【第二期 欲求を開発しよう!】Part 8-2 「やりたいことをどう」定義するか? (中編)

2020.11.21

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【第二期 欲求を開発しよう!】
Part 8-1 「やりたいことをどう」定義するか?(前編)


先日の記事では、なかなか抽象的な話をしてしまった。

そこで今回は、具体寄りの話をしてみようと思う。


8-3. Part 8-1 の前半部分を考えてみる

「宇都宮に行きたい!」の話を書いた。

ここで、宇都宮に行きたい理由を、
・餃子を食べたい!
・日光に行って温泉入りたい!

というように思うことは、
「やりたいこと」を見つける上では問題がある
という話だった。(8-2②あたり)


これ、わかりやすそうな気がする!と思って書いたんですが…
内容が身近すぎて、逆にポイントを掴みづらかったように感じます。

そこで、今回は僕自身の2例と、テレビでよく見るお笑い1例をとって考えてみます。

僕の例だと、
・お酒を作る企業に入社して、新しいお酒を作る!(成果への目標)
・研究で実力を発揮して、教授になる!(給与・評価への目標)

お笑いの例だと、
・M-1で王者になる!

この3例で考えてみましょう。


8-4. 目標を立てることの落とし穴


先程あげた3つの例。
他人目線で聞くと、
「おぉ、すばらしい目標ですね!がんばってください。」
と思う。

だけど、本人目線で考えたときに重要になるのは、
・(未来に実現されるかもしれない)目標の内容
ではなく、
・(過去ー現在を材料にして)なぜその目標を立てたのか?

という理由なのだ。


ここで一旦宇都宮に話を戻すと…

先程の3例は、
宇都宮という目的地にたどり着いて初めて実現されるもの、に近い。
(餃子を食べる、温泉に入る、は途中の高速道路を走っている間は満たされないこと)

僕がいいたいことは、
・「目的地に到着する」手前の段階を考えよう。
・「途中の道筋」こそが、やりたいことの本質なのだ。

ということ。

だから、東京から宇都宮に至る、東北縦貫道を例に出した…
のだが、これがわかりにくすぎた笑


例えば、
① お酒の企業で新しいお酒を作る

実現できたら、すばらしいことだ。
しかし、この困難な壁に対して、「お酒を飲むのが好き!」というだけで挑めるだろうか?
新しいお酒を作るならば、様々なお酒に関する知識を吸収する必要があるだろう。
また、実際にモノを作るときには、製造や調合の方法でかなりの試行錯誤が必要になるかもしれない。

そうしたときに…
お酒を作ることに対して興味のない人間が、
こういった地道な努力や、山のような失敗に対して、
「あ!これ面白い!」とか、「やっててよかった!」という感覚を得られるだろうか?

大概は、「あれ…?なんでこんな辛い思いして仕事してるんだっけ…?」
というブレーキを踏んで、先に進めなくなってしまわないか?

② 研究で実力を発揮して、教授になる!

スムーズにいこう。

教授になるのはすばらしい。
だが、たくさんの論文を調べて精査に読破したり、休日という概念を失って実験を繰り替えす中で、
「なんでこんなことやってるんだ?」
と感じるならば、それは「やりたいこと」なのだろうか?

③ M-1で王者になる!

M-1王者は、キングオブコント、THE MANZAI、R-1、THE W、などのタイトルに対して、明らかに別格な評価を受ける。
お笑いをしていれば、誰もが目指す金字塔なのかもしれない。

しかし、それを目指す段階で、数多のボツネタ、数え切れない敗戦をするなかで、
「なんでこんなことやってるんだ?」
と感じてもいいのだろうか?


長々を書きましたが。
こうゆう例を上げると伝わりやすいかな、と思います。
つまり、宇都宮の例で言いたかったことは、

目的地ありきで「やりたいこと」を考えると、死ぬよ!

ということ(半分実体験)。


で、どうしたらいいかというのが、
「目的地」:宇都宮
ではなく、
「途中経路」:東北縦貫道
という話。


8-5. 「やりたいこと (will do)」ではなく、「やっていること(doing)」


今度は、Part 8-1 の後半の話。

目的地を考える前に、途中経路を見極める必要があるよ!
ってこと。

簡略化すると
お酒:
電車に乗ってるときにスマホでお酒ネタ調べるのが好き
> 仕事でお酒情報調べるハードルが低い
趣味でお酒を組み合わせて新レシピ作るのが好き
> 仕事でお酒を作るハードルが低い

研究:
日常的に最新論文に目を通すことが楽しい
> 仕事に必要な大量の情報に触れることも苦ではない
実験、そりゃ楽しいでしょ?
> 言わずもがな

お笑い
・暇があればネタを作りたい!
・今度の有吉の壁のネタは何がいいかな…?
こうゆう思考が根底にある。


こうゆう、
「途中経路がそもそも楽しい!」という感覚がないと、
人生においては目的地には到達することは難しい。

でもそれ以上に。
「途中経路がそもそも楽しい!」という感覚がないと…

目的地から先の道のりを見失ってしまう!

