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はじめまして、皆川淇園

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勝冶真美が弘道館メールマガジンのために書き下ろした、皆川淇園を知るための、やさしいコラム。ヘッダー画像は、谷文晁による淇園のポートレイトです。 (東京国立博物館 http://w… もっと読む
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#コラム

四条円山派と淇園の縁を忍ばせる掛け軸

 『皆川淇園とその仲間たち』 第7回 京都の夏の風物詩といえば祇園祭。2014年は150年ぶりに大船鉾の復興、49年ぶりの後祭の復活と大いに賑わいました。有斐斎弘道館でも茶会 「祇園会の茶」を開催、祇園祭のしつらいで楽しんでいただきました。床には、木瓜紋の旗をさした3人の人物が描かれた軸を。  これは歌川豊秀、 吉村孝敬、松村景文の合作、という珍しいものです。豊秀は大阪の浮世絵師。滑稽本、洒落本の挿絵を描きました。吉村孝敬は円山応挙の晩年の弟子で、応門十哲のひとりにも数え

琳派の時代の京都に思いを馳せて

『皆川淇園とその仲間たち』 第6回 淇園の学問所跡で、現代における学問所として活動を行う「有斐斎弘道館」に、先日新たに伝酒井抱一の屏風が収蔵品に加わりました。酒井抱一は 江戸琳派を大成した絵師で、1761年生まれ。淇園(1734年~1807年)より少し時代がさがるものの、ほぼ同時代に活躍しました。  琳派 といえば、2015年は琳派400年の記念年にあたり、京都でさまざまなイベントや展覧会が開催されました。有斐斎弘道館 では、一足早く、琳派をテーマに京都の伝統文化のひとつ

江戸のアンデパンダン、書画会を主催

 『皆川淇園とその仲間たち』 第5回 皆川淇園は、1972年から、「東山新書画展覧」という書画の展覧会をプロデュースしています。春と秋に開催されたこの展覧会は、誰でも出品 でき、絵の優劣を公平に世間の目にさらすことで書画の振興を図ろうとしたものでした。実際に京都の主要な画家はこぞって参加していて、毎回 200,300点もの作品が出品されていました。長沢芦雪、丸山応挙らも出品していました。  近代の日本における展覧会の走りともいえるもので すが、今で言うとさしずめアンデパン

奇想の画家・長沢芦雪と豪遊!

 『皆川淇園とその仲間たち』 第4回 皆川淇園において特筆すべきことのひとつは、彼の幅広い交友関係です。丸山応挙や与謝野蕪村等、当時一流の文化人たちが淇園のもとに集っていました。  その中でも特に長沢芦雪は淇園と深い交流があったと伝えられています。芦雪は2011年にMIHO MUSEUMで大規模な展覧会が開催されるなど、近年評価が高まっている画家です。縦横無尽な筆遣い、画面にも現れる彼の自由闊達さが魅力で、私も好きな画家のひとりです。芦雪のそんな自由人なところが気に入った

「名」と「もの」の関係性を音から探った

 『皆川淇園とその仲間たち』 第3回 皆川淇園は「開物学」という学問を創始したことでも知られています。しかし「怪物学」と揶揄されたように、難解すぎたその理論は当時も一般に理解されたとは言い難いようです。  開物学は「名」と「もの」の関係性を「音声学」や「韻学」の観点から明らかにしようと試みるものでした。例えば「仁」ということばが示す意味は 「仁」ということばそのものの中に隠されていると考え、ことばの意味とその発音との間の相関関係に着目しました。その独創的な理論は明解な体系

応挙にも劣らぬ書画の達人だった

 『皆川淇園とその仲間たち』 第2回 有斐斎弘道館は皆川淇園が設立した学問所「弘道館」址にあります。でも皆川淇園って歴史の教科書にも出てこないですよね。そもそも何者なのでしょうか。  皆川淇園(みながわきえん)は、京都で1734年に生まれ、1807年に亡くなりました。江戸時代中期にあたります。儒学者(中国の孔子を始祖と する思想体系。日本では武士の学問として広く受け入れられた)であった淇園は亀山藩(現在の京都・亀岡)、平戸藩(長崎・平戸)、膳所藩(滋賀・ 大津)に藩の先生