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その17:盈進流稽古法(4) 大いなる時代遅れは…

 刊行早々の宮城谷昌光著『孔丘』(文藝春秋)を一気に読んだ。名作と言われる小説の中には名言が書かれているものだと思う。たぶん作家の思いがその一言に込められているのだろう。感じ方は人それぞれ違うと思うが、私はこの一言にドキッとした。

 「大いなる時代遅れは、かえって斬新なものだ」(pp.359)

 興武館で稽古している古流の稽古は、今の「競技剣道」から見ればまさに「時代遅れ」そのものだからである。

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 30代の頃、父と食事をしている時によく古流の話をした。最後は「古流は剣道の原点だ」が締めくくりの言葉だった。高校生まではそういう話はしなかったが、大学生になってからは度々古流のことが話題に上った。たぶん、それは自分の学生時代のことが頭に浮かび、私がその年齢になったからだと思う。

 父は大正5年(1916)、16歳の時柴田衛守先生から鞍馬流剣法の「目録」を授けられている。16歳というと今の高校1・2年生だ。若い頃は、埼玉の田舎の人間が何故鞍馬流?と疑問に思っていたが、『私は人生のすべてを剣道から学んだ』(4)を編集している時、詳しい事情を知ることができた。

 明治43年(1910)、祖父は47歳で政界を引退した。引退後羽生には帰らず、腹を決めて東京で剣道に専念することにした。住まいは東京神田の左官職山本勘吉の家の2階四畳半に引き籠もり、そこに下宿して翌年から柴田衛守先生の道場「習成館」に通うようになった。12年間政界にいて剣道修行ができなかった分を取り戻そうとしたのかもしれない。習成館には朝夕2回の稽古に通って修行したのである。父は長期の休みを利用して、祖父の下宿に寝泊まりしながら、習成館に通い修行したものと思う。                  

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 私の古流修行の最初は、「五行」の形で大学4年生の時に父から習った。次は大学院時代、24歳の時に義兄安藤宏三先生が、会津に行って和田晋先生から「一刀流溝口派」の形を習って帰って来た。その時義兄は、「博君、忘れないように相手をしてくれ」という程度、私も「何かの役に立つだろう」という軽い気持ちだったが、現在まで47年間休みなく続けている。私としてはこんなに長く続くとは思っていなかった。よく考えると、続けていれば義兄との関わりをいつまでも忘れないし、曽祖父が会津藩士だったことにも関係している。

 さらに20代の後半、父から「鞍馬流」の形、同じ時期に義兄が高野弘正先生の「一刀流中西派」の講習会に参加して「刃引」、「五点」、「仏捨(ほしゃ)刀(とう)」、そして「五行」を習って帰った。義兄からは、溝口派の時と同じで「忘れないように稽古しよう」だった。

 コロナ禍で稽古ができない現在、古流の形の技を選び木刀で素振りや技の稽古をしている。当時、義兄はそういうつもりで習ったのではないと思うが、それにしても先見性に感服している。私達が今やっている稽古ができるのはまさしく義兄の御蔭なのである。

 ところが、義兄が早世したため私は怠けてしまった。「刃引」、「五点」、「仏捨刀」を忘れてしまったのである。義兄の言う通り、忘れないようにするには稽古相手が必要だなと思う。辛うじて「五行」だけは、昨年12月から館員数人と再会して現在に至っている。他の三つの形も資料を繙きながら一人稽古を始めたので、そのうち再開できそうになってきた。

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 剣道はかなり前から質が変わってきたと思う。「競技剣道」で勝つことを最大の目的に修練している人から見れば、古流の形を稽古していると言うと、時代遅れなことをやっているな、と揶揄されるだろう。しかし、私はそういうことを全く意に介さない「人は人、我は我」という性格なのでとても楽しく稽古している。

 9月以降、防具を着けて基本の稽古をしているが、技の稽古をした御蔭で多くのことを発見した。「競技剣道」は直線的な仕掛け技が多いが、私達が稽古している形は前後左右、さらに斜め前の開き足あるいは斜め後ろへの開き足おまけに左右への足捌きだから複雑なのだ。これを老若男女の相手によってどういう技を使うか、ということを考える面白さがある。突き詰めていくとこんなに多種多様の技があるのかというほど多い。

 古流の技を試しながら、「大いなる時代遅れは、かえって斬新なものだなあ」と思って楽しんでいる。今年2月から広がったコロナ感染の間も飛沫防止のためにマスクやマウスシールドをし、声を出さず(溝口派の形はもともと声を出さない)、木刀で打ち込んで来るのを左右に捌いて行うのでウイルスを気にしないで稽古ができるのである。この形は「左右転化出身之秘太刀」と名付けられているくらいだから足捌きの稽古には打って付けなのだ。30代の頃、野間道場で小川忠太郎先生から、「博さんは古流の形を稽古しているから愛次郎先生に似ている。頑張りなさいよ」などと言われて褒められたものだから余計喜んで稽古している次第である。

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 松籟庵便りの「盈進流稽古法」(1)(2)(3)を読んだ剣友から、「コロナ禍の中では斬新だな」と言われて気を良くしている。たまには時代遅れもいいものだ。コロナ禍の中、早朝から小野鵞堂先生の『三体千字文』を手本に手習いをしているので、特に親しい友人には巻紙に毛筆で手紙を書いている。まさに時代遅れだが、メールで文章を送るよりは丁寧で斬新だと思っている。私の勘違いか?コロナ終息後、世の中はさらに変化すると感じている。しかしたとえ時代が変わってもその変化に合わせて淡々と生きたい。

 「大いなる時代遅れは、かえって斬新なものだ」とすれば、温故知新と同じ意味だ。

 温故知新を辞書で引くと、「昔のことを研究して新しい真理を見付けること」とある。

令和2年(2020)12月11日
於松籟庵

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