(宇都宮に行けたはいいが、次の行き先はわからない)
(旅行程度なら、次の食べ物や行き先は探しやすいけど、
次の行き先がわからなかったら?という話)


僕のnoteを読んでいる人は、ここをぜひ避けてほしいんですよね。
なぜなら、僕自身が何度もこうゆう体験をしているから。
・知らず知らずのうちに刷り込まれた、
「某大学受験」という中身が空虚な目標
・動機を見誤った(= 途中経過ではなく目的地だけを考えていた)就職活動


8-5. で、何を探すのか?の話


Part 8-1 では、途中経過の概念として、
アクセル・負荷をかけずに移動・ブレーキ
を考えた。

ここで、謎のグラフを持ち出したから、わけがわからなくなる。
反省点


僕のこれまでのnoteを読んでいる人だと、
「他人に植え付けられた動機とか、承認欲求」
に関しては、見極める練習が積まれていると思う。

でも、ここから先は、
・外から加えられる動機
ではなく、
・内側から出てくる動機
に目を向けるわけだが…

ここの感覚、わかりづらくない???

「自分のなかにある、『やりたいこと』に耳を傾けな」
とか、正直よくわからないよ…という感じ。


なんで、わからないかというと…

やりたいこととは、○○ということです。

という「客観的」な定義がないから。


「やりたいこと」って、極めて主観的なことです。
それ故、各個人に任されてしまっている。
だから、
・やりたいことを感覚的に掴めた人
・掴めなかった人
の間には、言葉では伝えられない明らかな感覚の違いがある。

「やりたいこと」が掴めている人にしてみたら…
・やりたいんだから、あとはやるだけ
> 行動に移したいことがわかっているし、行動に移すハードルが低い
掴めていない人は…
・やりたいことがわからない!なんとか探さなきゃ!
> 何をしたらいいかわからなし、
見当違いな行動をしてしまいがち…(僕の主観)


では、
「極めて主観的なやりたいこと」を、
「客観的に評価する」にはどうしたらいいか?

↑これを、あのブレーキの図で表したかったんですよ笑


やりたいこととは…
「実際に行動して、なにか得られるものがあること」

しかも、今回のように根源的な「やりたいこと」を掴みたいなら…
「自己満足感が得られること」

で、「自己満足感が得られている状態」は、
その行動(=やりたいこと)を続けている状態
> 過去を振り返ったときに、続けていること

ということになる。


8-6. やりたいことの本質


こうゆうときに、「続けている」とか書くと、
10、20年単位でやってるんでしょ?
と尻込みしてしまう。

ここでは、そうゆうことじゃないんだよ?
ということを書いてみよう。

例えば…
チャンネルザッピングをしていて、
「あ、これなんとなく面白い」
と思ってそのテレビ番組を見続けるならば…
それは「みたい番組」といえないだろうか?

テレビ鑑賞が受動的だというならば…

本屋でふと見つけた本。
理由はともあれ実際に読んでみて、
「なんとなく買ってみたけれど、どんどん読み進めちゃうな」と
そ思ったならば、その本は「みたい本」といえるだろう。


こうゆう具合に、
最初の動機は別として」
過去(数十分ー数時間ー数日)を振り返って、
「これは、まとまった時間(数十分ー数時間ー数日)を割いている」

それこそが、本質的にやりたいことではなかろうか?
↑始めた動機ではなく、作業中の正直な感情が大事)


少し前の僕だったら、やりたいこと = やり「始めたい」こと、
と捉えていた。

でも、この考え方では「知っているもの」からでしかやりたいものが見つからない。

そうでなくて、
実際に行動している物事から、
「やりたいこと = 時間を割いていること」を客観的に見出して、
それを「やりたいこと」として定義したほうがよくないか?


こうやって、自分が実際に行動した履歴を分析して、
「やりたいこと」が見つかる。

だから、


「やってみないとわからない!
= まずは行動の履歴を作ってみないと、
やりたいことかどうかの評価もできない!」

ということです!
↑これが言いたかった…


長々となってしまったので、次回はさらに具体的なことを書いてみたい。

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