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一切れのサンドイッチ

※こちら、以前「宮尾美也世界一可愛いの会」の「みゃお38号」にて掲載させていただいたSSです。よって、二次創作の要素を含みます。

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「ねえ、店主さん」
「なんですか?」
「今回、お仕事で決まったことがあるのですが」
「……誰をプロデュースするんだい」
「美也ちゃんです」
「ああ、あの子か」
 私はコーヒーをすする。まだ少し熱いが、甘く芳醇なザンビアの香りがする。
 私は、少し迷った末に話を続ける。
「私、あの子のこと、前からプロデュースを引き受けてみたくて。私の企画だと、あまり参加する機会がなくて、接点が少なかったのですが……」
「なにか、問題でもあるのか」
「その……ちょっと緊張しているんです」
「なんで?」
「笑わないでくださいね。彼女を見ると、つい目で追ってしまうんです……なんだか、どこか愛嬌があって」
「興味がある、ということかい?」
「はい。ちょっと話すと、嬉しい自分がいて。だからその、恥ずかしいんですけど、少し話をしてみたいんです」
「それで仕事を受けたのか」
「はい。変な理由ですよね……」
 私は気恥ずかしさを隠す為、横に目を遣る。そこには、丁寧に磨かれた綺麗なアップライトピアノがあり、店主さんの趣味なのだろう、と思った。コーヒーに視線を戻すと、水面が揺れて温かい照明を綺麗に反映している。
「……どうしようかなあ」
「別に、あなたがしっかり見てあげれば、きっと彼女も応えてくれるはずだよ」
「……そうですよね」
 これから、彼女のプロデュースが始まる。頑張らなきゃ。

 1

 今回は、発案からメイキング、公演までのプロデュースを図ることとなった。実に多忙だが、私はデスクに向いた途端、やる気が出てきた。
 まず、先日発注していた音楽のデモが、今日メールで送付された。名前は『初恋バタフライ』と書かれていた。
「素敵な曲名……」
 その曲を聴いてみる。すると、メランコリックな曲調を思わせるメロディに、得も言われぬ感情が浮き出てきた。
「すごい……」
聴き終わると、私は少し茫然とするほどであった。
それはあまりにも私のイメージには斬新なアプローチでもあった。彼女がこの曲を歌う姿は、あまり想像できなかった。
「でも……これはこれで面白いかも」
 正直なところ、期待大であった。私はじっくり歌詞も読み込んで、コンセプト、作曲者と意向について通話で小一時間話し込むと、本人に音楽を渡す準備ができた。
 会議室の前に立ち、少し呼吸を整える。彼女は気に入ってくれるだろうか。
 ドアを開けた。すると、彼女の声がした。
「プロデューサーさん〜。おはようございます〜」
「おはよう」
 彼女はお茶菓子を包みながら、挨拶をした。隣では、お茶が湯気を立てている。
「お茶を飲んでいたのね」
「はい〜。プロデューサーさんも、どうぞ〜」
 そうやって、彼女は注いで渡してくれる。
「もう、そんないいのに。ありがとね」
「プロデューサーさんも、リラックス、ですよ〜」
「そうねー……あ、今日はなんのお茶なの?」
「今日は、ほうじ茶ですよ〜」
「珍しい、緑茶じゃないの?」
「はい〜、今日は、ほうじ茶にしてみました〜。お茶は焙煎の時間によって、美味しさが変わるんですよ〜」
「へぇー……」
 ああ、やっぱりこういう子だなあ。マイペースで、やっぱり愛嬌がある。温かみのある声に安心して、私は席に着くと、今回の音楽の件を話そうとする。
「今回の曲は、ちょっと変わっていて」
「ふむふむ、なんですか〜?」
 彼女に音楽を渡すと、今回の概要について話した。仮歌の入ったその曲は、彼女の温和な顔とは打って変わった、恋を歌う曲だ。
「初恋……?」
「うん、初恋」
「初恋、ですかー……」
「どうしたの?」
「むーん……これは、難題ですなー……わたし、一つだけ、気になることがあるのですが〜」
「いいよ。言ってみて」
「プロデューサーさん、初恋って、なんですか〜?」
「えっ?」
 初恋?
 初恋……ってなんだろうか? 私は意表を突かれたように、慌てる。
「そう……ねぇ。ちょっと考えさせて」
「……?」
 私は、その質問に上手く投げ返すことができなかった。初恋……?
 そんなことを考えるなんて、一度も無かった。初恋なんて、私にはそもそも恋の経験なんてない。それに、初恋の定義なんて、考えたこともない……
 私は、少し考えてみる──映画のようなロマンスだろうか──堤防の隅や、祭りの外の公園、夕焼けのかかる学校の屋上──
 でも、その考えはすぐに振り払う。あのシネマフィルムに映る恋とは、どこか作り物めいた感じがあって、きっと今の彼女の答えにはそぐわないだろう。
 私自身にも、その問いは分からない。初恋とは、そもそもなんであるのか。
 私は懊悩した末に、こう答えた。
「……その時は、きっと分からなくて、でもふとある時、あれはきっと恋だったと、はっと、きゅうってなる……そんな感じなのかな」
「ふむふむ……なるほど〜」
「私にもね、正直分からない。でも、誰かを放っておけないとか、手放したくないとか、なんか、そんな感情なんじゃないかしら……」
「むーん……ではわたしは、プロデューサーさんのことは、放っておけませんね〜」
「えっ?」
「だって、わたしはあなたのアイドルなんですから〜。むふふ」
「え? それはまあ、そうだけど……」
 何か違うような気がするが、私は続ける。
「その……美也ちゃんは、好きな子とかいたことは、あった?」
「……好きな子、ですかー……」
 彼女はうーんと、少し頭を横にかしげる。
「そのー……むーん……分かりません〜」
 本当に、この子は知らないみたいだった。でもこれは、彼女にとって真剣な悩みだ。
 私は少し考えた挙げ句、こういう提案をしてみた。
「じゃあ、その初恋について、今回の課題にしてみよう」
「なるほど〜。分かりました〜」
「これは、私も一緒に考えるよ。私も、ちょっとその、悩んでみる」
「おー。プロデューサーさんの協力があれば、鬼に金棒ですな〜」
「もう、私は鬼じゃないわよ」
「ふふふ〜」
 そういうことで、私と美也の課題となったのであった。

