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はじめまして、皆川淇園

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勝冶真美が弘道館メールマガジンのために書き下ろした、皆川淇園を知るための、やさしいコラム。ヘッダー画像は、谷文晁による淇園のポートレイトです。 (東京国立博物館 http://w…
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2021年5月の記事一覧

「名」と「もの」の関係性を音から探った

 『皆川淇園とその仲間たち』 第3回 皆川淇園は「開物学」という学問を創始したことでも知られています。しかし「怪物学」と揶揄されたように、難解すぎたその理論は当時も一般に理解されたとは言い難いようです。  開物学は「名」と「もの」の関係性を「音声学」や「韻学」の観点から明らかにしようと試みるものでした。例えば「仁」ということばが示す意味は 「仁」ということばそのものの中に隠されていると考え、ことばの意味とその発音との間の相関関係に着目しました。その独創的な理論は明解な体系

応挙にも劣らぬ書画の達人だった

 『皆川淇園とその仲間たち』 第2回 有斐斎弘道館は皆川淇園が設立した学問所「弘道館」址にあります。でも皆川淇園って歴史の教科書にも出てこないですよね。そもそも何者なのでしょうか。  皆川淇園(みながわきえん)は、京都で1734年に生まれ、1807年に亡くなりました。江戸時代中期にあたります。儒学者(中国の孔子を始祖と する思想体系。日本では武士の学問として広く受け入れられた)であった淇園は亀山藩(現在の京都・亀岡)、平戸藩(長崎・平戸)、膳所藩(滋賀・ 大津)に藩の先生

箏曲の作詞家でもあった皆川淇園

 『皆川淇園とその仲間たち』 第1回 皆川淇園(みながわきえん)は江戸時代の儒学者です。「有斐斎弘道館」の地で学問所「弘道館」を設立した人で、儒学者としてだけではなく、書画にも優れた風流人でもあったと言われています。歴史に疎い私にとっては、大河ドラマにも出てこないし、どんな人だったのかイメージしにくいなぁと思ったりします。  そんな「知る人ぞ知る」皆川淇園ですが、筝曲の作詞家としての顔もあったそうです。今回は皆川淇園の作詞した地歌筝曲を一曲ご紹介します。   夜々の星