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はじめまして、皆川淇園

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勝冶真美が弘道館メールマガジンのために書き下ろした、皆川淇園を知るための、やさしいコラム。ヘッダー画像は、谷文晁による淇園のポートレイトです。 (東京国立博物館 http://w…
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#学問所

淇園サロンから広がる、変わり者の輪

 『皆川淇園とその仲間たち』 第10回 今回は、淇園と同時代に生きた丹波福知山藩の第8代藩主、朽木昌綱(くつきまさつな/1750ー1802)を紹介します。淇園も相当な変わり者だったはずですが、この朽木昌綱もなかなかの人だったようです。  13歳頃より和漢の古銭の収集をはじめ、その後はヨーロッパ紙幣にまで手を広げたという、いわゆるコインや紙幣のコレクターでした。その情熱は相当なもので、38歳の時には17~18世紀のヨーロッパ紙幣をイラスト入りで詳細に図説した「西洋銭譜」を著

言語研究で捉えた、実字虚字助字の構造

 『皆川淇園とその仲間たち』 第9回 皆川淇園は彼の唱えた「開物学」にもみられるように、言語研究においても大きな功績をのこしました。言語を構造的に捉え、 実字、虚字、助字、という三つに分類しそれぞれの役割について考察しています。  実字とは、具体的な何かを表す字(例えば犬・川・人など)、虚字とは実在の 物事を表さない字(例えば走、生、高、低など。主に動詞・形容詞・副詞)、助字は実字、虚字を助ける字で漢文にみられる也・焉・哉・乎・於・之・而などのこと。  特に助字について

奇想の画家・長沢芦雪と豪遊!

 『皆川淇園とその仲間たち』 第4回 皆川淇園において特筆すべきことのひとつは、彼の幅広い交友関係です。丸山応挙や与謝野蕪村等、当時一流の文化人たちが淇園のもとに集っていました。  その中でも特に長沢芦雪は淇園と深い交流があったと伝えられています。芦雪は2011年にMIHO MUSEUMで大規模な展覧会が開催されるなど、近年評価が高まっている画家です。縦横無尽な筆遣い、画面にも現れる彼の自由闊達さが魅力で、私も好きな画家のひとりです。芦雪のそんな自由人なところが気に入った

「名」と「もの」の関係性を音から探った

 『皆川淇園とその仲間たち』 第3回 皆川淇園は「開物学」という学問を創始したことでも知られています。しかし「怪物学」と揶揄されたように、難解すぎたその理論は当時も一般に理解されたとは言い難いようです。  開物学は「名」と「もの」の関係性を「音声学」や「韻学」の観点から明らかにしようと試みるものでした。例えば「仁」ということばが示す意味は 「仁」ということばそのものの中に隠されていると考え、ことばの意味とその発音との間の相関関係に着目しました。その独創的な理論は明解な体系

応挙にも劣らぬ書画の達人だった

 『皆川淇園とその仲間たち』 第2回 有斐斎弘道館は皆川淇園が設立した学問所「弘道館」址にあります。でも皆川淇園って歴史の教科書にも出てこないですよね。そもそも何者なのでしょうか。  皆川淇園(みながわきえん)は、京都で1734年に生まれ、1807年に亡くなりました。江戸時代中期にあたります。儒学者(中国の孔子を始祖と する思想体系。日本では武士の学問として広く受け入れられた)であった淇園は亀山藩(現在の京都・亀岡)、平戸藩(長崎・平戸)、膳所藩(滋賀・ 大津)に藩の先生