 2

 翌週、早速事務室で計画を立てる。ライブの進行、ステージの設計、観客動員数の計算など、細かいことをしていく作業は、流石に手をこなせるほどやってきたから慣れてきた。
 衣装合わせに関しては、青羽さんがフィッティングを行い、デザインのプロットを決める。ここで私は、美也ちゃんの安穏とした美しさを、蝶々に見立ててほしい、という意見を出した。素材の発注は、よく相談した上で、ドレスのようなデザインでダンスをさせたい為に、ナイロンなどの軽量の素材を中心に注文した。
「つかれたー」
 人の少ない部屋で、こっそり手を伸ばす。
「お疲れさまです~」
「はいっ!」
「おおー」
「……いたの?」
「はい~。プロデューサーさんが、激務だと、心配しておりましたので~」
「別に、気にしなくてもいいのよ……」
「いえ〜。プロデューサーさんは、きっとそうおっしゃると思ったので、わたしは、策を練りました。いま、給湯室のキッチンで、サンドイッチを作ってきたのですよ〜。美味しくできました~。ふふっ」
「そんな、いいの?」
「はい~。プロデューサーさんにおすそ分けです~」
「ありがとう……」
 私は、それをほおばる。美味しいサニーレタスがシャキシャキ鳴って、ハムエッグが味に深みを入れている、たまらない一品だった。
「とっても美味しい」
「ふふっ、ありがとうございます〜」
 私は、ちらりとバスケットを見る。どうやら、沢山作っているようだ。
「その量だと、みんなにもおすそ分けするのかしら?」
「そうです〜。たくさん作りましたよ〜」
「きっと、桃子ちゃんとか喜ぶわよ」
「桃子ちゃん、ですか?」
「うん、桃子ちゃん」
 桃子ちゃんとは、仲がいい。結構ツンツンしているけど、素直なところも多くて、少し甘えてくる時がある。時々、私が甘えたい時もある。それについては本人に嫌がられるだろうけど……
「分かりました〜。では、桃子ちゃんと、歌織さんとエレナさんと〜。……でも、きっと他のみんなも、お腹を空かしているかもしれませんー……。どうしましょう……むーん……」
「もう、変なところで優しいんだから……でもね、そういうところが美也ちゃんの良いところだとも思うよ」
「え……?」
「ふふ、なんでもない。ありがとね美也ちゃん」
「はい〜。よろしくお願いしますね〜」
 そうやって、彼女は次のお客さんを探しに行った。私は、机に戻ることにした。


