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日本一有名なお坊さん


『ちょっとここらで 一休み』 第1回
                                  

 皆さんは、一休さんをご存じだろうか?

 なにを言う、知っているに決まってるじゃないか! と怒られる方がいるかもしれないが、それももっともである。一休さんは、恐らく日本で一番有名なお坊さんであろう。いや、最も愛されたお坊さんと言った方がいいかもしれない。有名なお坊さんなら他にもたくさんいる。空海、最澄、法然、道元、栄西…数えあげればキリが無いが、歴史の教科書に出てくるようなお坊さんは全てが一休さんに勝るとも劣らない知名度を持っているだろう。確かに、宗教者としての業績なら、一休さんは彼らにはおよばない。

 では、なぜ一休さんはこんなにも知名度があり、愛されているのか。現代においては、フジテレビ系列で放映されたアニメに依るところが大きいのは間違いない。しかし、それ以前にも、一休さんをモデルに書かれた『一休咄(いっきゅうばなし)』という本によって、江戸時代から「とんち小僧」のイメージで愛されてきた。一休さんは生涯のほとんどを、寺に住むことなく、市井に生きた人だった。そのために庶民に愛されたのだ、と一応の説明はつく。

 しかし、私は一休さんが愛されたのには他に二つ理由があると思う。一つは詩である。一休さんは、漢詩に非常に豊かな才能を発揮した人だった。素晴らしい文学や詩は、人の心に大きな感動を呼ぶ。一休さんの詩も、多くの人の心を強く揺り動かし、惹きつけたに違いない。もう一つは、その人間らしさである。それは、下の詩を読んでいただければ、その片鱗を感じとって頂けると思う。この時、応永十六年(1409年)、一休さん16歳、叢林への不満に衝き動かされるまま読み上げた、若く青臭い詩である。

   説 法 説 禅 挙 姓 名
   辱 人 一 句 聴 呑 声
   問 答 若 不 識 起 倒
   修 羅 勝 負 長 無 明

 禅僧間の問答や説法で身分を持ち出し、出自をあざけるような言葉を聞いて、「そんな問答は迷いを増長するだけだ!」というような詩だが…。どうにも世間知らずの青臭さを感じる。「自分の理想が正しい!」や、「今の世の中は間違っている!」といった感覚、皆さまも一度はお持ちになったことがあると思う。特に、反抗期には強く持つもので、一休さんがこの詩を読んだのもそういった多感な時期だ。しかし、一休さんはその後、ライバル養叟さん(※2)の遷化(せんげ=高僧の死去)まで50年近く反抗し続けるから、凄い。「あ、僕と一緒だ」「一休さんも私と同じだ」という感覚にさせてくれる人間らしさを一休さんは持っている。


 
(※2)養叟(ようそう)さん・・・一休さんの兄弟子。

 トップ画像・・・傍らに朱太刀を配した一休宗純の頂相(酬恩庵蔵)

                              (戸谷 太一)

                         【2010.4.15 嵯峨野文化通信 第101号】


画像:http://www.inocchi.net/blog/2154.html より

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