【メモ】「名前」について思うこと

2020.08.30

1. ラジオの話

僕はTBSラジオの「荻上チキ Session22」という番組を欠かさず聞いている。

先日、ひきこもり問題を扱う回があって、そこで斎藤環(たまき)先生という方がリモートで出演されていた。
(その回のラジオクラウドはこちらから)

どこかで聞いたことある名前だなぁ…と思い出してみたら、最近飲み友達となった方が、「母親の部屋に斎藤先生の本がありました。斎藤違いですが」といっていた。

この斎藤違いというのは、僕がnoteで書いていたのはアダルトチルドレン系の書籍を出している斎藤司先生のことで、母親の部屋にあったのは斎藤環先生の本でした、という話。

今回気になった斎藤環先生の本を調べてみると、社会的ひきこもりとか、対話を通したメンタル問題の解決などの書籍を出していて、目次にさらっと目を通しても「おぉ、これはぜひとも読みたいな!」と思った。
(とりあえずアマゾンのほしいものリストには入れた)


2. 「名前・呼び方」に基づくすれ違い

だが、同時にふと思ったのは、「名前・呼び方」に基づくすれ違いが発生しているな、ということだ。

目次を見た限りでは、斎藤環先生の本のエッセンスは、生きづらさを解決する上でのヒントがたくさん詰まっているように思う。
2年以上前の僕に読ませていたら、もっと早くに問題が解決していたかもしれない。

しかし、実際には、生きづらさに悩む僕のフィルターには斎藤環先生はひっかからず、斎藤違いで斎藤司先生の書籍が引っかかった。
(斎藤司先生の書籍も参考になりましたけど)

なぜかといえば、
僕は生きづらさの原因を愛着障害という単語をスタート地点として考えていたからだ
そして、その時の僕は、「ひきこもり」という単語は全く意識していなかった。


例えば、「うつ病」という単語をスタートに生きづらさを考えると、
ストレスを元に発症した「病気」で、薬物療法による「治療」が必要で、治療によって「元に戻る」、という流れになるだろうか?

一方で、「発達障害」という単語をスタートに生きづらさを考えると、
それは遺伝的な要因に基づく「生物学的な特徴」で、どうやってうまく付き合っていくか?という流れになるかもしれない。
(HSPなどもこの部類に入るのかもしれない)

また、「愛着障害」だったら、どうやって安全基地を築くのか、親と子の関係をどうするか?という家庭内の環境・関係性の話になるし。
ひきこもり」なら、家庭環境・社会との関わり方が考え方の主軸になる。


内容を紐解けば、問題解決のエッセンスにはかなりの共通点があるはずだし、多角的な角度から見ることでさらに効果的なアプローチができるはずなのだ。

しかし、少なくとも僕の場合は、「自分は愛着障害なのだ!」という1つの枠で考えてしまって、他の要素からも多角的に見るということはしなかった。
(まぁ、こうゆう見方は悩みの渦中にいる間はできないものだと思いますが)


3. 書店員さん

話をまとめねば。

本屋に例えるならば、こういった「名前・呼び方」というのは、「マンガコーナー」「料理本コーナー」「政治関連」のように、ブースを分けることに近いものがある

名前をつけることで初めて、正体不明だった問題の輪郭を浮かび上がらせることができる点では大きなメリットがある。

一方で、
名前が生まれることはブースがたくさんできることに繋がる。
そうすると、「自分は○○に興味があるから」といって特定のブースにだけ関心を持ち、別ブースに足を向けることがなくなってしまう


このすれ違いはどうしたら解決できるのだろうか?


一番いいのは、「書店員さん」になる立場の人がいたらいいのか?と僕は思う。

「〇〇の情報でしたら、あちらのコーナーにありますね。あと、△△コーナーも実はためになる情報があるんですよ!」
ってな具合で、縦割りに区切られてしまった分類に対して、横の軸を通して案内できるような人。


んー…あるいは。
それぞれの分野で良い書籍をピックアップして、「目次だけ並べてみる」とか。

そうすると、関係ないと思われていた分野の間で、「あれ?ここ言ってることすげぇ近い気がする」みたいな発見があり、それが問題解決につながったりしそうな気もする。


誰かやればいいのに!
(僕は面倒だし、その立場にはないと思っているのでいやです笑)

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