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2018年12月の出来事

皆さん2018年12月は何があったか覚えていますか?
私は11月に大きなきっかけがあってからニートになった当初には予想も計画もしていないことが次々と発生しました!(◎_◎;)

良いこともあれば悪いこともたくさんありました。私の2018年12月は悪いことの方が多すぎましたけど・・・w

目次
・町田から出町柳に引っ越し
・来るはずの仲間が来ない
・病気の悪化で20日まで何も活動出来ない日々
・20日以降の活動
・嬉しいエピソード
・まとめ

町田から出町柳に引っ越し

12月4日の夜行バスでウキウキしながら出町柳に行きました。

しかし、出町柳に到着したころに現地の人がなかなか来なかったのです。
夜行バスで行ったので京都に出町柳に到着したのは6時半ごろ・・・
現地の人が鍵を渡しにきたのは11時半ごろ。
5時間もマックで過ごしてたのかと呆れるしかありませんでした。
鍵を預かったあと部屋を見に行った。

その部屋は・・・クソでした。

3部屋あってエアコンが1台しかない、しかもボロい。24℃に設定しても最新のエアコンの20℃ぐらいにしかならない。しかも1台しかないから2部屋しか使えない。1つの部屋は活用出来ませんでした。しかも出町柳の土地の値段って高いのよね。(完全にミスった)

来るはずの仲間が来ない

1時間でも働かないで生きることを考えているニートからすればコスパの悪い部屋。それをなぜ借りたのか?といえば、仲間が後から3人来る予定で一人あたりの負担はとても小さくなる予定だったからです。
部屋はかなり広かったのでエアコンが1台しかなくてもヒーターなどを買えば十分活用できる部屋でした。出町柳に私が行く前は合計5人で住む予定だったのです。しかし、約束の日が来ても全く来ない3人たち・・・(一人は私と同じ日に行きました)

まず一人目は30才の岐阜のニート。約束の日の前日に連絡したところ、家の用事があるから2日後にずらして欲しいと言われたので、2日後まで待ってあげた。しかし来なかった。
来なかったからもう一度連絡したけれど、既読はもう着かない。(しかしツイッターでは未だにFFであり今も普通に動いている)どういう神経しているんだ?あまりにも大人げないぞ...いくらニートでもここまでとはだれも思わないでしょ???まぁ来ないので諦めた。
二人目は年齢は私と同じ年齢の愛媛に住んでいる女の子。この子は関西のどこかの会社に就職が決まったらしい。
まぁ、出町柳から通える範囲ではあるらしいので、誘ったのだ。将来的には何万人も集まるようなイベントがやりたいそうだ。
でもその会社はイベントなんて一切しない。その会社にいたらその夢を叶えるのは難しくなるだろうね。
その人にはその人の考えがあって行動してるわけだから強制はしない。
その人は会社のこともあるし約束の日は特に設定していなかった。
まぁ12月に来てくれたら良いよみたいなノリ。
でも12月になってしばらくすると愛媛から出たくないって言うようになった。
東京に住んでいる私からすれば愛媛なんてど田舎だと思っているから???ってなった。まぁその人にはその人が重要視するものが異なるから仕方ないよなってことで諦めた。

3人目は27才ぐらいのイラストレーターさん。彼は出町柳に来てくれた人のイラストにおける師匠みたいな存在であるらしい。
私から見れば、イラスト以外取り柄のなさそうなお兄さんって感じなのだが・・・彼は出町柳で一緒に住んでいる人と3ヶ月ぐらいは交流あるし来ると信じていた。
それでも出町柳に住むかどうかはあまり乗り気でなかったみたいなのだが、来ないなら約束の日の1週間前にでも連絡して欲しいとお願いした。
しかし、1週間前から連絡が取れない状況になり焦った。
この時点で2人失敗しているしブロックされたのでは?思った。
彼が住んでいるのは都内のあるルームシェアしているマンション。だからマンションにいる他のメンバーに電話してみたらなんとか繋がった。そのメンバー経由で電話した。(実際に電話したのではなく私と一緒に住んでいて27才の方を師匠と言ってる人)
なぜ連絡を無視し続けたのか?聞いたところ、何日か返信してなくて返信してなくて怒られるのが怖かったかららしい。子供かよwww
なぜ出町柳に来なかったかと言うとお金がなかったからだそう。
しかし、出町柳に来るのにかかる費用は1万円。
それすらも27才の大人が用意できないとなったら呆れるしかなかった(実際に用意出来なかったんじゃなくて行きたくなかったのでは?と思っている)

とまぁくるはずの仲間全員に裏切られましたとさwww
そしたらコスパの悪い部屋に住んでいるだけなんだけどwww
もうここは速攻出ようと思いました。

病気の悪化で20日まで何も活動出来ない日々

病気が何とは言えないのだが、急に悪化して辛い日々だった。
救急車も1回呼んだ(何も解決せずお金だけ飛んだ)
その病気のせいで、食欲は失せるわ、歩き辛くなるわ、寝れなくなるわとかなり辛い日々だった。
おかげで収入はゼロである。詰んだ_:(´ཀ`」 ∠):

20日以降の活動

不労収入の仕組みを作るための活動を再開した。
リサーチしたり、記事を書いたり、企画書を作ったり、毎日1冊は本を読んだり人と会ったり今まで出来なかったことをやった。
記事を書いていくだけでなく、上手い人の文章をひたすらコピーしてタイピングスピードを上げたりもうとにかく色々なことをやった。

それでも足りないので、回復するころに合わせてバイトを探すのだが、メール落ちが30件、ショットワークスというアプリで派遣を応募してもNG連絡が10件、見送りが10件以上と結果は惨敗だった。(毎日5件以上応募しまくっているのでこれを書いている日も更新中である)
昔登録していて数回だけ働いたのがあったので最悪の保険で・・・と思い東京に帰った。見つかったのだが、冷蔵庫での派遣だった。年越しの瞬間を冷蔵庫なんて辛すぎる。

嬉しいエピソード

とまぁこう書くとかなり悲惨な月だと思うのだが、嬉しいこともあった。
京都に着いたその日にフォロワーが会いにきてくれたのだ。
ものすごく嬉しかった。ツイッターは神!!!って思った。
だって京都着いたその日のうちにリアルの知り合いが出来たんだよ!
また病気を治すために手術する日の早朝に一緒に飯を食って、時間までマックで話しながら楽しく過ごして病院まで見送ってくれたりね。最高でしょ。
そして、webデザイナーさんと数時間だけど楽しく話をしたり、有用な情報を交換したり最高な時間を過ごせた。クリエイターとも知りあえるって最高。

まとめ

2018年の最後はとても悲惨な月になった。

来年の今はこうならないようにしよう。

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