【第二期 欲求を開発しよう!】Part 7 欲求と向き合う中で思うこと
2020.05.05
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【第二期 欲求を開発しよう!】
Part 6-3 時間を注ぐ準備をしよう②
7-1. 昔との考え方の違い
この1年間、欲求というものと向き合ってきた。
満たされずに放置されていた欲求の片付けは終わった。
そして、今、自分の本職と真正面から向き合っている。
いまの状態は、愛着障害克服前の、自己否定をしたり、抑うつ的な精神状態に少し似ている。
しかし、決定的に違うこともわかる。
何が違うのだろうか?
例えば、自分をやたらに卑下したり、無意識に自分を被害者のように捉えて、辛い辛いと考える思考回路ではなくなった。
これは、周囲との能力差や、自分の理想・願望とのギャップに囚われるのをやめて、自分にできること、自分にできないことをそのまま受け止めるようになったからだ。
できないことは、能力が足りないものもあるし、
ADHD性によるもの(計画性・時間の管理など)
ASD性(コレクター癖、他者への関心の薄さ)
だったりする。
あと、「何のために生きるのか?」という視点も変わったことが大きい。
他者からの評価、社会的に良いとされるもの、外側から植え付けられた理想像。
こうゆうもののために生きるのではなく。
あくまでも、自分の人生を生きるのだ、と考える。
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7-2. 「やりたいこと」だからできるのか?
いやね、ここまではいいのよ。うん。
問題はここからよ。
「自分のために生きる」って、何?
昔から感じていた違和感。
「研究者はいいよなぁ。やりたいことができて。」
「会社に入ると、やりたくないことをやらされる」
後者は、わかる。
僕がいつも引っかかっていたのは、前者だ。
僕のやりたいことって、何?
いままでは、先程上にあげたようなモチベーションで僕は動いていたのでよくわからかったが。
自分の欲求と真正面から向き合うとよくわかる。
(ちなみに、欲求と向き合うためにも感情の蘇生という過程が重要だと思う)
あー…みんな、やりたくてやってるんだ笑
みんな、理系のこととか、生物系に興味を持って大学に進学して、
興味のあることを教科書読んだり論文読んだり、自分で勝手に進めて、
その結果として「研究者」という道を選択しているんだ。
字面としては何度も何度も、
それこそ、テレビCMでまた言ってるよ、と感じるほど見てきた。
しかし、頭でなく、心で理解できた!(ペッシ)というか、
腹の底から、腑に落ちるように納得できるようになった。
僕は、興味に基づいてこの道を選択したわけではない。
いろいろ流され続け、時によろしくないモチベーションで自分を動かして、その行き着いた先が今現在か。
これが、もう少し負荷の小さい仕事なら、仕事だからと割り切って、
プライベートで好きなことをやろう!という選択もあるのかもしれない。
でも、研究は負荷が強すぎる。
常に頭も手も動かし続け、気が緩む状況でも片隅で考え続ける。
プライベートで、趣味であれをしたい!これをしたい!ができない。
しかも、上の立場になればなるほど、尋常じゃない仕事量・処理能力が求められる。
こうゆうのができるのは、心の深い部分で「やりたいから」という気持ちがしっかりとあるからだ。
だから、僕は、この仕事は向いていない…
と言いたくなるところだが、そう結論づけるのもまだ早い。
例えば、欲求に基づいていないとはいえ、
一般の労働環境とは異質なところに適応(仮)をしているということは、
ある程度の適性はあるのだろう。
それに…
欲求と向き合ってしまったがために、
やりたいと思わない物事に対して、以前にも増して体も心も動きづらくなっている。
果たして、この状態で一般的な仕事ができるのだろうか?
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7-3. 原体験と過去への怨嗟の声
というわけで、ここからしばらくは欲求と向き合い続ける生活を続けていく。
欲求を考える上では、幼い頃の「原体験」が重要だと思っている。
人生のどこかのタイミングで、何かにぐっっっと惹かれる!
人生の土台にこれがある人は軸がしっかりしている。
僕の原体験はなんだろう。
こう考えた時に、すぐに頭に浮かぶものが2つある。
ひとつは、アゲハチョウの幼虫がかわいい、という思い出だ。
家の庭にあったミカンの木にいたやつをツンツンしていた。
ここで、「もしも…」という内なる声が聞こえてくる。
もしも、身近に昆虫に詳しい人がいたなら…
アゲハチョウの脱皮の仕組みとか、ホルモンの話とかをしてくれて、その時の感動が原体験となって、生命現象の強い興味につながっていた…かもしれない。
(最近、昔の研究者の伝記っぽいのを読み始めたので、余計にそう感じる)
こうゆう過去への「もしも」とか、周りがこうしてくれたら!という心の声を、僕は「過去への怨嗟(えんさ)の声」と呼んでいる。
こうゆう恨み言が出てくるのはしょうがない。
これが出てきたら、すぐ自分に問う。
「じゃあ、今やればいいじゃん?」
この習慣をつけると、すこしずつ他人に責任転嫁せずに、自分の責任として受け止められるようになっていく。
なんだっけ?あぁ、原体験の話だ。
生き物とか生命現象への興味については、小さい頃の原石のような興味と、今現在の仕事レベルでの興味のギャップが広すぎるんだ。
この問題が解決できるかどうかは…しらんわ
もうひとつの原体験は、家から車で少し行った町のはずれの観音堂だ。
山の中に少し古いお堂と、立派な観音様がいた。
何回か行きたい!といって連れて行ってもらった気がする。
この頃から、古い寺院だったり、仏像とかに漠然と興味があったのだろう。
そこに大河ドラマなどが組み合わさって、現在の歴史好きを形成した。
こっちは、いいかんじに欲求が刺激されつづけた。
何より、「自分で勝手にのめりこんでいった」
そうだ。
やりたいことって。
要は勝手にのめり込むものだ。
理性でブレーキを踏まなければ、
アクセルをガンガンに踏み込んでいくもの。
だから、欲求を開発するには、
とりあえずアクセルをガンガン踏む=行動してみる
なんだろう。
うまくいくかどうかは、やってみなけりゃわからない。
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7-4. 「自己決定感」の重要さ
取り留めのない話になってるから、まとめないと。
欲求 = 自分を実際に行動させるもの。
こいつを強くする上で大事なのは、
自分で「やる!」と決断する気持ち = 自己決定感
誰かに押し付けられたり、他人から刷り込まれた考えに基づいて行動していると、どんどん行き詰まっていく。
逆もまたある。
やらない!と決定すること。
やることを決めるのと同じくらい、やらないことを決めるのも大事。
これを常に実行できたら、苦労しないよなぁ…
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【第二期 欲求を開発しよう!】
Part 8「やりたいことをどう」定義するか?
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