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その8:自分のことは自分で決める ― 一人旅から学んだこと ―

 今の時代は、一人で考える環境が少なくなっているように思う。何かで繋がっていないと不安なのかもしれない。一人だと、本当に自分しかいないから洞察力が働くと思うのだが……。その点、剣道は相手と向かい合ったら一人で戦わなくてはならない。勝っても負けてもすべて自分の責任である。誰も助けてくれない。すべて自分の責任で行動し、自分の責任で判断しなければならない。出るか、待つか、溜めるかを自分で決めなくてはならないのだ。従って、言い訳は通用しないという洵に厳しい世界なのである。

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 私は子供の頃から一人が好きだった。兄弟姉妹が多くしかも一番下(私の田舎では「猫のしっぽ」と言う)、家族以外の出入りも多くて賑やかだった。今思うと、その場から逃げ出していたのだ。逃げ場は利根川で、土手に寝転んで川の流れや雲の流れを一人で眺めていた。家族の誰かが、私がいないことに気が付くと、母が言ったそうだ。「また利根川にでも行ったんでしょう。暗くなったら帰ってくるよ」と。

 大人になると、遠くへ行くときはほとんど一人旅だった。一人旅は自分の能力、長所短所を客観的に見詰め直すことができる絶好の機会かもしれない。何しろ、右に行くか左に行くか、やるかやらないか、イエスかノーかを決めるのは自分しかいないのだから……。

 このことは、延いては自立することに関係してくるのではないか。周囲の意見に流されないように、自分の意見や考えをしっかり持ち、自分の考えで人生の舵を取ることに繋がる大事なことだ。それを親や他人の判断に依存すると、もし失敗した時に言い訳をしやすいが、自分で責任を取ることを避けると本人のためにならない。さらに、一人になれないと自分で考える機会や学ぶ機会を失う。相手を見分ける能力や危険を察知する能力までも育たなくなってしまう。結果として、自立できない大人が出来上がってしまうからだ。一つの表れが、世間でいう「濡れ落ち葉」だ。定年退職後、夫が妻から離れられず、どこへ行くにもまとわりついて生活している状態だ。これは学校や社会できちんと学んで来なかったことの良い例だろう。

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 ちょうど今から30年前の1990年、こういうことがあった。勤務校から英国留学の機会を得た。選んだ場所はロンドンではなく、地方都市でロビンフッドが有名なノッティンガム州にある大学。宿舎は家賃の安い学内の教員宿舎、しかも学生食堂の隣。「学食」は安くて、量があって、美味かった。食と住は快適。研究室は歩いて5分、教授と二人で毎日過ごしたがきついウェールズ訛には閉口した。

 そういう地方都市で、地元の剣道愛好家たちと交流し、剣道以外は一人自由な生活を楽しんだ。彼らとは今も交流があり、「BKA Ozawa Kendo Seminar」が続いている。私は怪我のため2年ほど参加していないが、二ノ宮先生が指導してくれて感謝している。

 滞在中、教授の許可を得て二度国内を一人で回った。移動は鉄道を利用し、国内の剣道大会とヨーロッパ大会で知り合った指導者たちが住む都市で講習会を指導した。現地へ着くと剣友が迎えに来て道場やホテルに案内してくれたが、途中はすべて列車での移動だった。英国の鉄道事情はなかなか複雑で目的地に着くまで分からない。

 英国到着一ヶ月後、オックスフォード大学での講習会を終え、次の目的地はリバプールだった。リバプールに行くにはバーミンガムで乗り換えなくてはならない。乗換駅では、一つのホームに行き先が違う乗り場が三ヶ所あって当惑した。駅員に尋ねたらこう言った。「たぶんA乗り場だ」。「んー?たぶん?駅員なのに分からないのか?」と思い、他の駅員にも聞いてみたらB乗り場だと言う。利用者にも尋ねたらC乗り場。「なんだ、この国は。どうなっているんだ?」。30分の乗り継ぎ時間内に合計10人に聞いた。最終的に、「私もリバプールに行くから付いて来て」と、年配の御婦人が乗り場まで連れて行ってくれて、無事に目的地に着くことができた。10人中9人は当てにならなかった。他のことはほとんど自分で決めたが、この時だけは人に頼らざるを得なかった。これが英国流かと悟った。こういうことがあると覚悟が決まる。その後の生活は楽だった。

令和2年(2020)9月25日
於松籟庵

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