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松籟庵便り

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盈進義塾興武館ホームページで連載している、館長小澤博の風まかせ筆まかせ読み切り剣道コラムのアーカイブスです。
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#イギリス剣道

はじめに:松籟庵(しょうらいあん)

 最近、私の若い頃を知る人には信じられないほど早起きになり、小野鵞堂先生の『三体千字文』を手本に手習いをしていた。その中にこんな文章があった。 「索居閑處 沈黙寂寥 求古尋論 散慮逍遥」(p.127) 訳すと以下の通りになる。 「自分からタイミングよく勇退した後、閑静なところに移り住み、毎日を物静かに暮らして世の中のことにあえて口に出さず、穏やかに過ごしている。古書を繙いて、昔の人の残したよい事をあれこれ論じたりして、煩わしい世事から心を解き放し、山野をさまよい歩きなが

その33:海外剣道交流(3)

樫の木剣友会との27年2⃣ 1990年6月、日本から野間道場の先輩蓑輪勝先生が一週間滞在して一緒に稽古をしたことがあった。「形」の稽古で蓑輪先生が打太刀、マンディが仕太刀をした。小太刀2本目の残心で蓑輪先生の頬がポーッと赤くなって目を伏せた。後で聞いたら、見詰められて恥ずかしくなったと言った。トレバーとも形を行った。普段は優しい目をしたトレバーだったが、瞬きをしないし、目を離さないでジーッと見る目が怖かったとも言った。蓑輪先生と知り合ってからもう50年以上過ぎたが、この話題に

その32:海外剣道交流(2)

樫の木剣友会との27年 1⃣ 樫の木剣友会のリーダーで剣友のトレバー・チャップマンは、不治の病を患い丸2年間病と闘ったが、平成29年(2017)10月19日、60歳になる直前に亡くなってしまった。時間が経つのは本当に早い。私よりも10歳位若いのに本当に残念でならない。イギリスとの剣道交流はほとんど樫の木剣友会を中心としたものだった。そういう意味でトレバーの存在が大きい。           *  40歳の時、大学のサバティカルリーブ(研究休暇)でイギリスに長期滞在した。形

その31:海外剣道交流(1)

 昭和44年(1969)、19歳から始まった海外との剣道交流は、私にとって好奇心を強く刺激されるものだった。初めての時のことは鮮明に覚えている。夏休みが始まって直ぐにハワイへ3週間。他の島は別にして、オアフ島での宿泊は従姉夫婦の家に居候して島内にある剣道場で一日置きに稽古をした。  昭和30年代の海外旅行は仕事や視察、留学というはっきりした目的があっての旅行のみで、しかも特定の認可が必要だった。自由に海外旅行ができるようになったのは、昭和39年(1964)からで年一度と決め