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その16:勝って反省、負けて工夫

 通常は、「勝って反省、負けて工夫」と言われているが、私は「負けて工夫、勝っても工夫」と思っている。剣道を志す人にとって、試合や審査はそれまで鍛錬したことがきちんとできているかを確認する絶好の機会である。試合には勝ち負けが付きものだから、何故勝てたのかを反省すると良いのだが、勝った時は嬉しくてあまり反省しない。負けた時は、どこが悪くて負けたのかを反省し、次に繋げる工夫をする機会になる。勝った時こそ反省し、さらに工夫する良い機会なのだが……。それが未来に挑戦するための手段だ。「挑戦は新しい人生」への希望となる。負けたとしても、気持ちを入れ替えて工夫し挑戦していると、楽しく良い時間を過ごすことができる。平等に与えられた時間ならば有効に使うことだ。未来に挑戦する方法はただ一つ「三磨之位」である。

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 大体において、100回戦って100回勝つことができることなど『孫子』のような戦いの天才でなければ不可能なことだ。『孫子』で最も有名な言葉は、「彼を知り己を知れば百戦殆からず」。敵の実力や現状をしっかり把握し、自分のことをよくわきまえて戦えば、何度戦っても勝つことができる、という意味である。

 しかし、初心者が試合に出場して相手の実力など分かるはずがないし、自分の実力がどの程度なのかも分からない。ということは沢山試合に出て経験するしかない。ある程度慣れて自分の実力がどの程度なのかが分かったら、次の段階として、相手を見てどこが弱点なのかを分析すると剣道が面白くなってくる。それができるようになるまでにはかなりの時間が掛かる。先ずは「己を知る」ことの方が先だ。自分のことを知るのも難しい。身体のことは学校の体力測定、性格のことは親兄弟や身近な人に聞くしかない。

 小学生の頃、父から「博は足が速いから足を使え」と言われたことがあった。ただし、どのように使うかは教えてくれなかった。性格のことは母からだった。「ノンビリ屋だし、おっとりしているからもっと集中しなさい」と言われたが、持って生まれた性格は簡単に変わるものではない。ノンビリ、おっとりはいまだに直っていないので苦笑している。

 剣道のことについては、普段から基礎・基本の鍛錬に心掛けておくことが最も大切なことである。結論から言ってしまえば、「切り返し」と「打ち込み稽古」・「懸かり稽古」という一番辛く面白くない稽古法なのだ。一番辛い稽古法が一番大切というのが、何とも皮肉なものである。

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 64年間の剣道人生の中で、何度反省し工夫したか分からない。回数を数えたことはないが、確かなことは勝った回数より負けた回数の方が多いということだ。それに勝ったことより負けたことの方が心に残っている。ただ、試合は未来の私に希望を与えてくれる良い機会だった。勝っていい気になっていたら、次には痛い目に遭った。「勝って驕らず、負けて悔やまず」、「勝って兜の緒を締めよ」。勝負事には名言金言が沢山ある。どちらかというと負けた時の方が心に響く。負けると精神的に落ち込むし、やる気もなくなる。名言金言にはそういう気持ちを心機一転して励ましに変える効果がある。誰もがそういう言葉に支えられて成長してきたことだろう。「落ちて反省、受かって反省」、試合も審査も同じだ。私は良い勉強をした。まさに、『人生のすべてを剣道から学んだ』と思う。

 負けた人に対しても、すべてを否定するのではなく、どこか必ず良いところがあったはずだから、そこを褒めてから弱点を指摘してあげると納得する。試合だけではなく、普段の稽古や昇段審査の場合でも同じことが言えるだろう。何しろ審査は合格した人よりも不合格の人の方がはるかに多い。試合では個人戦となると優勝するのは一人しかいない。他の人はどこかで負けている。そういう時、やる気を起こさせる指導者は尊い存在である。

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 話は違うが、普段ほとんどテレビを見ないのだが、私は山が好きなので登山の番組だけは見る。経験豊かな登山のガイドの説明を聞いていると、山を愛している姿が言動からにじみ出ている。例えば、初めてその山に登る人を案内しながら、その山の魅力を紹介し、怪我をしないように注意深く助言する。

 剣道でも上位の人は後から来る人に対して、このようにありたいものだといつも思う。ただし、山のガイドは一から十まで詳しく説明するが、剣道ではそこまで説明する必要はない。山は命に係わることだからだと思う。剣道では詳しく説明し過ぎると、工夫しなくなるので一から五か六くらいが良い。その後は自分で工夫してもらう。私は今までほとんど助言しなかったが、70歳になったのを機に少し助言するようになった。余計なお世話だがこれも年齢のせいか。でも、昔の大先生から助言された経験はほとんどない。佐藤卯吉先生、森田文十郎先生、小川忠太郎先生、大野操一郎先生、ましてや持田盛二先生など話をすることも恐れ多かった。

 そういう訳で、自分で工夫し、会得したことは体が覚えているから、知識としては忘れていても思い掛けない時に、思い掛けない技が出る。それが剣道の技術でいえば最高の「無心の技」というものであろう。小学生低学年の試合を見ていると、試合の経験は少ないかもしれないが、時々そういう場面に遭遇する。

 鉄舟先生の『修身二十則』の中に、「幼者を侮るべからず」とある。

令和2年(2020)12月1日
於松籟庵

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