それを何かによって支えようとします。その何かが人によって信仰であったり、家族や肉親であったり、友人知己であったり、或は物質金銭であったり、お酒であったりします。

 私の場合は、信仰が時には厳しい父となり又優しい母となり、夢や希望となって私を今日まで支えてくれました。お釈迦さまとのつながりも、そうした信仰の中から生まれて来たのです。

 お釈迦さまと云えば、遠い昔仏教を開かれた尊いお方だと思っておりました。ところが、去る年の暮れに一枚のカレンダーを貰ったところお釈迦さまの写真が載っていましたので壁に貼って毎日お顔を拝見していました。

 すると、ある日お釈迦さまがニコニコッとされて「これから私が面白いお話をするから書いてみなさい」と云われるのです。私が「それはどういうお話ですか」とお尋ねしましたら「年が明けたら一日に一つづつ話していきます」と云われました。それがこの物語であります。

 お釈迦さまは決してはるか遠い昔のお方ではなく、今私達の身近に在っていつも導いて下さっているのだということがよく分かりました。どうか皆さんも自分の心の中に住んでおられるお釈迦さまを見付け出して下さい。

常岡 智寶

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