釈迦の説がたり一日一話
六月三十日 死
ではどういうことになるのかというと、生前の行いは善い事も悪い事も皆ひっくるめて、生きている間は誰にも知られなかった事、隠していた事までどんな事も皆明るみに出るのです。
鏡に映した如く何もかも皆はっきり分かってしまうのです。生きている時についうっかりとこんなこと位とやり過していた事が、全部貴方の行いとして残っているのです。
そして悪い事は全部罪として責められます。決して云い逃れも隠し立ても出来ないのです。何もかも分かってしまっているのですからどうにもなりません。生きているときよりも死んでからの方が、はるかに善悪を認識せねばならぬようになっているのです。
常岡智寶著 釈迦の説きがたり 一日一話より
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釈迦からのメッセージ
私は生存中に、さまざまな修行をして数多くの教えを残したが、今ここで云えることは、人間は幸せには中々ようならぬということである。
生きている間も、死んでからも、求め続けるばかりで幸せとはどんなものであるかを分かろうとしないからである。人間にとって幸せとは夢かまぼろしのようなものである。
この物語(釈迦の説きがたり一日一話)は、難しい経文や教えの分からない人でも、自分達の身近な事柄の中から心が開けて、一歩でも半歩でも極楽への道を歩んでもらいたいという私の願いからである。
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