 3

 今日の事務が終わった。時計を見ると、午後六時だ。レッスンの時間割を一瞥したが特に予定は入っておらず、みんなは自主練や控え室で各々語らっているだろう。私はデスクの前で、やっと胸をなで下ろして安寧につく。
 すると、事務室のドアが開く。桃子ちゃんであった。
「ねえ、お姉ちゃん」
「はい? どうしたの、桃子ちゃん」
「美也さんのことなんだけど……」
「ん?」
 何か困っているようだった。どうしたのだろうか。
「美也ちゃんが、どうしたの?」
「そのね……なんだか、すごく張り切っていて。……ちょっと心配なだけ」
「え……?」
 張り切っているとは、なんの事だろうか。
「どんなことなのかな……」
「もう、それは本人に直接聞いて」
「ごめんごめん! なんでもない」
「そう……でも、深刻そうだから、伝えに来ただけ」
「……分かった。そうなの」
「うん。お姉ちゃんも最近、忙しくないの? ちょっと、大変そうに見えるけど……」
「大丈夫。今回も、必ず良いものにしたいから」
「……無理しちゃダメだよ? プロは体調管理が一番の仕事だからね!」
「うん! ありがとね」
 そう言って、私に目を配りながら、そっと退室する。
「どうしたんだろうな……」
 張り切っているのはいいのだけど、心配されるほどはやってほしくない。今日のノルマは達成したし、身体の向きを直そうという気もしなくて、私はそれよりも彼女のことを探してみることにした。

 4

 事務室を出て、階段をのぼる。私は美也ちゃんがまだ自主練をしているのではないかと思い、レッスン室から当たることにした。
 ドレスアップルームを通り、レッスン室にたどり着くと、部屋のライトは点灯していた。私は入ってみる。
「あれ……?」
 しかし、誰もいない。ここの部屋は、練習が終わったら自分で鍵を閉める決まりがあるのだが……
 少し、部屋の中を見回す。
「あ……これ」
 忘れ物だろうか。ウォーターサーバーの隣の椅子に、美也ちゃんがよく持っているバスケットがあった。
 私は、それを開けてみる。中には、一切れのサンドイッチがあった。さっき、食べたサンドイッチだ。
「……きっと、同じレッスン室の子と食べたのね」
 美也ちゃんならきっとそうするだろう。
 でもなんだか、様子がおかしい。この一つのサンドイッチは、何故残っているのだろうか? 美也ちゃんは、食べていないのだろうか。
 ただ一つ余っていたのならいいのだが、それならば他の子にあげているはずだ。
 桃子ちゃんが心配していたのが、なんとなく懸念になる。美也ちゃんは何か悩みでもあるのだろうか。しかし、この部屋に彼女は見当たらない。
 私は探した方がいいと思い、そのバスケットを持ち帰り、部屋の電気を消し、合鍵で閉めてその部屋を立ち去る。



