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その1:盈進流稽古法

 盈進義塾興武館(以下、「興武館」)の会員で、現在新型コロナウイルス感染症対策分科会々長の尾身茂氏は今年一月から多忙のため稽古を休んでいる。読売新聞8月8日の朝刊第一面に、「感染状況4ステージ」という見出しと共に、西村経済再生相と並んで尾身氏が苦渋の表情を浮かべて(マスクをしていたが、その内側には苦渋の表情が見て取れる)写っていた。終息はいつのことになるのやら……。東京は8月初旬から連続4日間、400人を超える感染者が出ている矢先の新聞報道だった。

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 コロナ禍の中、「興武館」は前期の稽古が終わり10日間のお盆休みに入った。剣道界は、稽古・試合等三密(密閉・密集・密接)の恐れがあるということで、三月以降満足な稽古が行われていない。試合・審査等は中止または延期となっている。

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 そこで私は思い付いたのである。「興武館には古流がある。これはまたとない機会だ。安藤(宏三)先生の生前、二人で稽古していた一刀流五行の形があり、鞍馬流がある」。さらに一刀流溝口派の形は、25歳の時から月に二回45年間稽古している。今思うと、義兄の先見の明には感心する。こういう事態を予測していたわけではなかったと思うが……。

 義兄は35歳の時、和田晋範士九段を会津に訪ねて溝口派の形を習って帰ってきた。そして私に言った。

「やらないと忘れるから、博君一緒に稽古しよう」。

 私はそれほど乗り気ではなかったが、「何かの役に立つかもしれないから付き合うか」。その程度だったが45年も続くとは思ってもいなかった。五行の形もその程度だった。ただ、鞍馬流の形は父の手解きで義兄と私二人して教えてもらった。

 義兄は他にも、高野弘正先生主催の一刀流形講習会に度々参加していろいろな形を習っていた。その度に「やらないと忘れるから稽古しよう」ということで付き合った。しかし、亡くなってから稽古していないので忘れてしまった形がある。例えば、「刃引」や「五点」だ。

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 「盈(えい)進(しん)」とは、『孟子(下)』(岩波書店)が出典で「盈(み)ちて進む」という意味がある。コロナ禍の中、盈ちて進むにはどうしたら良いかと考えた。出した答えは、この半年間館員の皆さんが稽古してきたそのものである。木刀一本用意して、各流派の「技」を先ずは相手を置かずに素振りだけを行った。その後、元立ちの打突に対して懸かり手が、擦り上げ技・返し技・抜き技を繰り出すという「技」の稽古である。反復練習した「技」を竹刀でできるか、と鎬(しのぎ)のない竹刀でできるまでやった。どうしてできるようになったかは、皆さんが体験しているのでわざわざ記さない。そして、防具を着けて同じ「技」ができるかという稽古に発展した。正確性を養うためである。

 盈進流稽古法(以下、「稽古法」)で大事なことは、「一眼二足三胆四力」だ。元立ちの一挙手一投足に気を集中させて、相手の打突に対していつでも応じて打突できる態勢を保つことだ。特に、「眼」が大事で、元立ちの目を見ると同時に、右拳と剣先に注目することだ。これを「視観見察(しかんけんさつ)」と言う。これは20年以上前に読んだ本に書いてあった(剣道の本ではない)。そのため解釈は私独自のものだから当てにしないでほしい。

 「敵と対峙して、敵の目を注視し、見えないところを観て、さらに敵全体を見る。そして察する」と私は勝手に思っている。

 さらにこの「稽古法」は、足捌きと木刀を使用するので鎬の使い方を覚えるのに役に立つ。私自身、この半年で新しく発見したことがあるくらいだ。

 「興武館」は、「競技剣道」と「形剣道」の融合を根底において稽古しているので、コロナ禍終息後の館員の皆さんの剣風の変化を期待している。現にこの「稽古法」を始めた頃と今とでは木刀と木刀が触れ合う音が明らかに違っている。私だけではなく、本人が一番分かっているはずだ。

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 もしかしたら、防具がなかった江戸時代の稽古法(形剣術)は、今皆さんがやっているような稽古だったのかもしれない。世の中では、コロナ終息後の社会の変化がいろいろ取り沙汰されている。剣道界も戦後75年を過ぎた現在、「競技剣道」から脱皮する時期が来たのではないと密かに思っている。

松籟庵からの便り
令和2年8月10日

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