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【メモ】「敷かれたレール問題」と「依存」について

2020.05.22

記憶に新しいうちに、「敷かれたレール問題」について書いておく。

この名前は僕が昨日適当につけたものだ。
(noteの機能で、画像挿入のやつを初めて使ってみた)


・敷かれたレール問題

僕のこれまでの人生は、「他人に敷かれたレール」に沿って生きてきた。
(少なくとも本人はそう感じている)
進路にしろ、何を目標にするかにしろ、いろんなこと。
これは、楽な生き方ではある。
人生を考える上での難問を、他人に解いてもらってる状態だから。

↑これが、「敷かれたレール問題」の前半。
これは、理解しやすい。


そいでもって、愛着障害を克服した後は、
やり残していた好きなことをやる」
というのを実行した。

↑ここが、「敷かれたレール問題」の後半。

どのへんが敷かれたレールかというと、
自分自身で敷いたレール」に沿っていないか?
ということ。

読み残していた本、見ていなかった映画、行っていなかった場所、etc…

どれもこれも、「何をするか?」という点は決まっているのだ。



で、今はこのレールも走り終えた状態。



さあ、どうするか?

いくつか考えを整理する必要がある。


① 自分で敷いたレールを走るのは楽しい

自分の好きなことをやって、自分で勝手に満足する。
こりゃぁ楽しいに決まっとる。

どうせレールを走るなら、他人が敷いたものではなく、自分で敷いたものがいい。


② そもそもレールは敷くべきなのか?

レールを敷くことで、「人生の方向性」「考え方の方向性」が決まる。
しかし、これは同時に「思考停止するリスク」も持っている。

あえてレールを敷かずに、探索的に過ごす時間も重要なのではないか?

自分で探索して見つけ出したものだからこそ、本気で取り組めるのではないか?


③ 依存に逆戻り? ーそもそも依存って、何?ー

愛着障害克服記録の中で、僕は「自分以外のあらゆるもの」に依存するな、と書いた

ここまで徹底することで初めて、克服方法は「他者との関係」ではなく、「自分の時間軸」に存在する、というところに到達できた。

ここまで来たらUターンして、「改めて自分以外のものとの関係を結び直す」時期に入る。


これは、依存に逆戻りなのだろうか?

字面だけを追うと、よくわからなくなる。


そもそも依存とはどうゆう状態なのだろうか?

・エネルギー摂取を食べ物に依存している
・日本は石油エネルギーを中東の国々に依存している
・あの人はパートナーに依存している
・あの人はアルコール依存症だから、お酒がやめられない
・日々のニュース・情報源を〇〇ニュースに依存している

いくつか依存という言葉を含む状態を考えてみた。

そうすると…

依存とは、「その対象を失うと、いままでの状態を保てなくなること

といえるのではないか?

食べ物の場合...
食べ物全般で考えると、必ず摂取する必要がある。
摂取しなきゃ死ぬ。
これは依存している状態だ。
でも、お米に依存している、という状態なら。
パンとか麺などの代替手段を手に入れれば、お米自体には依存しなくて済む。

石油もそうだ。
中東に限らず、他の国とか、あるいは別のエネルギーがあれば、
依存状態は解消できる。

パートナーもそう。
パートナーの数を増やす…ってのは同意できないので。
その人が夢中になれることを増やせば、パートナーへの依存状態は和らげることができる。

食べ物の例でわかる通り、依存というのはあくまで状態であり、
それ自体がいいものでも悪いものでもない。

大事なのはその内容だ。
どのように依存しているか?


では、話をもとに戻して。

④ 克服前の状態は、「どのように依存しようとしていたのか?」

克服前の状態では、
「自分を満たしてくれる愛情」と「自分が存在する理由」がほしいから、
自分以外のものに依存するわけだ。

この「自分が生きている理由とか目的を”精神的に”依存していること」が問題だ。


感覚としては…

仕事でも、創作活動でも、なんでも…
自分の「外側」にあるそれらのものに向かって、自分が溶けて取り込まれるかんじ。

問題点はなにか?
・仕事、創作活動、などと言いながら、実際に求めているものは、
それを介した他者からの評価
↑これが一切ない状態でも続くかどうか?が依存かそうでないかの別れ目か?

・「外側」にあるそれらのものと、自分が一体化してしまって、「取り外すことができない状態

外側、って感覚が重要だと思う。

ここでは依存症については分けて考えておく。
例えば、アルコール依存。
飲みたい!っていう気持ちでガンガン飲んだとしても、
それをコントロールできなきゃ依存症だ。

生き方については、精神的な依存にフォーカスする。

⑤ 「自分」を基準とすることで、依存状態を回避する

先程、一応の「依存」の定義として
その対象を失うと、いままでの状態を保てなくなること

と書いた。

だから、「自分以外のものとの関係の取り方を変える」ことによって、
依存せずに関係性を構築できるようになるわけだ。


依存によってほしかったもの。
「自分を満たしてくれる愛情」と「自分が存在する理由」。
愛情は、「やりたいことをやる」によって自給自足できる。
存在理由は、自分の過去を振り返ったときに確認できる。
(そもそも、理由って、「物事のいきさつ・根拠」のことだから、過去にしか存在しないのよね)

で、ここから欲しいものは「やりたいこと=欲求」と「存在目的(未来の話)

↑これを、「他者からもらう」のではなく、「自分の内側」で構築できればいい。


関係性で重要なのが、自分と対象(人・もの・こと)とのマンツーマンだ。
第三者の目とか、考えを介さないで、対象としっかり向き合う。
・本を読む時、
(誰かが”役立つと言ったから”)ではなく、
(私は読みたいのか?)
・なにか目標を立ててやる時、
(評価されたいとか、勝ちたいとか)ではなく、
(私はこれをやりたいのか?)


⑥ 何をしたらいいのか? ーまずは「好きを知ること」ー

考え方のスタート地点は、「自分が好きなものを知ること」。

これについては、ただただ自分と向き合っていても理解はできないと思う。

僕が最近始めたお手軽な方法は…

dマガジン

月額400円くらいで、とんでもない量の雑誌が読める。
(ステマではない)

dマガジンをどう使うかというと…

膨大な量の雑誌の中から、自分が選んで読むもの。

そこに「好き」のヒントがある。

僕はとりあえず、歴史系・お酒系・電車系のところから読み始めている。


「好き」を掘り下げたその先に、「やりたいこと」が形を現し始める。
(見てきたようなことを書いているが、僕も実践中の身である)

自分の行動が、自分以外のものに精神的に依存しているのかどうか?

それが気になった時に、僕は自分に問うようにしている。
「なんで、それやるの?」
掘り下げていって、やりたい!が出てくるかどうか?
あるいは、やらなきゃ!が出てくるか?

好きなものを探す、については、探すことそのものが楽しいと思えるかどうかですな。


長くなったから、このへんで切っておく。



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