 廊下を少し歩き、控え室のドアを開ける。
「あ、プロデューサー! お仕事、終わった?」
 そこでは、エレナちゃんと歌織さんがソファで話し合っていた。
「いや……ちょっとね」
「じゃあ、何か用事かナ?」
「うーん……」
 私は迷う。こういう話をする時、あまり人に頼らない方がいいのかもしれない。仕事の話ならともかく、これは個人の問題であったからだ。
 しばらく口をつぐむと、歌織さんが声をかける。
「……どうかしたんですか、プロデューサーさん?」
「その……」
「……私でよければ、お力添えしますよ?」
「すみません、個人的な話なのですが……」
「いいヨいいヨ! 気にしない、気にしない!」
「……分かった。話してみます」
 取り敢えず、話してみることにした。
「あの、美也ちゃんは知らないですか?」
「美也ちゃん?」
「ミヤは、さっき一緒にレッスンしてたヨ!」
「私はお昼時に、少し話をしましたよ。おばあさんの話をしていました」
「そうだったのね……」
 私は言いよどみながら続ける。
「変な質問ですけど、美也ちゃんはその、元気でした?」
「ん? いつもと変わらないミヤだったヨ〜」
「いつも通りの美也ちゃんだったと思いますよ。おばあさんの話をした後、サンドイッチを作ってくると言って、しばらくするとバスケットいっぱいに詰めてきて、それをご馳走になりました」
「そうそう! ワタシもソーナノ。ミヤのサンドイッチ、とってもおいしかったヨ〜! エヘヘッ」
「二人もそうだったんですね! 私もいただきました。でも、気になることがあって」
「なんですか?」
 そうやって、今手元にあるバスケットを持ち上げる。
「このバスケット、おそらく美也ちゃんのものですよね……」
「うん、そうだけド……?」
「その……レッスン室を覗いてきたら、忘れていったみたいなので」
「え? そんな……美也ちゃんが、忘れるはずないと思いますよ」
「え? じゃあ、まだやっているんですか?」
「タブン、そうなの。ミヤは、次の公演がひかえているから、もう少しだけガンバりますよ〜って言ってたヨー」
 私はそれを聞いて、唖然とした。
「……どうしよう」
「えっ?」
「鍵、閉めてきちゃいました。美也ちゃんが帰ってきたらどうしよう」
「えっと……ま、まあ! 取り敢えず、探してみましょう。レッスン室の前にいるかもしれないですし」
「そうですね……」
「ワタシたちもついていくヨ!」
「分かった、お願いね、エレナちゃんも」
 そうやって、レッスン室へ向かう。

 6

 レッスン室に着いた。そのドアは、鍵が開いていた。美也ちゃんは、一回ここに戻ってきたのだろうか。しかし、彼女はいなかった。
「どこに行ったのかナ……」
「ごめん……」
「落ち込まないで、プロデューサーさん」
「そうだね」
 私は、取り敢えず美也ちゃんに連絡を取る。至急のことなので、電話をかけたが、通じない。再度かけ直すが、やはり通じない。
「美也ちゃん……!」
「どうしちゃったんだろう、ミヤ……」
私は、桃子ちゃんの言葉と、手元にあるサンドイッチが気になって仕方がない。何か、落ち込む理由でもあったのだろうか。
 また、電話をかけ直す。
「繋がって……」
 すると、電話が通じた。
「もしもし、美也ちゃん!」
「……お姉ちゃん! 美也さんじゃなくて、桃子だけど……その、どうかしたの?」

 7

「これ、美也さんのスマホ? 落としていったのかな……」
「今、場所はどこ?」
「休憩室だよ。レストルームっていうのかな」
「ありがとう。ねえ、このままで悪いけど……桃子ちゃん。美也ちゃんは見てない?」
「見てないけど……」
「そう……」
「……大丈夫? お姉ちゃん」
 私は気が動転していて、そのまま会話を続けてしまう。
「……美也ちゃんとは今日、何かした?」
「……私は、美也さんと少しレッスン合わせをしたよ。そういえば、サンドイッチを食べたな」
「桃子ちゃんも?」
「うん。それがどうかしたの?」
「ちょっと、美也ちゃんが見つからなくて」
 真剣な口調に困惑したのか、桃子ちゃんは黙って聞いている。
「あの、桃子ちゃん、質問をしてもいい?」
「……うん」
「桃子ちゃんは、いつ頃美也ちゃんが心配になった?」
「別に、ただいつもより無理していたから、気になっただけだよ」
「そうなの……分かった」
「他にある? ……これ美也さんのスマホだから、一旦電話切り替えよう」
「分かった。でも今確認したいことが」
「なに?」
「美也ちゃんは、なんでサンドイッチを一つ残していたの?」

