自己紹介5。
フランスから帰国し、また怒涛の日々を過ごしていた。相変わらず怒られてばかりだったが、フランスという目標が出来、熱は更に高まる一方だった。
1年が経ち、何となくお店の流れや料理の事が分かってきた気がした頃から、僕は少し気が大きくなっていたのかもしれない。
先輩よりも動ける自信もあり、技術的にはまだまだだったが、負けているのは年齢だけだと、同じ歳になる頃には俺の方が絶対に仕事が出来る!と根拠なき自信の元、周りの人全てを敵にするかの如く、荒れながら仕事をしていたのを覚えている。
そんなある日事件は起きた。
僕の仕事に対して注意をしたシェフに、何を勘違いしたのか反抗をしてしまった。
今考えると、20歳近く歳の離れたグランシェフに、まだ若造だった僕が啖呵を切って反抗した事がどれだけ恐ろしい事か。
ただ当時はそんな事を考える余裕がないくらい追い込まれていたのかなと思う。
寝る間も惜しんで働き、毎日ギリギリだったのかもしれない。
それでも決して許される事ではなかった。
その時に誰かが止めるわけでも無く、シェフと言い合っていたのは、それだけ当時の僕が荒れていて手がつけられなかったからかもしれない。全ては自分が蒔いた種だった。
その後勢いのまま辞める事をシェフに伝え、1ヶ月の引き継ぎの後店を出た。
初めて自分で選び、働いたお店。後にも先にも下村シェフのお店だけだった。
この後僕は働く全てのお店を人のご縁で頂く。
逃げる様にEditionをやめてしまった僕にお店を紹介してくれた先輩がいた。
「新しくできるお店に先輩がシェフで入るから働いてみたら?」
他に頼るものもなく直ぐに話を聞きに行った。フランス料理のお店で、新規オープン。
拾ってもらう様な形で入る事を決めた。
店ができるまで2ヶ月期間があり、築地での仕事を勧められ、魚の勉強にもなるなと働きに行った。
朝の3時に起き、4時から働く。皆が寝静まっている中、築地は多くの方が働いている。皆終電で出勤しているみたいだ。僕は4時からひたすら魚の鱗をとり、中骨を抜いたら、たまに魚をおろさせてもらった。バカでかい冷凍室に商品を取りに行ったら、セリを見せてもらったり、普段決して見れない築地をたくさん見る事が出来た。
11時過ぎまで働き、12時からは銀座の知り合いのお店で研修をした。少しでも料理に触れていないとドンドン遅れをとっている気がして不安で仕方がなかった。
夕方17時まで働いた後は家に帰り、20時過ぎには寝ていた。昼と夜が逆転した生活は、少し辛かったが、築地での仕事は刺激的で楽しかった。そのうち隣の店の兄ちゃんに声をかけてもらえる様になり、野球の話で盛り上がったりもした。
オープンが近づき、契約の話の為にオーナーの元を訪ねると、衝撃的な言葉で迎えられた。
「君はフレンチをやっていたそうだが、イタリアンで良いのかい?」
あまりの衝撃に言葉が出なかった事を覚えている。
イタリアン。何故そんな言葉が出てきたのか。
シェフは雇われなのは分かっていた。しかもフレンチ出身でフレンチをやると豪語していた。
会社自体はイタリアの輸入雑貨の会社で、レストランもイタリア料理。しかしそのシェフはフレンチ色に染めるつもりで、フレンチだと僕に話していた。
他に行く当てもなく途方に暮れたが、その社長がとても良い方で、これも何かのご縁だと働く事を決めた。
こうしてイタリア料理を学ぶ事になったのだが、ここから様々な事が起こる事を僕はまだ知らなかった。
良い事も、悪い事も沢山あったが、本当にこのお店で働いて良かったと思える2年半が始まる。
皆様の優しさに救われてます泣