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おじいちゃんと私

今日は敬老の日。

大好きだったおじいちゃんの事を思い出したので、綴ってみました。

大好きだったおじいちゃんは、母方の父で小さい頃は同じアパートに。引っ越してからは一緒に住んでいました。


おじいちゃんの特徴。

・背が高い。(176センチと言っていたが、父が163センチだったので、めちゃ巨大に見えた)

・イケメン(ほんとのほんとです。じいさん、ぽくないの)

・ハゲている

・歯が一本もない(入れ歯もありません。合わないそうです)

・目の色が青と黄色だった(それは何故だかわからない)

・お散歩好き

・私を「みぃー」と呼ぶ

・HI-Cのアップルジュースと缶コーヒーが好き

・肉じゃがの汁まで飲み干す

             といった感じです。

おじいちゃんには、毎日保育園に歩いて送ってもらい、お迎えもおじいちゃん。散歩もおじいちゃん。おじいちゃん子の私でした。一年生の時に弟が生まれたこともあり、更におじいちゃん子になりました。

八幡様に向かう農道でおじいちゃんは必ず歌を歌います。「おててつないで」を。別におててつないで歩いているわけでもなく、おそらくあの頃はおじいちゃんの前を私は歩いていたんだと思います。

我が家には、母の弟も一緒に住んでいました。(この記憶はあまりない)なので、母の弟が結婚してしばらくするとおじいちゃんは母の弟の家へと行ってしまいました。

それでも春休みとか夏休みとかになるとおじいちゃんが我が家へ遊びに来てくれて、来ると一緒にお散歩に出かけました。

私も大きくなり、いつしか坂を歩く時はおじいちゃんの手を引っ張っていました。

心臓を患っていたので、大好きなジュースは禁止令が出ていたようです。散歩の途中のお楽しみのジュースはなぜか自動販売機の前で母に内緒で飲むことになり、ちびちび飲んでいると急かされ、一気飲みのように飲んだ事を思い出します。昔は缶ジュースは250mlのだったのですが、それでも小学生の私に飲むのは辛すぎる。だけどいつも一緒にお散歩して、自動販売機の前でジュースを飲んでを繰り返していました。

綴っているだけで、当時が蘇ります。

そして、お別れは突然でした。

小学六年生の春。卒業式が大雪の為に延期?になったのか、兎に角、停電になってしまい寒い寒い卒業式を終えた次の日だったかな?おじいちゃんは亡くなりました。

72歳くらいだったような気がします。

おじいちゃんは、母が7歳の時に妻に先立たれ、それ以来男手ひとつで母と母の弟を育てたそうです。

母曰く、「すごく貧乏をした」と言っていました。

自由が丘に住んでいたらしいのですが、食べて行くのがやっとだったとか。

おじいちゃんが亡くなり、お散歩に行くことも少なくなり、もちろん自動販売機の前のジュース一気飲みもなくなり、今は思い出だけが心に残っています。

おじいちゃんは、私が一度も見たことがないおばあちゃんと会えて一緒に暮らしているのでしょうか?

おじいちゃんは今幸せなのかな?

な〜んて考えてみたりもします。


そして、おじいちゃんが生きていた年齢に母が追いついたこと。それだけ月日が流れたこと。もうすぐ母の誕生日なこと。私に何がしてあげられるかな?


         そんな思いになった敬老の日です。









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