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釈迦の説きがたり一日一話

七月三十日  子   供

 ある日、私の横に可愛らしい子供が座って居りました。頭を撫でてやるとニッコリ笑いました。

 暫らくすると、母親が来て子供を叩いて叱りました。子供はわけも分からずに大声を上げて泣きました。母親は又叩いて「うるさい」と云って怒りました。

 子供は益々声を張り上げて泣きました。

 私は子供の傍へ行って頭を撫でてやりました。子供はすぐ泣き止んで温和しくなりました。母親もほっとしました。


常岡 智寶著 釈迦の説きがたり 一日一話より

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   お釈迦さまとのめぐり会い

 人間は、誰でも孤独で淋しがりやの一面を持っていますので、それを何かによって支えようとします。その何かが人によって信仰であったり、家族や肉親であったり、友人知己であったり、或は物質金銭であったり、お酒であったりします。

 私の場合は、信仰が時には厳しい父となり又優しい母となり、夢や希望となって私を今日まで支えてくれました。お釈迦さまとのつながりも、そうした信仰の中から生まれて来たのです。

 お釈迦さまと云えば、遠い昔仏教を開かれた尊いお方だと思っておりました。ところが、去る年の暮れに一枚のカレンダーを貰ったところお釈迦さまの写真が載っていましたので壁に貼って毎日お顔を拝見していました。

 すると、ある日お釈迦さまがニコニコッとされて「これから私が面白いお話をするから書いてみなさい」と云われるのです。私が「それはどういうお話ですか」とお尋ねしましたら「年が明けたら一日に一つずつ話していきます」と云われました。それがこの物語であります。

 お釈迦さまは決してはるか遠い昔のお方ではなく、今私達の身近に在っていつも導いて下さっているのだということがよく分かりました。どうか皆さんも自分の心の中に住んでおられるお釈迦さまを見付け出して下さい。

著者  常岡智寶

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