 8

 最後に食べた人なら、思惑を知っているはずだと、聞いてみる。
「……今のお姉ちゃん、ちょっと変だよ。もう少し、落ち着いて」
「……ごめん」
「なんかね、美也さんは今日、おばあちゃんにそのサンドイッチをあげるって言ってたよ」
「おばあちゃん?」
 先ほども歌織さんから聞いた話だ。
「歌織さん、おばあちゃんの話を詳しく教えてくれますか?」
「うーん……確か、今日は美也ちゃんにとって、おばあさんの大切な日、と言っていました。サンドイッチのことは今知りましたけど、なんのことまでかは分かりませんが──」
 すると、電話口から桃子ちゃんの叫び声がした。
「──美也さん、待って!」
「どうしたの!」
 束の間であった。
「美也さんが、今来たの! たぶんスマホを探しに来たのだと思うけど……すごく浮かない顔していて、逃げていっちゃった……」
「ごめん……私が……」
「ちゃんとして、お姉ちゃん!」
「……分かった。方向は分かる?」
「たぶん、階段のほう!」
「分かった! ごめん、一旦切るね!」
 そう言って、電話を切る。すると、エレナちゃんが話しかける。
「ねえ、プロデューサー……? その、ミヤの悩んでいるコトって、ワタシたちに話せるコトかナ……?」
 エレナちゃんも、すごく心配をしているようだった。
「どうだろう……」
「……プロデューサーさんだけで、行ってあげた方がいいと、私は思います。これは美也ちゃんのことで、私たちが立ち入っていけない話な気がします」
「ごめんね、二人とも。一緒に探してくれてありがとう」
「いえ。もし見つかったら、その時は美也ちゃんを優しく慰めてあげてくださいね」

 9

 私は、階段を急いでのぼる。おそらく、彼女はここにいるはずだ。
 私は、そのドアを開けた。肌寒さとは縁のない、夏の夜の空気が匂う、そんな屋上へとやってくる。
 彼女はそこでうずくまっていた。私は近づいて、話しかける。
「……美也ちゃん」
「……プロデューサーさん……」
「その……大丈夫? 美也ちゃん……」
 よく見ると、彼女は涙を浮かべていた。少し悩んで、話しかける。
「ごめんね……その、私が勝手に鍵を閉めたせいかな」 
 彼女は、首を横に振る。
「スマホを勝手に使っていたこと?」
 それでも、首は横を振る。
「……サンドイッチを持っていったこと?」
 すると彼女は、後ろめたいように首を縦に振った。
「その……なんでか、聞いてもいいかな」
「……今日じゃないと……」
「え?」
「プロデューサーさん……」
「……なに?」
「……」
「話してみて」
 私は彼女に手をさし伸べる。すると、それを軽く握ってくれる。私は、それをゆっくり手に取ってあげる。
「……わたし……わたし、その、今日は……」
 黙って、言葉の続きを聞く。
「その……むーん……」
 こんなに彼女が言葉を詰まらせるのは、初めてであった。
 彼女の手を、少しさする。
「言ってみて。何かあったの?」
 彼女の言葉をじっと待つ。すると、言いよどみつつ、こう話した。
「……おじいちゃんは、おばあちゃんのどういうところが好きになったのでしょうかー……」
「え……?」
「わたし、時々思うんですー……。おじいちゃんは、いつもわたしがいてくれるから、幸せだと言うんです。でも、おじいちゃんにも、昔はおばあちゃんがいて、いつも支え合って生きてきたんだと、思うのですー……」
「そうだね……。今の美也ちゃんも、そんなおじいちゃんに温かく見守られてきたんだと思う」
「……プロデューサーさん……」
 彼女は涙を堪えつつ、少し微笑む。
「だから、おじいちゃんのことを考えていると、わたし、しんみりしてしまって〜……今のおじいちゃんの気持ちを重ねると、辛くなってしまって〜……」
「だから、サンドイッチを取っておいたの?」
「……!」
 彼女は目を見張らせた。その視線は、横に逸れて、下を見てしまう。
「……はい。少しでも、天国のおばあちゃんが喜んでくれると思って……だから、わたしはサンドイッチを一つ、取っておきました〜……。これは、おばあちゃんのためなんです〜……」
「そうなのね……」
「でも、わたしが少しお手洗いに行っていた間に、ドアが閉まっていて……」
様子を察するに、きっと、誰かに盗られたのかと思ってしまったのかもしれない。
「……本当にそれは、ごめんなさい」
「わたし、どうしたらいいか分からなくなって……探していたら、桃子ちゃんと、ばったり会ってしまったんです〜……プロデューサーさんも、桃子ちゃんも、わたしのことを心配してくれて……なんだか、気持ちがあやふやになって……」
「……歌織さんと、エレナちゃんもそうだったよ」
「……うう……」
 そうやって、彼女の涙は一向に止まらない。
「わたし……逃げだしてしまって……みなさんに……心配をかけて……ごめんなさい……」
「……いいのよ。美也ちゃんは、優しい子だから、そういうことで悩んじゃうのよね」
「……え……?」
「美也ちゃん……」
 そう言って、思わず彼女を抱擁する。
「プロデューサーさん……?」
 私は、何も言わず、彼女の髪を梳いてあげる。さあ、さあ、と。
「ごめんなさい。私、あなたの為に頑張るから」
 彼女は、泣き出してしまった。それでも、私は腕を緩めなかった。
しばらく落ち着くまで、こうしてあげよう。

