【メモ】お金に歪められてる話・能動と受動の話
2020.05.21
欲求開発の話を書き進めていたが、思っていた展開通りにはいかなそうなので、Partの連番でつなげないメモで書く。
どう思ってない展開だったかというと、
好きな物事を一旦片付けたら、欲求は仕事の方に向くのではないか?
とはならなかった...
というもの。
欲求を片付けて、実際に仕事関係のことに真正面から向き合うと...
息苦しくてしんどくなってくるのだ。
イメージとしては、山登りの酸素とか気圧の逆のかんじ。
山登りの場合は、標高が高いところにいくほど、酸素が薄くなったり、気圧とかが低くなったりして苦しくなる。
僕の仕事の場合は、「濃度が高くなって」苦しい感じ。
自分の日々の時間の中で、仕事・研究が占める割合とか、気持ちの配分が薄いときは平気なのだが。
これを意識的に高濃度な状態に持っていくと...辛くなる。
職場とかで苦しい、くらいならいいのだが。
生活全体としてテンションが下がっていく。
これは、作戦失敗だ。
作戦そのものは成功しているし、必要な過程だった。
(自分の中でやり残していたことを、ちゃんと実行して達成すること)
ただ、好きなもの→眼の前のやるべきこと、の欲求の移行は、想像していたよりも簡単ではないようだ。
一度迂回して、様子を見てみよう。
(これは「敷かれたレール問題(今、命名)」だと考えている。後日書く)
そんなわけで。
今回は最近考えていることを、軽くメモしておく。
・欲求開発が父性的=条件付き(分岐する)理由
無条件の愛情とか、自分が存在する理由については、一通り書き出すことができたと思っているし、これは誰でも適応できるとも思っている。
なぜかというと、「それぞれの人の過去の事実が根拠だから」。
僕が書いてる話は、要約すれば「自分が生まれたら、その時点で無条件の愛情は必ず獲得できます」ってこと。
それに対して、欲求開発は…
生まれた時点では確定していない。
自分がどんなものに触れるか?
何を楽しいと思うか?
何にハマるか?感動するか?
こうゆうきわめて不確定なものによって、欲求開発がうまくいくかどうかが左右される。
だから、欲求開発はできるかできないかが分岐する、父性的なものなのだろう。
こうやって考えると、
「やりたいこととか、夢とか、将来の目標とかは、手に入ったらラッキーなもの」
「それが今現在ないからといって、絶望したり悲観したりするものではない」
って自分に言ってやりたくなる。
・みんな、お金に歪められてる
お金に歪められる、というと。
僕はとんでもない大金によって性格が変わることをイメージしてしまう。
もっといえば、
「自分はお金には歪められない!」
「経済的な成功は求めないぞ!」
と思っていた。最近まで。割と本気で。
でもさぁ…
やりたいこととか、こうゆうのが好き!ってのを深く考えようとすると。
「でも、それって仕事にならなくない?ご飯食べていけないじゃん?」
↑
これ
これだよ、これ!
これこそ、まさしく「お金に歪められてる」状態じゃない?
お金のことを考えることで、自分の好きなことに蓋をしようとする。
ブレーキをかける。
「やりたいこと」が実行できなくなってしまう。
生きるのに最低限のお金だけでもほしい…
だから、やりたくなくても仕事をしなければ...
こう考え始めただけで、既にお金に歪められている!
こわ…
こうゆう、お金とか、価値の圧力は、自分の外側から圧縮するように働く。
アルミ缶をイメージすると...
外側からの圧力によって、アルミ缶は簡単に歪む。
中の空気を抜いておくと、簡単にぺしゃんこになる。
だからこそ、内側からの圧力=欲求が必要だ。
それも、外側からの強烈な圧力にも釣り合うくらいのものが。
強烈な欲求が手に入れば、くしゃくしゃに潰れた状態からでも、
内側から押し広げて自分の形を再構成できるかもしれない。
・能動と受動の話
「映画を見る」
これの能動と受動を考えると…
人に誘われないと映画を見ない、という人は受動的だし。
年間300本見ます!という人は能動的だ。
でも、「映画」の能動と受動を考えてみると…
「映画を見る」という行為自体が、結構受動的じゃない?
「映画を宣伝する・広める」とか「映画を見せる」が中くらい?
「映画を作る」が能動的な行為ではないか?
しかし、だ。
それでは、大学の仲良しサークルでなんとなく自主映画を作る人と。
膨大な量の映画を鑑賞して、それの批評とかを職業とする人。
どっちが「能動的」なんだ?
音楽も、本も、テレビも、お酒も、なんでもかんでも...
何の話をしているんだろう?
僕もわかりません笑
欲求→能動性、を考えていたらこんな謎回答に行き着いてしまった。
たまにはいいじゃん、noteだし。メモだし。
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