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はじめまして、皆川淇園

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勝冶真美が弘道館メールマガジンのために書き下ろした、皆川淇園を知るための、やさしいコラム。ヘッダー画像は、谷文晁による淇園のポートレイトです。 (東京国立博物館 http://w…
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#文化サロン

分野横断ネットワークの人、淇園

 『皆川淇園とその仲間たち』 第12回 今回は、現代のお話し。最近行政の文化課の方と伝統文化の振興についてお話する機会がありました。日本の文化は元来、今でいう産業、芸術、文学といった分野ごとに区別されることなく人々の中にあったからこそ日本独自のユニークな文化が生まれてきたのでは、という話の中で、 行政としては産業課、文化課と分かれてしまっているので、そういう支援の仕方は難しいということでした。  行政の枠組みとしての可否はともかく、今こそ、民間で皆川淇園が築いたような分野

浪速の知の巨人・木村蒹葭堂との交流

 『皆川淇園とその仲間たち』 第11回 前回は、古銭収集というマニアックな趣味を持つお殿様、朽木昌綱をご紹介しました。その朽木昌綱も皆川淇園も足しげく通ったのが文人、木村蒹葭堂 (きむらけんかどう/1736ー1802)です。  木村蒹葭堂は、詩人、作家、学者、医者、本草家、絵師、大名とさまざまな顔を持つ「浪速の知の巨人」です。10万冊ともいわれる膨大な蔵書を所蔵していた彼の元には、多くの文人、知識人が集い一大文化サロンを形成しました。死後、彼の蔵書は 一部散逸していますが

淇園サロンから広がる、変わり者の輪

 『皆川淇園とその仲間たち』 第10回 今回は、淇園と同時代に生きた丹波福知山藩の第8代藩主、朽木昌綱(くつきまさつな/1750ー1802)を紹介します。淇園も相当な変わり者だったはずですが、この朽木昌綱もなかなかの人だったようです。  13歳頃より和漢の古銭の収集をはじめ、その後はヨーロッパ紙幣にまで手を広げたという、いわゆるコインや紙幣のコレクターでした。その情熱は相当なもので、38歳の時には17~18世紀のヨーロッパ紙幣をイラスト入りで詳細に図説した「西洋銭譜」を著