10

 しばらくして、彼女から色々なことを聞いた。今日は、おばあちゃんの忌日であること。みんなにお腹いっぱいになってほしくて、余っていたパンを全て使ってしまったこと。そのため、六個のサンドイッチしか作れなかったこと──でも、その五つは、美也ちゃんを含めみんなで一緒に食べたこと。なんだか、そんな彼女が微笑ましくなって、もっと励ましたくなった。
 彼女は泣き止んだ後、少し話した。
「ねえ、プロデューサーさん」
「なに?」
「あの、わたし、初恋について……ずっと悩んできたのですが〜」
「……うん。聞かせて」
「この気持ちは、きっと、その〜……」
 その時彼女の耳が、いつもよりいじらしく見えたのは、気のせいだっただろうか。
 私も、あれ以来ずっと考えていた。初恋、というものを。それは、誰かを心の底から幸せにしたい気持ち。誰かの為に、こんな涙を流せる気持ち。どうしようもないくらい、自分が情けなくなる気持ち。そんな初々しい気持ちの様々なのではないか。
 私は、勇気を出して言った。
「……私も、あなたのことは、放っておけないわよ」
「え……?」
「ふふっ。寒くなる前に戻りましょう」
 そうやって、彼女の手をちゃんと握りしめながら、シアターへと戻る。 

 11

 公演は大盛況であった。彼女の長閑な表情とは打って変わった、その麗しい蝶の羽衣を身にまとい、いじらしく羽ばたかせた女の子は、世間を大いに賑わせたのだった。素晴らしい衣装を制作してくれた青羽さんにも、激励の言葉を送った。私はこの成功が実るとともに、宮尾美也のプロデューサーとして彼女を今後も牽引することになったのだった。

エピローグ

 私は、あの喫茶店へ誘った。
「いらっしゃい」
「おおー、ここはー」
「ふふ、ちょっとね」
 暮れんばかりの日差しが差し込むこの場所は、いつも通りの空気が漂う。
「ザンビアで」
「はいはい」
 今日は店主さんの許可をもらって、彼女をこっそりお祝いすることになった。相変わらずその横には、古ぼけたピアノがあった。
「ねえ美也ちゃん」
「はい、なんですか~?」
「ちょっと、聴いてほしいものがあって」
「プロデューサーさんの話なら、なんでも聞きますよ~」
「ふふ、ありがと……」
 私は、ピアノの前に歩くと、後ろの彼女を見る。彼女は微笑んでいる。どうやら、私も彼女の気持ちに最後まで振り返らなかったようだ。

 今日は、彼女の二十七歳の誕生日。
椅子に腰を掛けて、私は弾き始める。
 『初恋バタフライ』を。

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