白饅頭日誌「熱血時代のあと」感想

「体育会的なもの、権威的で居丈高なもを否定して全てを相対化する」という気運は'80年代には既にポップカルチャーや評論の世界に出現し始め(『スネークマン・ショー』とか後期YMOとかあの時代の空気が濃密に詰め込まれたタイムカプセル状態なので、逆に当時を知らない世代が聴いてもピンと来ない部分が多いと思う)、少し遅れて教育現場に降りてくる。'80年代半ばまでは中学や高校(ごく一部の高偏差値進学を除く)は校内暴力吹き荒れるリアル尾崎豊の世界で、体育教師や生徒指導主任が強圧的な態度でこれに対峙するが、これが白けた空気とともに急速に沈静化していく。この辺り、狂人日誌の
『なぜ「女が嫌い」と考える若い女性が急増しているのか』
https://note.com/wakari_te/n/nc4a1a6412205
中盤で校内暴力ブームとその背景について解説されているのでご一読を。

'80年代は経済が非常に巧く回ってた時代なので大概のことは許される余裕がある一方で、既存の道徳規範がシロアリ被害のようにスカスカにされていく「価値観不在の時代」だった。高度成長期には「底辺層から実力だけで天下人にのし上がった才気者の人たらし」として大人気だった豊臣秀吉(新潟の寒村出身で高等教育を受けていない田中角栄が「今太閤」と熱い支持を集めたのも高度成長期だ)が、「権力の座についてから陰湿で残虐な本性を顕わにし、朝鮮をも侵略した悪人」という位置付けに変わっていくのもこの年代。
'80に思春期真っ只中だったオッサンの感想である点は割り引いて読んで欲しいのだけれども、その上でなお、今は'80年代に蒔かれた様々な毒樹が実をつけ、しかし収穫されることもないま枝で腐れて瘴気を放っていると感じる。だから放っときゃいずれ腐り落ちて虫に喰われてお終いなんだけど、'90年代や'00年代に蒔かれた「良き果樹の種」をオッサンは見つけることができないのだ。


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