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釈迦の説きがたり 一日一話

     五月十一日    信  実 

 お爺さんが山で薪拾いをしておりました。

 その中に疲れたのか薪にもたれてうとうとしていると、雨がパラついて来ました。おじいさんは慌てて薪を背負い山を下りかけました。途中大きな熊にバッタリ出会いました。おじいさんは腰を抜かさんばかりに驚きましたが、そこは年の功で逃げても仕方がないと死んだ振りをしました。熊はふとお爺さんの方へ目をやりましたが、そのまま立去って行きました。

 命からがら村へ帰ったおじいさんは、会う人毎にこの話をしましたが、熊に出会って無事に帰れる筈がないと誰一人として信用してくれる者はありませんでした。おじいさんは命がけの話を誰も信じてくれないので、腹が立つやら情ないやらでいらいらしました。

 我々の日常生活でも、本当のことをいっているのにどうしても相手に信用して貰えないときがあります。そんな時は、本当にどう仕様もないほど情なくなったり腹が立ったりするものです。しかし貴方の話をちゃんと信じてくれているものがあるのです。

 それは神さまです。仏さまです。自然です。そして良心です。信じてくれないのは人間だけです。他は皆信じてくれているのです。がっかりすることはありませんよ。  


常岡智寶著 釈迦の説きがたり 一日一話より

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     お釈迦さまとのめぐり会い

 人間は、誰でも孤独で淋しがりやの一面を持っていますので、それを何かによって支えようとします。その何かが人によって信仰であったり、家族や肉親であったり、友人知己であったり、或は物質金銭であったり、お酒であったりします。

 私の場合は、信仰が時には厳しい父となり又優しい母となり、夢や希望となって私を今日まで支えてくれました。お釈迦さまとのつながりも、そうした信仰の中から生まれて来たのです。

 お釈迦さまと云えば、遠い昔仏教を開かれた尊いお方だと思っておりました。ところが、去る年の暮れに一枚のカレンダーを貰ったところお釈迦さまの写真が載っていましたので壁に貼って毎日お顔を拝見していました。

 すると、ある日お釈迦さまがニコニコッとされて「これから私が面白いお話をするから書いてみなさい」と云われるのです。私が「それはどういうお話ですか」とお尋ねしましたら「年が明けたら一日に一つづつ話していきます」と云われました。それがこの物語であります。

 お釈迦さまは決してはるか遠い昔のお方ではなく、今私達の身近に在っていつも導いて下さっているのだということがよく分かりました。どうか皆さんも自分の心の中に住んでおられるお釈迦さまを見付け出して下さい。

常岡 智寶

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